◇ 02

 泣くなと言われる度に、逆に涙ぐんでしまい、恥ずかしくなってアオバは「もう大丈夫ですよ」と笑顔を見せて言い、その手を引っ込めて貰った。熱くなってしまった息を吐いたその時、壁際にいたユラがぎょっとした顔になる。


「あ、アオバ、ちょっと」


 ユラに呼びかけられると同時に、カチャン、と食器が重ねられた音がした。視線をそちらにやれば、いつの間にか積んでいた食器の半分程を拭き終えたペルルが、背伸びをして食器を積み上げたところだった。積まれた食器は、少し斜めになってきている。


「え……わぁー!? ぺ、ペルルっ……し、仕事が早いね」

「ぺるる、はやい」

「凄いー……けど、それ以上は積んじゃ駄目なんだ、危ないよ」

「どして?」

「落ちてきちゃうんだよ。割れたら、危ないでしょ」

「うん」


 一旦手を拭いて水気を切り、ぐらつく食器を片手で支え、数枚を取って横に置いた。崩れ落ちる心配がないのを確認してから、戸棚に仕舞う作業に切り替える。いくつか仕舞い終えたところで、玄関の扉が叩く音と共に、アティの声がした。


「ドライオ、アオバはまだいるか?」

「おー。もう引き取っていいぞ」

「別に俺が預かっているわけでもないんだが……」


 言うが早いか、ドライオが席を立ち、扉を開けた。ドライオの後ろ姿でアティは隠れてしまって見えないが、声からして本人だろう。アオバは手に持っていた食器を片付け終えると、ドライオの後ろから玄関を覗き込んだ。小柄な少年が、その背と然程違わない大剣を背負って立っていた。


「アティ、どうしたの? もう少し片付けたら、宿に戻るつもり……」

「いや、それは好きにしてくれ……って、どうした? 泣かされたのか?」


 言いながら、アティはちらりとドライオを見た。「俺だけど俺じゃねーよ」とこぼして、ドライオは指でぺちんとアティの額をつつく。


「当人らが良いなら、これ以上の詮索はしないが……おっと。そうだ。ルファが来なかったか? 宿に戻って来ないと、少し騒ぎになっているんだ」

「えっと……来てないと思うけど」


 ずっとドライオと話していたので、ノックの音を聞き逃した可能性もあり、やや曖昧な表現をした。アティは「そうか」と相槌を打って、掻い摘んで説明をする。


「ジベの実の収穫途中の状態で、ルファだけがいなくなってたみたいなんだ。籠もその中身も、そのままで……彼女が行きそうな場所は知らないか」

「うーん……」


 とはいっても、ルファとは昨日出会ったばかりだ。付き合いの長さで言えば、ドライオやアティの方が長いだろう。ちらりとドライオに視線を送れば、彼は肩をすくめ、首を振った。


「そういえば……」

「なんだ?」

「あ、いや。今朝、迷子になってた女の子が、まだ見つかってないみたいな事を聞いたなぁって……関係ないかもだけど」


 ふと、朝の出来事を思い出した。宿に、ネティアを探しに来たグランと、そんな彼の要請に応えたテルーナ。あの時、グランは手で合図のようなものをしていた。なんとなく嫌な気がして、尋ねる。


「……ねえ、アティ。これって、どういう意味?」


 思い出しながら、あの時のグランと同じ仕草をする。指で作った輪っかを、手首にはめる。すると、アティはぎょっとした表情を浮かべた。


「……どこでそれを?」

「え、あ、朝に……グランが、こういう仕草? を、テルーナさんに見せてたから……」

「……聖騎士が町に来る条件は……町からの要請が……ああ、クソっ、そうか、治安が悪くなってたのは、ガシェンのせいか、聖騎士を呼ぶために、わざと!」

「あ、アティ……?」


 何事か考えていたアティは、自身の髪を乱暴にかいた。長い前髪が乱れ、その隙間から整った部類の顔立ちが覗く。疲労感の強い生気の薄い目が、キッとアオバを見上げた。


「それは、連れ去りを意味する合図だ! 既に一人連れて行かれているなら、ルファも巻き込まれたかもしれない」


 これは一大事だと、アティは宿まで知らせに戻ろうとして、慌ててこちらに振り返った。


「子供らはそこにいろ! いいな!」


 そう言い残して、彼は地面を蹴ると、軽々と隣家の屋根に着地した。そのまま屋根を飛び移りながら宿の方向へと去って行った。地面を走るよりは、障害物が無い分早く移動できるのだろうが……それにしてもとんでもない身体能力だ。


「子供って言うなら、アティもだろ……」

「あいつは聖騎士の卵エイ・サクレだから、数に入れてないんだろ」


 その身体能力に驚きつつも、ちょっと文句を垂れたアオバに、同調的な雰囲気を出しながらも、ドライオはそう解説した。それから、「な。ちょっと鼻につくだろ」と、ぼやいた。なるほど、問答無用で弱者と決めつけ庇護されるのは、自身の力を全否定されているようで、確かに少し自尊心に傷がつく。


「行くのか?」


 まくっていた袖を直していると、ドライオに声をかけられた。「駄目ですか?」と問い返せば、ドライオは「いや」と首を振り、扉を押し開けた。赤い日差しが眩しくて、思わずに少し目を細める。


「片付け、また途中で……」

「戻ってからやりゃあいい。朝になる前に戻って来い」

「はいっ。いってきます!」


 笑顔でそう言って、アオバは町へと駆けだした。周囲に視線を配り、どこから見ようかと考えていると、ぱたぱたと忙しない子供の足音がついてきていることに気づき、振り返った。


