58、ウェレイ・オルレアン
――その少し前の事――
体が重い。目が痛い。骨がミシミシうるさい。髪に潤いがゼロ。肌の張りもゼロ。
だるい眠い疲れた帰りたいでも仕事が山積みで帰れないぃぃぃぃぃぃ……、
「も~~イヤっ!!」
火山の噴火の如く噴き出した声。周囲の喧騒が幾分か掻き消してくれたものの、やはりちらほら視線が飛んでくる……のだが、そのほとんどが瞬時に『あぁ、この人なら仕方ないか』みたいなものに変わるのを喜ぶべきか否か。
ウェレイ・オルレアンは複雑な心持ちで顔を上げ、溜息を吐く。
毎日のように通うスコルピオ製武具会社の社員食堂。その片隅のテーブルにべしゃりと上体を寝かせ、ひんやりとした感触を頬に押し付けている。
食堂を使う時にはいつもこの席を使うようにしていた。よほどの満席状態でもない限り、この席が誰かに使われているのを見た事がない。
ていうか、聞いた話では新入社員の研修の段階で、この席はなるべく座らないよう教え込むのだとか。……あたしはジジババでも妊婦でも身体障害者でもないっての。
「はぁぁぁぁ……」
懐から取り出した1枚の書類を見やり、更に大きく溜息。こいつのせいで、あたしはこんなにも気分が重い。恨めしげに書類の文字1つ1つを目で追って行く。
「なぁに若い娘がババ臭い声出してんだか」
「うひゃいっ!?」
飛び起きる。振り向くと、恰幅の良い中年の女性がやんわりとした笑みを向けていた。
「な、なんだ、おばちゃんか」
社員食堂を切り盛りする人員を束ねる、顔馴染みのおばちゃんだ。ウェレイが社長秘書になったのは4年前の事だが、彼女は食堂の主として実に30年以上、この社員食堂の運営に現場で携わってきたらしい。先代社長とは飲み仲間だったとか。
「ホントのババ臭い人に言われると、結構へこむね」
「言ってくれるじゃないか。……ん? 何だい、その紙」
「え……だ、ダメダメダメ! 見ちゃダメ、これ重要書類だから!」
「重要書類をこんなとこで見てんじゃないよ」
苦笑を浮かべるおばちゃん。ウェレイも愛想笑いを返す。
危なかった、気をつけなきゃ。己の浅はかな行動を恥じ、書類を折り畳んで懐に仕舞う。
時刻は夕方。もうそろそろ日が暮れかけてきているので、あっという間に真っ暗になってしまうだろう。
時間が空いたので、社長から召集が掛かるまでだら~っとしようと思い食堂に来たのだが、そろそろ夕食を食べにくる人が増えて来るだろう。
もうちょっとしたら行こう。心中で頷いた。
「しっかしまぁ、この会社もタフだよねぇ」
と、おばちゃんがぽつりと言う。
「いきなり何の話?」
「いや……ね。先代が亡くなって、あんな事件も起きたってのに、今まで通りにやれてるだろう? 雇われの身でこんな事言うのもアレだけど、今の社長の代でだいぶ小さくなっちゃうんじゃないかと思ってたんだよねぇ」
「……みんな、頑張ってるって事だよ」
澱んだ声で返す。おばちゃんは肩をそびやかし、無理し過ぎちゃいけないよ、と笑った。
おばちゃんは知らない。スコルピオが先代の死によって生じかけた損失を、〝裏取引〟という形で補填している事なんて。
〝裏取引〟自体は、規模にもよるが大した犯罪とは言えない。黙認されている企業なんて幾らでもあるらしいし。
けど、会社はあくまでヴァーヌミリア市民の需要、もっと言えば信頼に支えられて成り立っている。そこが崩れるだけで、いとも容易く会社は潰れていく。
だからおばちゃんは、知らなくていいんだ。雇われの身である彼女に知られる事は、会社にとっては致命的なリスクとなりかねず、彼女にとってはただの重荷だ。
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