(8/9) 幻影のかなたに  ~Precious Memories~ 第1話 

4月ももう半ば。

 午後の昼下がり、玲奈と有希、そして明菜はいつものように文芸部の部室で、それぞれゆったりとした午後を楽しんでいた。

 明菜は少し前に流行ったSF小説を、有希は表紙からしてどぎつい恋愛小説を、そして、玲奈は有希に貸してもらったある作家の短編集を読んでいた。

「これなら本が苦手な玲奈ちゃんでも読めると思うんだあ」

 と言って差し出された本を、彼女は突き返すことなどできるわけもなく、意を決して読み続けているのだが、なるほど、確かに読みやすいし、そんなに長い話が入っているわけでもないので、読んでいて飽きることがない。

 玲奈は有希のセンスに感動した。

 少し、図書館で有希と一緒にお気に入りの本を探すのもいいかも、とすら彼女は思った。

そんな眠たくなるような昼下がりの陽気に、玲奈も少しお昼寝でもしようかと思った、その時だった。


 ばたん、

 と乱暴に扉が開いた。


 そしてその奥から、

「有希ちん!元気かしら?」

 と、背の低い元気そうな少女が勢いよく中に入ってきた。

 背は短く、綺麗な青紫色の髪を、ポニーテールに結った勝気そうな少女の姿が、そこにあった。

「うわあ、誰かと思ったらるりるりじゃあん。私は元気だよぉ!」

 有希は入学式のときほどではないが、やはりテンションは高めだ。

「おお元気! それは幸先がいいわね! ん? 有希ちん、あれは誰?」

 その少女は玲奈の方をまっすぐ指差した。

「あれはねえ、私のルームメイトの千住玲奈ちゃんだよお!髪の毛ぱっつんぱっつんでほんほんわかわかしてて、それでそれですっごおおおおおおくいい子なんだよお!」

 相変わらず玲奈のことになると有希はなぜか興奮するらしい。

「ふうん、そうなの。あたしは渋谷瑠璃しぶやるりよ! 覚えときなさい! うーん、玲奈だから……玲奈ちんかしら? いや、なんか違うわね……レナレナ? うーん、あ、そうだ玲奈ぽんにしましょう! そう、それで決まりだわ!」

 瑠璃は、初対面の人にも物おじすることなく一歩ずつにじり寄るように近づいて、ものすごい勢いでしゃべり始めた。

「は、はあ……。あのっ、あたしは何て呼べば……?」

「何、好きに呼べばいいじゃないの!」

「は、はあ……じゃっ、じゃあ、瑠璃ちゃんでいいかな?」

「ええーっ、もっと変わったのがいいんだけど? なんかもっとセンスのいいやつ考えなさいよ!」

「るりるりぃ、そんなに玲奈ちゃんいじめちゃダメだよぉ、玲奈ちゃんってば高校からの編入生でまだこの学校のことよくわかってないんだからさあ」

「へ、へえっそうなの! あんたそれならそうって早く言いなさいよ!」

「は、はあ……ご、ごめんっ」

 この瑠璃という少女は、常に高気圧といった感じだ。玲奈や有希とは異種のものではあるが、傍から見れば、玲奈、有希、瑠璃の三人ともが「高気圧ガール」と呼ばれるだろう。いっそのこと、「高気圧ガールズ」とでも名前を付けたユニットを組んでアイドルとしてデビューすれば、三人とも顔は悪くないのだしそこそこの活躍を期待できそうではある。

「しっかし編入生っていい響きよねえ! あたしも編入生のお友達が欲しかったのよ! ということで……玲奈ぽん、あんた書道部に入りなさい! 書道部のマスコットキャラクターとして、あんたは書道部に入る運命、いや、義務があるわ!」

 瑠璃はぱしっ、と小気味よい音がするかと思うくらい人差し指を勢いよく玲奈に向けた。もちろん、聖アーカンゲルの女子としては、相手を挑発する意味合いのあるこの行為はご法度である。