「あれ、ペルル! ドライオさんの家で待ってなくちゃ駄目じゃないか」

「やー」


 低い位置でペルルの白い頭が揺れる。てっきりドライオの家でオーディールと一緒に待機していると思っていただけに、少し驚きながら注意すると、後ろをついてきていたユラが「しょうがない」と呟く。


「どんどん貴方に似て来たな」

「えっ、僕そんなに聞き分けないですか」

「聞き分けの良い子だったなら、私は貴方が捜索に出るのを止めている」

「……」


 道理で、黙って事の成り行きを見ているわけだ。止められたら、それはそれでやきもきして、落ち着かなかっただろうから、好きにさせてもらっている分文句は言えないのだけど。


「うーん……しょうがない、しょうがないか……」

「しょーがー、ない、なぁ」

「もう……分かったよ。離れたら駄目だよ、ペルル」

「んー」


 今のは肯定だろうか。ペルルが少しだけアオバに近づいた。


 それからは、人を見かけるたびに声をかけた。ルファを知らなければ、それとなく容姿を伝えて尋ねまわったが、収穫は無い。ユラも遠くを見るように周囲を見てくれたが、「生体情報を登録していない個体の捜索は出来ない」とやや不可解な返答をされた。何にしろ、彼女の力でも探せないようだ。


 もしかしたら、連れ去りなんて犯罪は関係が無くて、ルファはもう宿に戻っているかもしれない。淡い期待を持って、ユラを見やる。


「一旦、宿に戻ってみましょうか……?」

「そうだな……」


 どれぐらい探したのだろうか。常に夕日が見えるせいで、時間の経過が分かりにくい。手元に時計があればなぁ、と頭の隅で考えながら宿に足を向けたところで、駆け寄ってきた男がアオバの肩を掴んだ。


「君っ!」

「は、はいっ!?」

「ちょっと来てくれ、怪我人がいるんだ!」

「え!」


 ルファだろうか、それとも別の……どっちにしろ、それは大変だ。場所を尋ねれば、こっちだ、と男はアオバを先導した。


「アオバ、そうやってすぐに面倒ごとに首を突っ込むのは……」

「ルファかもしれませんし……違っても治したらすぐ、ルファの捜索に戻りますから……」


 小声でユラに返し、男の後を追う。いくつも角を曲がり、気づけば路地裏に入り、夕日の影が濃い区域になっていた。なるべく表通りを歩くようにしていたアオバには、不安感が滲む。


「ここだ」

「え……?」


 足を止めた先の狭い路地裏は、荷車で道を塞がれていた。その荷車の上に座った大柄な男が、少女を乱暴に抱き寄せて、赤い日差しで燃えるような色を反射させたナイフをつきつけていた。


「ルファ!? な、何をして……怪我人って……」


 つきつけた際に掠めたのか、ルファの首筋に薄く赤い線が入っていた。小刻みに震えたまま、ルファは動けずにいる。


「あう」


 後ろから聞こえたペルルの声に振り向けば、アオバをここまで連れて来た男が、ペルルの腕をひねり上げていた。


「怪我人がいるんですよぉ、使

「!」


 演技がかった口調で、ルファにナイフを突きつけた男が言う。逆光で顔が見辛いが、どうやら先日宿屋でアティに追い返された男たちの内の一人だ。報復かとも思ったが、純粋に仲間の中に重度の怪我人がいて、アオバの治癒能力をアテにしているのかもしれない。


「来てくれっかなぁ。何、抵抗しないなら、悪いようにはしませんよ?」

「そ……その女の子を解放してください」

「あんたが怪我人を治したらな」


 背後にちらりと目をやれば、呆けたようにこの光景を見ていたユラが、苦しそうに薙刀を構えた。心なしか荒い呼吸を吐くユラだったが、切っ先が震えている。


 ……何かに抗っている、ように見えた。


「わ、分かりました!」

「!? アオバ……!?」


 了承の言葉で我に返ったのか、酷く疲れた様子で驚くユラに、首を振って拒否の意思表示をする。今ユラを頼りにすることは、彼女の重りになるような気がした。


「あ、貴方たちの言う通りにします。だから、その子たちに乱暴はしないでください」


 悪いようにしないと言ったのだから、それを信じよう。


 そんなアオバの決心を馬鹿にするかのように、男たちは鼻で笑った。それから、荷車にルファを押し込み、道を開けるように移動させると、少し先に荷馬車が止まっているのが見えた。後ろの男に押され、アオバは荷車の男と共にその荷馬車の前まで歩いて行くと、荷の部分が少し開けられた。


「中へどうぞ」

「……」


 視線を一瞬だけ、ユラに向ける。


「……人を」


 呼んできてほしい。荷台から、明らかに複数人の息遣いがする。それも、皆、怯えている。怪我人は治すが、この子達全員を連れて逃げ出すのは、アオバには手に負えない。小声で、ほとんど唇が動いただけの声だったがユラは反応し、少し躊躇った。


「早くしろ!」


 中を覗き込んだアオバの背が蹴り飛ばされた。乱暴に押し込まれたアオバの後ろから、白い物が放り込まれた。ペルルだ。認識すると同時に慌てて抱き留めると、続いてルファも投げ込まれてきた。さすがに二人も受けるには腕が足りず、今度は押しつぶされてしまった。


 そんなアオバの下にも人がいたようだったが、こちらはピクリとも動かず、どちらかといえば周囲にいるであろう少女らの小さな悲鳴が耳に届く。


「痛……っな、何を……」

「大人しくしてれば痛めつけはしねぇよ。特に、貴重品の御使い様はな。──おら! 行くぞ!」


 アオバの抗議も聞かず、荷は閉められた。


 男が乗り込んだのか、暗闇の中荷台はぐらりと二度程揺れ、がらがらと車輪が回る音と振動が伝わってきた瞬間、ガクンッと、一度だけ大きく荷台が揺れた。

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