第18話 覆らぬ絶対の定義

 突如としてミラの背後に現れた男の顔を目にした女生徒たちはざわめいた。

 ケテル種ル氏族アヴィル家、といえばこの世界において知らぬ者などいないほどの存在である。その中でも四つ子の知名度は群を抜いており、当然名前のみならず容姿の特徴も世間には知れ渡っているのだ。

 どんな服装をしていようと、顔を見れば瞬時に彼がル・ナギ・アヴィル・ケテルであることが分かるのである。

「……ル……ル・ナギ様……!?」

「……ナギさん……え、ど、どうして此処に」

「んー、天気がいいから散歩してたらミラちゃんの姿が見えたからさぁ。学校は気に入ったかなって思って、ちょっと寄ってみた!」

 ぺかっ、と無邪気な少年のように目尻を細めるナギの顔を、ミラはぽかんとして見つめた。

「流石ミラちゃんだねぇ、早速学校の友達がこんなにできちゃうなんてさ! シュイに見習わせてやりたいよ、あいつは頭と顔はいいけど性格がアレだからぜーんぜん友達いないからなぁ。ねぇ、折角だし俺にも紹介してよ!」

「あ……え……っと……その」

 くいっと身を抱き寄せられてそのままナギの腕の中に閉じ込められ、ミラは何と言葉を返して良いか分からずに彼の顔と女生徒たちとを何度も交互に見比べている。

 どうやら困惑しているのは女生徒たちの方も同じらしく。もしもミラが正直に今し方此処であった出来事をナギに話したら、彼のみならず彼からの言伝でセトの耳にもそれは入ってしまう──何としてもそれだけは避けなければと思ったのか、急に笑顔になったかと思うと気味が悪いくらいの猫撫で声を発し始めたのだった。

「は、初めましてぇ! 私たち、レオノーラ・バンヴァーラ様と懇意にさせて頂いてる者でして! この度初めてお会いしたミラ・ユッタ様とお近づきになりたいとレオノーラ様が申されてまして、レオノーラ様よりお預かりしましたお言伝をミラ様にお伝えするべく……」

 よくもまぁ、咄嗟の思いつきでこうもぺらぺらと嘘八百を並べられるものだ。

 ミラは女生徒たちの豹変した態度に唖然となった。勝手な言いがかりをつけて追い回した挙句晒し者にしようとしてきたくせに、と一瞬口に出しかけたものの、人を貶めるようなことはしちゃいけない……と思い直して閉口する。胸の底に溜まったもやもやが外に逃げ出さないように蓋をして押し込んで、表面では何事もなかったかのように表情を取り繕ってみせた。

 ナギはミラを背後から抱いた格好のまま女生徒たちの主張にうんうんと相槌を打ちながら耳を傾けている。

「そっかそっか。ミラちゃんと友達になりたくて、ねぇ。そんなにこの子のことが大好きなの?」

「それはもう! ミラ様は私たち世の全ての女性の憧れですから! お話だけでも、と望んでいる者は大勢いるんですよ!」

「へぇ、そうなんだー。……だったら、さ」

 ミラを抱く腕に僅かな力が篭もる。


「……何で、この子は泣いてんの?」


「……え」

 ナギの一言に、ミラは慌てて指先で自分の頬に触れた。

 ──人差し指の腹に感じる、温かいもの。

 視界の中央に持ってきた指先が濡れていることに気付いた彼女は、目を大きくしてナギの顔を見上げた。

 ナギは、相変わらずにこにこと人懐っこい笑顔をして女生徒たちの方を見つめている。

「お近付きになりたい、お友達になりたい、あんたたちを此処に寄越したレオノーラって子は言ったんだよね。是非ともお話しましょうって……その伝言を伝えに来ただけで、何でミラちゃんはこんな顔してるの? どう見ても、嬉し泣き、って感じには思えないんだけどなぁ、俺」

