3-2 第1回文学フリマ京都について

 初めての遠征は、結構大変だったのを覚えている。什器を含めた在庫を手搬入で持ち込んだ。それ自体はまあいい。当時は今以上にずっと無名のサークルであったし、なにより合同が空中分解したし、文章が上手いけどひととしてどうなのよ、と密かに思っていた知り合いはぼくがけちょんけちょんにけなした小説で新人賞を取ったし、勤め先では春から入ってきた新人と上司がぶつかるのをどうにかしてなだめる役ばっかりだったし、そういった小さな悲しみが募っていた。おまけにぼくは京都をよく知らなかった。よく知らなかったからというのと、第1回、つまり初めての文学フリマというところに興味を抱いて遠征を決めたのである。イベントは1月に開かれていて、センター試験の追試の日だった。すなわち、ぼくが決断した時点でほとんどの宿は埋まっていて、非常にいいホテルしか空いておらず、しかたなくかなりの金額を支払ってそこに宿泊した。往復の運賃含めて4万円である。同じ値段でぼくは福岡にも、札幌にも行ったと書けば、いかにいいホテルしか空いていなかったかがわかるだろう。そして京都は想像以上に寒かった。芯から凍るというのはこういうことだと知った。緯度がぜんぜん違う福島県郡山の冬を連想するくらい寒かった。歩いたつま先から凍っていくような感じがした。入ったラーメン屋の塩辛いラーメンが沁みた。


 余談であるが、この京都のみならず、ぼくは遠征時にまともな観光をしていない。旅行だと思えないというのもあるが、ぼくはもともと旅行があまり好きではないから、というのもある。後述する今田ずんばあらず氏とはそこがおそらく対照的ではないかと思っているし、ぼくが全国の文学フリマを制覇すべく遠征をしようとその意思を確立したのはここよりもあとのはなしになる。つまり、ぼくは行った先の観光地としての価値をさほど重視していない、といったほうが近いだろうか。非常に傲慢な言い方をすれば、ぼくは文学フリマやその他のイベントにかこつけて、開催される都市そのものを感じたいから行っている、といったところだ。京都はかなりの部分観光地になっているところがあるが、やはりその本体は政令市のひとつでありすなわち日本有数の大都市で、京阪神ネットワークの北方のハブであるところの京都という都市とインフラそのものであり、それを歩き回って感じたことがもっともおもしろかった。地下鉄に乗ったり、行き交うバスを見たり、京阪に乗り間違えたりしたのもすべてが経験で、京都という街の独特な雰囲気と、特色ある旅客輸送システムに思いを馳せることができた。とはいっても、当時はそこまで意識的に考えていなかったので、あとになって「京都に行ったらしいことなんもしてないな」と思って愕然とした記憶がある。だがぼくはこれ以後もそれらしい場所に行ったのは金沢と広島くらいで、それ以外の都市はその辺をぶらつくだけだった。それにはこういった理由があるのだろうと今になって思うのである。そう、ぼくは都市が、都市そのものが好きだった。まちの営み、それ自体が旅行よりもずっと好きだったのである。


 という長い前置きはさておくとして、第1回文学フリマ京都はいろいろな意味で学びが多かった回である。当時「V~requiem~」を書いていた関係で幻想小説ジャンルに設定したのだが、それがあだとなったのか両隣が文芸界の巨大サークルで、両隣の片方に来た人が自分をとばして反対側の隣に向かうということが非常に多かった。ちなみに、その中でも特によく覚えているのが、のちに「尼崎文学だらけ」の主催と参加者という関係で知り合うこととなるにゃんしー氏である。氏は和装で現れ、どこか詩人らしい印象を残して両隣に挨拶して去っていった。おもわずぼくは「にゃんしー」と検索していろいろ調べてしまったくらいだった。結局そうして調べた結果ぼくは「尼崎文学だらけ~夏祭り~」に出展し、その後なんだかんだいろいろあって氏のブースにぼくと「かれ」の最初で最後の協作集である「平成バッドエンド」を置いてもらう流れになったのだが、それについてはしかるべき段で詳しく書くだろう。

 結果から言うと、この回の頒布実績はここまでの活動の中で最低の、たった1部だった。今となればその原因は明らかだ。まず、幻想文学の要素がほとんどない構成なのに幻想文学で申し込んだこと、そしてもうひとつが「短編量り売り」をやったことであった。

 「短編量り売り」は前述の通り長編を書いている関係で短編集を出せず、また「順列からの解放」を新刊と言うこともできなかったぼくが苦肉の策として目を引いてもらおうと考えて出した、ひとつの失策である。これは、好みの短編を組み合わせてあなただけの短編集を作ろう、というもので、ぼくはその短編の性質を分けて「ごうがふかいな」という単位をつけて、その「ごうがふかいな」の量に応じて課金するというシステムで売り出した。今から考えれば、これはほぼすべての面において頒布が出るはずがないということがわかる。まず短編量り売りということで十編くらいの短編を出したのだが、それを並べていても、全部異なるテイストのものなのでそれを調べるためにはまず立ち止まって読む必要がある。自分がブースに来た人の目線に立てばすぐわかるが、そんなものをいちいち読むほどの時間は一般参加者、とりわけぼくのことを知らない読み手にはない。そして、この京都という地は当時のぼくにとっては未踏の地、つまり地縁がほとんど存在しないところだった。何も知らない人間が藁半紙に印刷しただけの短編を好きこのんで買うような人間がいれば本当にありがたかったが、もちろんそんな奇特な存在がいるわけがない。しかも、この「短編量り売り」はすさまじくブースのスペースを必要とする。A5サイズの冊子を十並べるのだ。それだけでブースのほとんどを使ってしまう。そう、本当に売るはずだった「順列からの解放」ほかの既刊が完全に目立たなくなってしまっていた。つまるところ、ぼくは売るために遠征したにもかかわらず、その設営には売る気概が微塵も感じられなかったということになる。むしろ、これでゼロでなかったことのほうが、今から考えれば驚きだった。そしてぼくは懇親会にも参加せず、そのまま何時間か時間をつぶして夕方の新幹線で帰った。せっかく4万もかけて遠征したのに、ほとんど何も得られなかった、というように考えていたが、このときのぼくがいたからこそ、その後、第5回のテキレボや前述した「尼崎文学だらけ」などの出展につながっていくので、この参加自体がいわば大きな伏線だったともいえる。この結果であきらめなかったのは、単純に愚鈍だったともいえるが、前述したように、遠征することによって新たな地方都市との出会いがあるということを直感したからではないかと今は思う。

 だから、やはりぼくが本格的に活動を始めた、その端緒となったイベントといえば、この第1回文学フリマ京都なのではないかと思うのだった。

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