「ちょっとるりるりぃ。玲奈ちゃんはもう文芸部に入っちゃってるから書道部は……」

 有希が苦笑しながら止める。

 一方、玲奈はもはや瑠璃のテンションについていけなかった。

「いいじゃないの、文化部二つくらい兼部なんて余裕じゃない!」

「いやあ、ちょっとそれは……」

「もう、玲奈ちゃんは学校の生活に慣れるだけでも大変なんだからあ、そんなのは後でいいでしょ。それよりるりるり、どうしてここに来たのぉ? いつもは部長が苦手だからあんまり来ないじゃん」

「ちょっと有希ちん、本人の目の前でそういうこと言っちゃダメでしょ! ってそんなこと言いに来たんじゃないわよ! ……で、なんだっけ? ああ、そうだった思い出した。そうそう、あんた、この学校ってFM放送局があるの、知ってるわよね? 実はあたし、放送委員長の子、えーと何て言ったっけ、りょこたんって名前を付けたところまでは覚えてるんだけど……」

「ああ、新富しんとみさんね?」

「そうそう新富さんよ新富さん、確かそんな名前だったわ。そう、それで、そのFMラジオにその子がやってる番組があるんだけど、その番組の部活紹介に書道部が指名されたのよ! これってすごいことじゃない?」

「でえ、それとうちと何の関係があるのぉ?」

「あら、有希ちんともあろう子が、この番組知らないの?」

「だってFMラジオなんて持ってないもぉん!」

「いやいや、あんた生徒証のカードの中にFMラジオ受信機があるじゃない! もしかして知らなかったの?」

「そんなこと今初めて聞いたよぉ! ねえ部長、それって本当なんですか?」

 有希は思わずむきになって明菜に問いかけた。

「んだよさっきからわあわあわあわあうっせーなあ。……ああ、本当だよ。先代の校長がよ、FMラジオが好きで作ったんだと。で、今の校長も無線オタクだからそのまま残したって噂だぜ」

 明菜はぶっきらぼうに言った。しかし、有希は機嫌が悪いからそうしたわけではないことを知っている。

「そうなんですかあ。じゃあ、私たちも今度聞いてみましょう。ねえ、玲奈ちゃん」

「う、うんそうだねっ」

 いきなり話を振られた玲奈は反応しきれなかったようだ。

「ああ、もお、ほらぁ、るりるりがいじめるから玲奈ちゃんついていけなくなっちゃってるじゃあん」

「そんなことどうでもいいじゃない! それよりさっきの続きだけど、その新富さんの部活紹介番組は、部員同士のつながりで部活を紹介していくんだって。だから……」

「文芸部の紹介をして欲しい、と」

「そうそうそういうことなのよ! それで、おしゃべりが上手い有希ちんにお願いしたいってわけ。もちろんやるわよね?」

「はあ……それって私じゃなきゃダメかなあ?」

 有希は珍しく弱気になっている。

「いや、まあ、ぶっちゃけ他の部でもよかったんだけど、でも、文芸部ってまだ一度も部活紹介に呼ばれていないらしくて、新富さんがぜひってもううるさいのよ!」

「じゃあ、玲奈ちゃんと一緒なら出るよぉ」

「え、ええーっ、ちょっと有希ちゃん!」

「いいじゃん。こんな可愛い子が入ってる部だってわかったら、きっとみんな文芸部に入ると思うよお?」

 そもそもラジオなのだから顔は映らないのだが、有希はラジオというものを実はよく知らないのだ。なぜなら、ここ数十年で情報メディアは大きく発達し、カードサイズのテレビや動画閲覧能力のあるモニターが大量生産されたため、音声のみの配信であるラジオが一気に衰退していったからである。現に、玲奈もラジオがどういったものなのかはよくわからないし、レトロな機械が大好きな明菜でさえも、FMラジオの構造などはよく知っていたが、実際にラジオ番組をよく聴いているわけではなかった。