 くす、と口の端から笑いを零して。

 少年のような笑顔をふっと顔から消すと、一転して仄暗く冷ややかな光を双眸に宿した面持ちになり、彼は続けた。

「……卑怯じゃね? 自分たちの立場が危なくなったらその場凌ぎのおべんちゃら並べ立てて逃げようとか。それで俺たちの目がなくなったら、またこそこそ隠れてこの子のこと苛める気なんでしょ?」

「そ、そんな、私たちはそんな畏れ多いことなんて……!」

 必死にかぶりを振る女生徒たち。


「そいつはレオノーラ様と契りをお交わしになられるはずだったル・セト様を誑かして横から強奪していった罪人なのよ」


 そんな彼女たちの主張を嘲笑うかのように、何処からか少女の声がした。

 紛れもない──女生徒の一人の声だ。

「!?」

 ひっ、と絶句する彼女たち。その頭上から、静かな声が聞こえてくる。

「罪人、な。それはその子ではなく、セトの婚約者を騙ったお前たちの主の方にこそ当てはまる言葉なんだがな。今俺がこの場で記録魔法に封じた一連の記録をセトに見せたら、あいつは何と返してくるか……お前たちの綺麗に磨かれたその首が、その後も綺麗なままその体と繋がっていればいいけどな」

 記録魔法とは、その名の通りその場で起きた出来事を記録し留めることができる魔法である。触媒とした魔水晶に映像や音を保存して、いつでも好きな時に再生することができるのだ。

 くっくっと何処か嘲笑するように低い笑いを零しながら、シュイは掌中にある親指の先程の石を弄び、続ける。

「まあ、俺がこいつをセトに見せずに闇に葬ったとしても、ファズにはとっくに知られているから無意味なんだがな。地位こそ次期王候補者たる俺たちよりも低いとはいえ、あいつはアヴィル家の当主代理人……そこのナギやセトよりは温厚だが、アヴィル家に直接危害を加えてきた無礼者には容赦はせんぞ。例えそれが同族であったとしてもな」

「へ? お前、いつファズに知らせたの?」

「ミラちゃんの耳を見てみろ。ファズのイヤリングを着けているだろう」

「……あ、ほんとだ」

 ナギは腕の中のミラに視線を落とし、彼女の右耳に見覚えがあるイヤリングが下がっているのを見て、目をぱちぱちとさせた。

「そいつはファズが仕事で使っている遠距離通話用の魔道具だ。魔力を通せば対になった方の魔水晶いしと繋がって会話が可能になる。おそらく、此処にない左耳の方をファズが持ってるんだろう。……大方、こういう事態になることを想定してあいつが持たせたんだろうが……全く、身を守るために必死になっている状況下で連絡を寄越すなんぞできるはずがないだろうが。馬鹿か、あいつは」

 シュイの言葉を聞いて、ミラはそういえばファズから何かあったら連絡するようにと言われていたことを思い出したのだった。

 連絡をしなかったのは自分がそのことをすっかり忘れていたからだ。それなのに、このままではファズがシュイに説教されることになってしまう。

 ミラはおろおろと忙しなく辺りを見回しながら、必死に弁明した。

「す、すみませんすみませんごめんなさい! ファズさんは何も悪くありません! ファズさんはちゃんと私に何かあったら連絡するように仰って下さったのに、私がそれを忘れていたからこんな騒ぎになっちゃったからで……ですから──」

「いんや、ミラちゃんは何も悪くないよ。君は自分の身を守るために一生懸命だったんだもん、そんな状況で他のことに頭が回るわけないじゃん。そのことをちゃんと分かってなかったファズが悪い。まあ……あいつもあいつなりに君を守ろうとしたんだってことは分かるから、おしおきは軽ーく小突く程度で勘弁してあげるって」

「……ふぇぇぇ……」

 言ってにやりと邪笑を浮かべるナギの全身から滲み出る得体の知れない何かの存在に、ミラは小さく呻いて身を小さくすることしかできなかった。

 ついでにナギの表情を真正面から見てしまった女生徒たちもすっかり恐怖にあてられて団子のように一塊になって縮み上がっているが……そちらの方にまで気を回す余裕はないようだ。

