◇ 02

「こりゃあ、もうすぐ駄目になるね」


 カインに案内された病院(個人経営の小さな医院だった)に駆け込み、医者に診せて返ってきたのは、あまりにも無情な言葉だった。


「だ、駄目って……治せないんですか、こんな、体が溶けて……」

「治す? 人間が作る薬が、精霊の呪いに勝てるわけないだろう?」

「精霊の、呪い……?」


 見事な白髪を一束にまとめた高齢の男が、簡素なベッドに寝かされて未だに息苦しそうなフロワを見つめて言う。七十代ぐらいだろうか、元より小柄だが、腰が曲がっていて更に小柄に見える。


 また、精霊。事あるごとに出てくるその名に、顔をしかめる青葉を、医師はどこか訝しげな顔で見た。


「遅らせることは出来ても、根本から治す事はできん。それにここまで呪いが進行したら、もう打つ手が……」

「そんな……ま、まだ、こんなに小さい子なんです。本当に、どうにもならないですか? その精霊に、謝って治してもらうとかは、できないんですか?」

「精霊は、呪うことはできても、癒す力は無い。物を壊し、何かを作ることは出来ても、一度壊した何かを、元に戻すこともない。そういうもんだ、あれは」


 なんだよそれ! 内心で声を荒げた。勝手に呪っておいて、そんなの酷いじゃないか。荒れる心情が顔に出ていたのか、カインが肩を叩いた。


「カイン……」

「いいんだ。ごめんな、アオバ。先月分が買えなかった時点で……分かってて……き、聞きたくなくて、全然、診せに来れなくて……」


 カインの視線が逸れた。ああ、まただ。また、余計な事をしたんじゃないか? 見たくないと目をそらしていた人に、真実を突き付けただけじゃないのか。それは残酷な事だと、ついさっき反省したばかりなのに。


「カイン、その……」

「──カイン。これからのことを話しておきたい」


 会話に横入りし、医者はちらりと青葉を見た。


「ここじゃなんだ。ちょっと隣の部屋においで」

「はい……。アオバ、悪いんだけど少しの間、フロワを見ててもらってもいいか?」

「う、うん……」

「ごめんな」


 困ったように空元気に微笑んで、カインは背中を向けた。


 二人が隣室に入ったのを見て、ため息をつく。何してるんだろう。何もできないのに、首ばっかり突っ込んで。項垂れていると、横からこちらを覗き込むペルルと視線が合った。律儀にも両手でバスケットを抱えたままだ。


「ああ、ごめんね、ペルル。持たせたままだったね」


 ペルルからバスケットを受け取り、近くのテーブルの上に置いた。二人が帰ってきたら、宿屋の女将からの差し入れだと説明して渡しておこう。


 もう一度ため息をつく。何してるんだろうな、本当に。


「ご……め……さ、い」

「!」


 掠れた声がして、驚いてベッドの上を見た。薄く目を開けたフロワが、乾いた唇から声を絞り出していた。先ほどまでの会話も聞こえていたのだろうか。自分の余命がもうほとんどないなんて気持ちの良くない話、もっと離れたところですればよかった。


「……こ、こっちこそ、ごめんね。急にバタバタしちゃって……」

「あな、た……み、つか、ぃ……さま……?」


 何故か、胸が痛くなった。カインはきっとまだ、青葉の事を御使いだと信じている。信仰深い──いや、神様以外に頼るものが無い彼にとって、それだけが救いだったからだ。御使いがやって来た、もしかしたら助けてくれるかもしれない。そんな思いがあっても不思議じゃなかった。ただ、青葉は御使いではない。それは事実だ。


「……君を、助けられるような存在では、ない……よ」


 真実を告げるだけが優しさではなくて、でも、嘘を通せるほど図太い神経もなく、青葉は結局否定した。


「そ、ぉ……」


 か細い声で相槌を打ち、フロワはわずかにほほ笑んだ。


「ね……かみ、さま……しんじ、て……る……?」

「……いたらいいなって、思ってる」


 その言葉は嘘ではないが、どこか他人事だった。信仰深くもなければ、何かの宗教に入っているわけでもない。だから、こんな曖昧な表現しかできない。知識のないまま話を合わせているような、居心地の悪さからそわそわしてしまう。


「フロワは、信じてるの?」


 よせばいいのに、話を振ってしまった。


 シャルフのように、『もういない』と言うだろうか。それともカインのように縋るだろうか。あるいは、ロレイヤとディオルのように、何かに希望を見出しているのか。どちらにしても今の青葉には、返す言葉が見つからない。


 そんな青葉の心を見透かしたように、フロワは優しく笑みを浮かべた。額に汗を滲ませ、指を震わせて痛みに耐えながら、彼女は笑った。


「いる……わ」

「……信じて、いいこと……あった……?」


 ただでさえ病気で弱っている年下に、何を聞いているのだろう。ベッドの脇に屈み、フロワの顔の近くで俯いた。細い呼吸音が聞こえてくる。


「たくさん」


 何の迷いもなく、フロワは言い切った。


 顔を上げ、すぐ近くにあるフロワと目を合わせた。血の気のない肌に、骨と皮だけの細すぎる体。誰が見ても『可哀そう』だと思う容態だ。それでも、死が迫る恐怖と付き合い続けた彼女は、腐敗臭が混じる吐息を溢して笑った。


「ね……みつかい、さま……」


 その呼び名に首を振る。


「僕は、御使いなんかじゃない。誰も救えないんだ。傷つけてばっかりで、自分勝手で、皆の優しさに甘えて、許してもらうばかりで、何にもできない」


 まるで懺悔だった。この世界に来る前から、常に抱えて来た感情を、今にも死にそうな少女に吐露する。幼少期に迷子になった時も、青葉は優しい人に助けてもらった。多くの時を両親と祖父母に愛してもらい、間違いを許してもらった。死ぬ直前さえも、友人の正義感に甘えようとした。いつだって貰うばかりで、返せないでいる。


 のそりと、フロワが腕を動かした。ゆっくりとした動きにも関わらず、間接がパキンっと音を立て、痛みにフロワの表情がわずかに歪んだ。構わずに彼女は青葉の手に触れ、乾燥した唇を懸命に動かした。


「みつかいさま、きた、ひ……おに、ちゃん……うれし、そぉ……だった、の……笑って、た」


 痙攣するフロワの手を両手で包む。それすら痛みを伴っていないか心配になるほど、脆い指だった。


「ひさしぶり……だった。おにぃ、ちゃ……笑う、の。あなた、が……来た、から……笑えた、の……いいこと、よ……これ、は……みつか……ぃ、さま、は……いるだけ、で……いい、の」


 本当の御使い様だったのなら、どんなによかっただろう。しかし当然ながら青葉は御使いなどではないし、それどころか、ラピエルに死を誘発され、この世界に突き落とされた異物でしかない。フロワの言葉は青葉ではない崇高な存在に向けられたものであり、どうしても受け入れられなかった。


「フロワ。君は……生きたくは、ないの」


 残酷な質問だと、口にしながら思う。彼女の返答がどのようなものであれ、青葉に出来る事が増えるわけでもないのに、彼女を傷つけるだけの質問じゃないか。


 フロワの視線が青葉から外され、天井を仰いだ。ゆっくりと瞼を閉じ、数秒の間の後、僅かな物音でかき消えてしまいそうな声で、彼女は言った。


「……わかん、ない」


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