「まあ、いいわ。そこはあたしから新富さんに掛け合ってみる。じゃあ、文芸部出演決定ね! あたしなんか、もう今週の水曜日が楽しみよ!」

「ねえ、その番組って、いつやってるの?」

「部活紹介は、毎週水曜日の午後四時からね。毎日違うコーナーをやってるから、毎日聞くといいわ!」

「そう、わかったあ。そう言えば今日波璃ちゃんはあ?」

「波璃ねえ、最近図書館に籠ってるのよねえ……。なんか面白い本でも見つけたのかしら?それならあたしに教えて欲しいのに……あっといけない、収録の時間だったわ!じゃあ、こんど新富さんがここに来るみたいだから、その時に打ち合わせってことで! じゃあまたね有希ちんと玲奈ぽん!」

 と、嵐のようにやってきた渋谷瑠璃は、雨のように言葉をまき散らし、やはり嵐のように去っていった。

「す、すごい人だったね……」

「あの子、いっつもあんな感じなんだよお。すっごい元気だよねえ。なんか、玲奈ちゃんの元気とは質が違うって感じ?」

「うーん、そうなのかな?」

 別に、玲奈は自分が元気な人間だとは思っていないので、なんとも答えようのない質問であった。

「でもね、あの姉妹すごくきれいな顔してるから学校では有名なんだよねえ。たまにちょっと波璃ちゃんがかわいそうかと思うけど」

「へえ、そうなんだ。でも、確かにめちゃくちゃ綺麗な女の子だったね」

 そう、渋谷瑠璃は、口さえ開かなければ、誰も何も文句を言わないような、とても美人で奥ゆかしそうに見える女の子なのである。

 しかし、一度しゃべらせるとその怒涛のような言葉の洪水攻撃と、相手に有無を言わせない超高圧的態度でこちらをたじたじにしてしまうのだった。

「あ、波璃ちゃんはるりるりと違ってすごくおとなしいしぃ、いい子だから大丈夫だよぉ」

「へえ、え? 大丈夫って?」

 玲奈は有希の何気ない一言に気づいた。

「もお、玲奈ちゃん、ちゃんと話聞いてないとだめだよぉ。ほら、波璃ちゃんに会いに行かなくっちゃ! ああ、今ならかわいい新人図書委員まで見られちゃうかもだよぉ。さあさあ急ぐよ玲奈ちゃん!」

「おい、綾瀬。お前はしゃぐのはいいけど、ちゃんと文章書けよな。千住はまあしょうがないとして、おまえの文章は結構うまいし量もあるからよ、俺も結構期待してんだよ。お前、再来月までに原稿書き上げなかったら……ああもう考えるだけで恐ろしい! もうあいつの力を使うしかねえのかな……いやいや、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ……」

 明菜は立ち上がって有希に注意をしようとしたが、先日の綾香との約束を思い出してぞっとしたのか、頭を激しくかきむしって結局元の椅子に倒れこむように腰をおろして再びSF小説を読み始めた。

「なんか部長もヒステリーっぽくなってるしぃ。こんな時は図書館が一番だよお?」

「ま、まあ……それもそうだねえ。よしっ、あたし、まだ図書館に行ったことがないから、有希ちゃんに案内してもらいたいな」

 玲奈がそう言った途端、有希の顔は突然蛍光灯がついたようにぱっと明るくなった。

「そうでしょお? もお、玲奈ちゃんもだんだん私のことわかってきたんじゃなあい?」

「えっ、何言ってるの有希ちゃん?」

 玲奈の怪訝そうな顔に、有希は実を言うとかなり焦った。

「ん? ああなんでもないよ。今のは忘れて。じゃあ、そういうことで図書館へ!」

 二人は、まさに意気揚々として図書館へと向かった。

 その二人を、後ろから明菜が見守っていた。


 二人が去った後、再び静かになる文芸部の部室。

 そこに、またもや訪問者が現れる。


「あら、今日は一人なのね。いつもは綾瀬さんがいるのに」

 ゆっくりと静かに扉を開けた少女は、落ち着いた紫色の髪をうなじの辺りで短く切った髪形で、縁のない眼鏡をかけている、少し控え目で清楚そうな、聖アーカンゲル女学園の生徒として模範的であるとされるような格好をしていた。