「此処での遣り取りは、そのイヤリングを介して全部ファズに筒抜けだ。もしもあいつが校長と一緒にいたのなら、もれなく校長と奥方にも事の顛末が伝わるおまけ付きだ。……良かったな、お前たちも、お前たちの主人のレオノーラとやらも、アヴィル家に喧嘩を売った人間として学校一の有名人になれるぞ」

「そ……そんな、暴論ですっ! まだ契りを結んでいないのなら、その子の身分は我々と同じ平民であって──」

「まあ、法的な目で見ればそうなるな。まだセトと番になっていないミラちゃんの今の身分は『農村出身の平民』、俺たち竜人ドラゴノアとは身分が違う」

 つい勢いで反論する女生徒の一人に、シュイはあくまで口元に冷笑を浮かべたまま答える。

「だが……そんなことは関係ないんだよ。俺たちにとってはな。お前たちの立場からしたら『素質がないにも拘らずセトに気に入られている生意気な平民の女に立場を弁えさせようとしただけ』なんだろうが、俺たちアヴィル家の者からしたら『この世に二人といない未来の妹となる存在を侮辱された』ことになる。それこそセトにしてみれば『己の命よりも大切な未来の番を殺されかけた』ことと同義なのさ」

 例え本当に命を奪わなかったとしても、心が死んでしまったとしたら、それはもう殺されてしまったことと同じなのだ、と言う。

「……人間が竜人ドラゴノアに楯突くことは国が、法が、そして世界の創造者たる神が許さない。今この場で俺たちやファズがお前たちを許しても、セトが──竜人ドラゴノアたちが許しはしない。例えセトや竜人ドラゴノアたちが許したとしても……お前たちの周囲にいる人間たちが、お前たちを反逆者と呼び蔑むだろう。一生な。──誰かが必ず、何らかの形でお前たちを粛清する。これはもう覆らない絶対の決定なのさ」

 まあ、その子に危害を加えようとした時点でセトが許すわけがないんだがな、と呟いて、シュイは大袈裟に肩を竦めてみせた。女生徒たちの立ち位置からは、彼の姿は見えないだろうが。

 相変わらずえげつない封殺の仕方をする奴だな、とナギは微妙に呆れた様子でシュイが腰掛けている木へと目を向けた。

 それと同時に、何処からか複数の足音が近付いて来るのが聞こえてくる。

「ミラちゃん!」

「ミラ! 無事か!?」

 イヤリングを通じて此処の状況を知ったのであろうファズと──目をかっ開いて髪を振り乱し猛スピードで突進してくるセトの姿が花壇の向こうに見える。

 ミラはぎょっとして大きな目を一層大きくして、その様子を見つめていた。

「あ……はぇ……え? セト、さん?」

「やっぱり学校になんて行かせるんじゃなかった! ファズ、入学申請を取り消してくれ! ミラは成人するまで俺が世話をする!」

「ひゃっ!」

「いってぇ!」

 セトは到着するなりナギの腕から無理矢理ひっぺがすようにミラを奪い取ると、そのまま自らの腕の中にすっぽりと納めてしまった。

 謁見用の礼服なのだろう、豪華な一張羅に包まれた厚い胸板に顔を押し付けられて、ミラは息ができないと懸命にセトの体を叩いているが、セトはそれにすら気付いていない様子で。

 ぎっと女生徒たちの方を睨みつけると、地鳴りのような唸り声を歯の間から発した。

「……貴様ら……覚悟はできているだろうな……ミラを貶めようとした罪、万死に値する……この世に塵ひとつ存在を残せないものと知れ……!」

 端正な顔が憤怒に歪み、全身から殺気──を通り越してもはや瘴気と化した何かが滲み出て広がっていく。

 ざわり、と髪が逆立ち、瞳孔が真紅の光を纏って縦に細く伸びていき──


「あらあら~、未来の王様ともあろう御方が女性を相手においたするなんて……すっかり立派になったと思ってたのに、まだまだ子供っぽいところがあるのねぇ、うふふ」


 遅れて優雅にドレスの裾を揺らしながら現れたアリステアに微笑みかけられて、うっと言葉を詰まらせると放っていた瘴気を綺麗に霧散させたのだった。

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