◇ 04

 指先の切り傷から血が止まったのを合図に、青葉たちは洞窟から出た。スマートフォンを確認すると、まだ朝の五時過ぎではあるものの、町にはポツポツと人が顔を出し始めていた。


 町人が全員起きる前に町の様子を知りたいという我儘を聞いてもらい、住宅街を避けるようにして町を見て回る。周囲が明るくなると町が受けた被害が良く分かる。フラン・シュラが大群を成して通ったが故に壁が溶け、崩壊寸前の住宅が散見された。


「フラン・シュラの通った道以外は、被害が少なそうですね」

「ああ。中心部に到達する前に、青葉が収めたのが大きいな。洞窟から百メートル弱は修繕の必要があるが、まあ何とかなるだろう」

「となると、被害が一番大きかったのは、カインの家ですね……」


 洞窟までの行き帰りで見たが、カインの家は完全に崩壊していた。フロワを救出した時にはまだ家の形をしていたが、町に戻っている間に風か何かで崩れてしまったのだろう。もはや更地と差し支えなく、あれは一から立て直さなければならないだろう。昨日の間に少し手を入れたのか、まだ使えそうな食器類や資料館にあった本などが掘り起こされ、真新しい木箱に収納されていたので、あとで青葉にも手伝えることが無いか聞いておこう。


 町の被害を確認し終え、「もう戻ろう」とユラに急かされ、慌ててロレイヤたちの家へと方向転換する。それでも、視界に飛び込んでくる、溶け落ちた壁という不自然な光景が目に留まる。


(ユラさんが来る前に、音叉の効果を広くするってことを思いついていれば、もっと被害は抑えられたよな……)


 どうしてこう、判断が遅いのだろうか。


 ため息交じりにユラの後を追いかけ、ふと視線を逸らすと、路地の奥に教会が見えた。あそこもまた、修繕が必要だ。いや、その前に取り壊しが決まっていたか。


 両開きのはずの、片方の扉がどこかに行ってしまった教会の扉の前に、誰かが立っている。見覚えがあるような気がして、足を止める。


「シャルフさん?」


 名を呼べば、朝の静かな空気にはよく響いたようで、それなりに距離があるにも関わらず、シャルフが振り返った。しばらくは眉間に皺を寄せていたが、小走りで近づくとようやく「ああ」と納得したような声を出した。


「もう起きて平気なのか」

「はい。寝過ぎたぐらいで……」


 言いながら、彼の手に白い花が一輪握られているのを見て、思わず花とシャルフの顔を交互に見てしまった。


 教会の扉の前に置かれていた花と、同じ花だった。まさか置いていたのがシャルフだとは思いもせず、教会の前で溶けた花と、握られた一輪の花とを見比べる。その視線から逃げるように、シャルフは花を背で隠した。


「なんだ」

「い、いえ……」


 ふん、とシャルフが鼻を鳴らした。意外だ、という感想が顔に出てしまっていたのだろう。気を悪くしたかと思い、おずおずと表情を窺うと、彼は「今、暇か」と一言呟いた。


「え?」

「暇ならついて来い」

「えっ、は、はい」


 さっさと歩き出すシャルフを、慌てて追いかけると、彼は教会が見える距離にある一軒家に入って行った。周囲に住宅は無く、代わりに倉庫や蔵と思しき建物に囲まれている。


 目の前で閉まった扉を、戸惑い気味に開ける。シャルフは奥の部屋まで進んでしまったのか、姿が見えず、代わりに物音だけが聞こえてくる。


「おじゃましまーす……」


 入っていいよね? ペルルとユラと顔を見合わせてから立ち入り、物音がする一室を覗き込む。


 そこは寝室のようで、ベッドが二つ、並んだ横から窓の日差しを浴びていた。ベッドの向かいにあるクローゼットが開けられていて、そこでシャルフがあれこれと取り出している。


「……一か月後に、王都の役場に異動する事が決まっていてな」


 目だけで青葉の方を見ると、シャルフは躊躇いがちに、そう切り出した。


「出世ですか」

「ああ。前々から打診されていて……もう決まった話だ」


 どこか、言い訳じみた言い方だ。まるで青葉に気を遣っているような、遠まわしに伝えようとしているような……。だから怒らないで聞いてくれ、とでも言いたげな雰囲気で、彼は言う。