 それもそのはず、入ってきたのは、

「おう、楓か。あのさ、ちょっとわりいんだけど……」

「部誌、手伝って欲しいんでしょ?」

 泣く子も黙る風紀委員長、水天宮楓すいてんぐうかえでその人だったからである。

「おう……よくわかったな」

「……あのね、私、これでも生徒会副会長もやっていたし、綾香のやりそうなことくらい、大体分かるわよ。それに、あんたの所の会計は、全部私が監査させてもらっているから」

「じゃあ、何で早く来なかったんだ?」

「私が助ける前に綾香が私にそれを話したのよ。あの子は、いつもいつもそうやって小狡い手を使って私をからかって楽しむのよ……まったくひどい女ね、乃木坂綾香は」

「おいおい、ずいぶんとご機嫌斜めじゃねえか」

 生徒会が生徒たちの羨望のまなざしを一身に集めている権力機関であるとするならば、風紀委員会は生徒たちから敬遠のまなざしを送られるそれである。

 それほどまでに風紀委員会は嫌われているが、それは彼女たちが校則を遵守させようとし、教師の眼の届かないところまで生活を指導するという職務にもよる。よって、部や生徒会とはまた違った権限を与えられるこの学校の五委員会、すなわち、風紀、図書、放送、新聞、美化の諸委員会の中でも、断然生徒からの人気がないところである。

 しかし、それでも風紀委員会がなくならないのは、風紀委員だけに与えられている特権が存在するからである。

 それは、生徒会に対する監査権である。

 生徒会は、完全に教師たちからも独立したひとつの政治機関であるために、風紀委員会以外ではそれを監査することも許されない。

 また、風紀委員会は選挙や各委員の罷免会議などにも強い権力を持っている。

 それが、風紀委員会が憎まれている理由でもあり、また委員がいなくならない理由でもあった。

 つまり、権力分立の立場にのっとった正当な立場から、生徒会のやり方に異を唱えることができるのだ。

 楓も、まさにそういう理由で風紀委員会に入ったのだった。

 そうでなければ、わざわざ生徒会の副会長にまでなったのに、その椅子を手放すはずがない。

 とどのつまり楓は、綾香が大嫌いなのだ。

「だって、いつも平気で泣きついてくるはずのあんたが、今の今まで全くあたしに頼らなかったじゃない!」

「お、おう……だってよ、今回は、部員が三人だし、それにお前いっつもいやいや文章書くからよ、なんかわりいなと思ってな。……なんだ、お前結構文章書くの好きなのか?」

「ああ、なるほど。よーく分かったわ! 新しい後輩が入ったからかっこつけたかったってわけ? まったくあんたって子は、いっつもそうやって無理するんだから! わかってると思うけどね、そうやってあんたが無理をして倒れると、看病するのは同室の私なのよ! だから、私はあんたに無理をされるのが一番嫌なの! わかる?」

 楓の剣幕に、明菜はただただうなだれるばかりだった。

「わかったって。ごめんな。まさかお前に迷惑をかけるとは思わなかった。ああ、俺はどうしようもねえ馬鹿だ。だから、楓、頼むぜ。……この俺を助けてくれないか?」

 明菜は、まさに青菜に塩をかけたようにしょんぼりとしている。

 そんな彼女を、楓はさっきまでの剣幕はどこへやら、とても優しい目で見ていた。

「まったく、当たり前でしょ。大丈夫、あんたをあのレズ女なんかに絶対引き渡さないから。で、どのくらい書けばいいの?どんな量でも書くわよ、しょうがないから」

 彼女の眼鏡の奥の瞳は、わずかに輝いていた。

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