◇ 09

 壁が崩れるような音がした。まだ近くにフラン・シュラがいる。震える手は汗でべたついて、杖を取り落としそうになり、シャルフが慌てて支えてくれた。


「おい、しっかりしろ」

「すみません……っ」


 先ほどの音が気になるのはシャルフも同じようで、青葉とカインの家とを交互に見た。それから青葉の頭を掴んで無理やり顔を上げさせると、


「もう一度それを鳴らせ。俺が見てくる」


 そう言って、蹴破られた扉まで走っていく。


「早くしろ!」

「は、はい……!」


 要求通りの音が鳴らない事に苛立った様子で、シャルフが振り返りながら怒鳴る。慌てて両手で握り、もう一度石突を地面に叩きつけた。鐘のような音が響き、家の影に見えていたフラン・シュラが消えて行く。


  シャルフが家の中に入っていくのを見てから、まだ近くにいるかもと用心に用心を重ねて、もう一度打ち鳴らす。音叉の震えが柄を伝って手に響く。傷口にビリビリとした痛みが走り、地面に杖を押し付けるようにして耐えた。


「フラン・シュラは……まだ、いますか」


 すぐ近くで周囲を警戒しているユラに声をかける。視界の端で黒いスカートの裾が動いた。


「この辺りは少ないが、町にはいるだろうな。ロレイヤたちの家の近辺から沸いて出ていた」

「えぇ……」


 教会から、カインの家までと、ロレイヤたちの家までとは道が違うので気づかなかった。となると、まだ町は危険だ。


「すまない。警鐘が鳴っているようだったから、町民の避難は完了しているものかと……」


 あの場にユラはいなかったし、ロレイヤたちの家の近辺は住宅が少ないからそう判断してしまったのだろう。責める気は微塵も無いので、「大丈夫ですよ」と声をかけ、町の方を見る。木々が冷たい風にざわつき、なんとも嫌な雰囲気を纏っている。


 ペルルもつられて町を見たので、何気無く聞いてみた。


「ねぇ、ペルル。フラン・シュラは、どれぐらいいるのかな」

「……」


 視線をペルルにやる。真っ白な見目の彼女は、真珠色の目をこちらに向けて、三度程瞬いた。


「たくさぁ」

「たくさんかぁ……」


 項垂れたいところを堪え、立ち上がろうと意気込んで膝を叩くと、ユラが手を差し出した。頼ろうとこちらからも手を出すが、当然のようにすり抜けてしまい、行き場を失った手で頭をかく。


「触れられないんでしたね……」

「あ、ああ。悪い。忘れていた」


 互いに曖昧な笑みを浮かべる。そうこうしている内に背後で音がしたので振り返ると、シャルフがカインを支えて連れ戻ってきたのが目に入る。カインに抱きかかえられたフロワは、彼の胸元の服を握っている。


 安堵して息をつくと、すぐに近くまでやってきたシャルフに腕を掴まれ、立たされる。よたつく青葉を一度支え、「行くぞ」と声をかけてきた。


「町にまだフラン・シュラがいるかもしれん」

「あ、それなら……ロレイヤさんとディオルさんの家の近くから、出て来たって……」

「誰から聞いた?」

「え、えっと」


 しまった。シャルフにはユラの姿が見えていないのだ。ずっとここでペルルと待機していたはずの青葉が、そのような情報を持っているのは不自然だ。


 口ごもる青葉を、シャルフは大げさにため息をついて引っ張っていく。


「まあいい。御神託、ということにしておく」

「え、絶対信じてないでしょ……」

「黙れ。詐欺師として突き出すぞ」


 杖を頼りに体勢を立て直し、町へと向かって小走りになる。わずかな時間とはいえ休憩を挟んだものの、体力は完全に回復しなかったらしく、少し走り出したところで、また足が重くなってくる。


 ちらりと後ろを見る。フロワの顔色がかなり悪い。抱きかかえるカインも、それに気づいていてどんどんと表情が硬くなっていく。生きていると喜んだのも束の間、フロワの容態はもう長くないのが見て取れる。


 視線に気づいたのか、シャルフもカインたちの方に一瞬だけ目をやった。


「ディオルの家が無事なら、カインたちはそこに避難させる。お前は町のフラン・シュラを消して回れ」

「分かりました……」

「カインも、それでいいな?」

「は、はい」


 ぎゅうと、カインがフロワを抱きしめる力を強めた。まだ不安気な顔色に、思わず話かける。


「カイン、大丈夫。すぐ戻るから。薬も、どうにかして……」


 言いながら、気づいた。どうにかするも何も、シャルフはもう青葉がフラン・シュラを消せる事を認めている上に、こうして目の前で大量のフラン・シュラを(彼らから見れば)討伐しているのだから、報奨金はすんなりと出してもらえるだろう。薬は買える。急に湧いて出て来たフラン・シュラたちのおかげで。


 ──おいでー、する?


 じぃっと、見つめる気配がして、そちらを見た。一歩後ろをついてくるペルルが、真珠色の目で青葉を見ていた。


 もしも、ペルルがフラン・シュラを呼んだのなら、それは何故なのか。シャルフが信じないのなら、目の前で見せればいいと、思ったのではないか。青葉が、理解できずに首をかしげるペルルに、目の前でやって見せて、理解させようとしたみたいに。青葉はフラン・シュラを消せるのだと、分からせようとしたとすれば……?


「……御使い様?」

「え……あ、ああ、その……」


 青葉が急に黙り込んだので、不審がったカインの声で我に返る。視線をペルルから逸らし、進行方向に戻す。


 もしも、ペルルがフラン・シュラを呼んだ理由が青葉の為だとしたら……。


 嫌な汗が背中を伝い、僅かに身震いをした。


「く、薬……多分、買える、から……」

「本当ですか!?」

「うん……だからその、それまでは何とか、持ちこたえて」


 弱弱しい青葉の声にも、何度も何度も強く頷くカインを見て、罪悪感で押しつぶされそうになった。


 青葉のせいで、町が一つ溶かされようとしている。


 さっと血の気が引いた。シャルフを見る。あの時、すぐ近くにいたなら、ペルルとの会話が聞こえていたかもしれない。ユラはどうだろう? 認識していなかっただけで、建物の影にいたかもしれない。悪事を働き、それがバレてしまうのではないかという緊迫感から心臓がバクバクと音を立てる。カインたちは……巻き込んでしまったという申し訳なさで、こちらに関しても心苦しい。


「なんだ」


 視線に気づいたのか、シャルフが眉を顰める。「いえ……」と何でもないように装うが、どうにもぎこちなくなってしまった。

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