79、とあるビリヤード場にて

「――――いつもすまぬの。感謝しとるよ」


 ぼんやりとした薄明りの下、レミリィがホットココアを片手に笑う。


 大通りに面したバーの地下にあるビリヤード場だ。本来は夜通し営業している店らしいが、つい先程まで誰かが興じていたような跡がちらほら見えるものの、広い店内にはもう客の姿も玉が転がる音も何一つとしてない。


「よしてくれ。俺達は借りを返してるだけだ。礼を言われる筋合いはねぇ」


 ぶっきらぼうに返したその男は、このビリヤード場の責任者だ。過去にレミリィの世話になった事があるらしい。


 その縁もあり、ビリヤード場を無人にして欲しい、というレミリィの突然の要望にも彼は迅速に応えてくれた。客達を有無を言わさずに締め出し、賑わっていた場内は瞬く間に静まり返ってしまった。


 締め出された人達、ちょっと可哀想だったなぁ。ウェレイが何となく同情する中、


「んじゃ、今日はもう閉店Closedだ。朝まで好きに使ってくれていいぜ」


 それだけ言い残し、男は足早に店の奥へと消えて行った。そこにはこの場で話を聞くつもりは無い、という意思表示も含まれているのかもしれない。


「……う~ん、弱みを握られるって大変だね」


 と、そのやり取りを見ていたヴェネがこぼす。


「人聞きが悪いの。私は困ってる人を助け、彼はその恩返しをしてくれている。これ程美しい関係などそうはあるまいて」

「またまた、御冗談を。〝薄幸のハイエナ〟の名が泣くよ?」

「やかましいわ、誰がハイエナじゃ! 勝手に泣かせておけ!」


 まったく誰がこんな不名誉な通り名を、とぼやくレミリィ。そんな彼女を見て、ヴェネはからからと笑っていた。


 ウェレイが黒装束の男に襲われ、駆け付けたヴェネ達が人獣と対峙して制圧した後。模倣犯らしき男が出た、という通報を受けたエレノアが、〝烏〟から借りている捜査官を引き連れて公園に来た。


 そして人獣化が解けた男達の状況などを軽く説明し、遅れて来るであろう救護班への対応もエレノアに任せたヴェネ達は、レミリィに連れられてこの場所を訪れたのだ。


「ヴェネさん、エレノアさんと連絡取れました」


 と、ミオナがドアを開けてビリヤード場に入ってくる。からんからん、とドアに取り付けられた鈴が物寂しげに揺れた。


「彼らは一命を取り留め、状態も安定しているそうです。さすがにいつ目覚めるかは分からないし、目覚めたとしても人獣化の後遺症が残っている可能性が高いので、事情聴取は出来るのはまだ先の事になるだろう、と」

「そっか。でも、ちゃんと助けられた。有力な証言を聞ける可能性も出てきた。これは大きな進歩だよ」

「ですね」


 近くの椅子に腰かけ、はい、とヴェネから手渡されたホットココアに口を付けるミオナ。熱かったのか慌てたように息を吹きかけるその様は、どこか神秘的で落ち着いた彼女の雰囲気にそぐわず微笑ましかった。

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