「教会の取り壊しの件だが、取り消されたよ。とはいえ、老朽化も進んでいるし、一旦更地にして、建て直す方針になった」

「どうして急に?」

「御使い様が来たからだろ」


 素っ気ない態度で、シャルフは奥からキャリーバッグを取り出す。革製品かと思ったが、よく見れば木製だ。それを無造作にベッドの上に置き、固定ベルトの一部を外し、垂直に開いた口に衣類を詰め込んでいく。


「何か手伝いましょうか」


 ぼうっと突っ立っているのも気まずくて、そう申し出る。今度は視線も寄越さずに、シャルフは先ほどのものよりも一回り小さな鞄を出してくると、青葉の前に置いた。


「欲しい物があれば持って行け。その鞄ごとやる」

「え。あ、いやいや、そんな」

「全部を王都に持っていけるわけじゃない。この家も引き払うし、残しておきたいものならもう実家に置いてある。捨てる前に、使えそうな物をお前に譲るってだけだ」


 言いながら、シャルフは詰めていた鞄を閉じた。


「メアから聞いたぞ。お前、荷物らしい荷物を持っていなかったそうじゃないか。その薄っぺらい服で、どうやって冬を越すつもりなんだ」

「そんなに寒いんですか……?」

「精霊の機嫌によるが、少なくともそんな軽装備で外をうろつく奴は盗賊以外に知らん。ほら、これ持って行け」


 押し付けられた厚手のコートは、シャルフの性格故か、異様に綺麗だった。手入れが行き届いているのもそうだが、何というか……。


「新品じゃないか、これ?」


 横から見ていたユラが口を挟む。やっぱりそうだよね、と声にはせずに同意する。


「あ、あの、これ、新品……」

「古着だ。一回は着た」

「それはほぼ新品です」

「大きさが合わなかった」

「どう見てもぴったりなのでは」

「肩回りが微妙に気に入らん」


 勝てそうにないな、これ。カインが役場でシャルフと口論になった時、あの時は言葉が分からなかったが、今まさに青葉が体感しているような会話がなされていたのではなかろうか。しかし、厚手のコートなんて、元いた世界でもいい値段がする代物だ。そう簡単に貰っていいものではない。


「着替えも持ってないなら、これと、あとこれも持って行け。そうそう、使ってないのが一着あったな」


 悩んでいる間にも、あれもこれも持って行け、とシャルフがクローゼットから服を取り出し、手際よく畳んで鞄に詰めていってしまう。


 最後に鞄が閉じるかまで確認して、満足気にシャルフは「よし」と頷いた。


(結局全部シャルフさんにしてもらったような……)


 手伝おうかと言っておきながらこの体たらく。その上どれも真新しい衣服ばかり貰ってしまっていいのだろうかと悩む反面、青葉が貰わなければ捨てるだけだったのなら、その手間を省けてよかったのかもしれないな、とも考える。自身の冬服をわざわざ買い揃えなくて済んだ分、ペルルにはもっと温かい服を買ってあげられるのだから、良かったと思うことにしよう。


「ありがとうございます。大事にしますね」


 頭を下げた青葉を真似して、ペルルも横でぺこりと礼をした。鞄を持ってみると、想像していたよりも軽い。これならユラが言う協力拠点までの道中でも、そう邪魔にはならないだろう。


 片手に鞄を、空いたもう片方の手は、すぐさまペルルが握ってきた。このまま一度宿に戻って、宿泊費を払ってからロレイヤたちの家に向かおうか、などと今後の段取りを決めていると、脳裏に一つの案が割り込んでくる。


「あの。教会を建て直すなら、一つお願いがあります」

「なんだ」

「鐘も新調すると思うんですけど……夜の……ええと、九時ぐらいに、鳴らしてほしいんです」


 僅かに、シャルフの眉根が寄った。


「変な話だと思うかもしれませんが……眠る前の祈りを、してほしくて。でも、今は夜も明るいから、皆さん寝る時間もバラバラでしょう? だから、寝る前じゃなくて、鐘を鳴らした時に、お祈りをすれば……オーディールも、元気になるかと思って」

「……オーディルは」

「いますよ。あの洞窟に」


 目を見開いて、シャルフは窓を見た。建物の奥に山が見える。その向こうに、洞窟があるはずだ。


「オーディールが安定して祈りの力を受け取れれば……黒い霧を晴らす存在が確立されれば、精霊たちが死者の名に怯える事も減るかもしれません。そうすればいつか、死者の名も普通に呼べる時が来て、亡くなった人の思い出を、笑いながら語れる日が来る……かも」

「夢みたいな話だ」

「そう……ですね。でも僕は、それが当たり前になってくれたらいいなって、思います」

「……分かった。考えておく」

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