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 すでに何名かの書き手がぼくのこれらの現象について、リアルとネット上を問わず言及しているのであるが、これを書いた時には何も考えていなかったのが、逆に恐ろしい。ぼくと「かれ」は互いに共犯関係を築きながら、お互いをしっかりと監視して把握していたということになる。ちなみにこれも「順列」前の数少ない純文学系であろうと思う。まあ、学園ものではあるのだけど、性格的にはそれでまちがいない。

 「かれ」はこの作品と「春なのに工事中」が当時の読み手にもっとも反響があったことに味をしめたのだろうと思う。ぼくから生み出される小説は、如実にこれら現代物の純文学に類するものが増えていった。中学時代から高校時代にかけて、芥川賞に対する異様な執念があった頃に読みふけっていた「純文学」の小説の構造が、ぼくと「かれ」に何らかの光明を与えたのかもしれない。特に、又吉直樹と羽田圭介が受賞した回は、ぼくにとって特別だった。おそらく、あの二作が初めて「書き手として」読んだ芥川賞作品であると思うし、小説を、その構造や他者の評まで含めて、はっきりと批評的に読んだのもあれが初めてではなかったかと思う。これまでにも、大学の文芸サークルでは原稿を回し読みして意見を言い合う批評会なるものがあったが、ぼくは意図的にまじめに批評することを避け、「感想」に終始していた。それは、ぼく自身が批評というスキルに対してあまりにも素養がないと判断していたからであるし、実際まともに批評したことも、できたこともなかった。ぼくが批評に少しばかりの自信を持ったのは、悲しいことに、インターネットでの批評ということばの取り扱われようと、自称「批評家」たちの文章を手当たり次第に読んだ結果であった。かれらはぼくの想定以上に、平均スキルが低かった。少なくともぼくが読んだ批評文は、めちゃくちゃ学問的な言葉を引用しただけの、ただ読みにくい「感想」の域を出たものはほとんどなかった。これらが批評とされていることに憤りがないこともなかったが、しかし、逆に考えればぼくがある程度批評を垂れ流しても、その流れのひとつとしてやり玉にあげられることは少ないだろうと打算的な考えも浮かんだ。ただ、かれらは決定的に、書き手に対する敬意というものを欠いていたように思った。書き手が、その作品を書くに至ったものの流れというのは、もちろん読み手は無視をして当然なのであるが、書き手にとってはそれも作品の一部として意識されやすい。その不平等さが端的に現れていた。だからこそぼくは、書き手に対する敬意を最大限払いながら、単なる感想以上の何かを表現すべく、シーズンレースの文章を書いていった。おそらくそういったこともあって、この試みはそれなりの結果を残したのだろうとは思う。ただ、はっきり言ってしまえば、これは書き手のみなさんに対するサービス以上のものではなく、次第にぼくは自らのスキルとキャパシティを大幅に越える質と量を抱えることになってしまった。対象となる作品は可能な限り読んでいこうと思っているが、それがいつになるのかはわからない。最終的にどこかで本にしたいとも思っている。けれど、それもいつになるかはわからない。とにかく、これはぼくが書き手の世界にいられるための活動であると考えているので、どうにか筋を通したいとは思っている。

 そして、書き手として読んだ小説は、それまでの単なる読み手として読んだときと全く「味」が違っていた。特に前述した又吉直樹の「火花」は、読み手としてはとくにぐっとくるものがなかったのだが(芥川賞作品としてはままあることである)、書き手として読んだとき、これが芥川賞を取った理由が感覚的に理解できた。だからぼくは、そのリスペクトを込めつつ、ぼく自身の「純文学」のその先を書いていくという試みを考えた。ぼくにとっての「純文学」は、ひとの息づかいであった。そのひとが確かに存在する社会で、かれらがどのような息づかいで生きていくのか、ということを書いていくのがそれであると思っていた。

 だからこそ、もともとお笑い芸人であった又吉直樹が漫才を軸にした小説を書いたことがとてもうらやましかったし、そういった目線で読むと、その息づかいの精緻さが心に残った。ぼくもそんな小説を書きたいと、明確に思った。今までの感覚からして、男女の恋愛感情に支配されきっていないやりとり、のようなものに対しなにがしかの執着があることに気づいたぼくは、「火花」のオマージュであり、表現者としては軸を同じくしているぼくが、やはり表現者として共通するプライドのようなものを背負って生きていく人々の息づかいを描きたいと思ったのである。

 そこでひとつの案を思いついた。売れない男女の漫才コンビが、だらしない恋愛関係から夫婦というもうひとつの枠組みを形成するまでを書くのはどうだろうか。そう思ってからかれらを書きはじめるのにさほど時間はかからなかった。当時、同じくしてぼくは自分を売り出す軸のようなものが全くないことに気づき、同人の世界で注目されやすそうな作品集を作ることを考えていた。それが、実在しない鉱石をトリビュートするというコンセプトの「幻石(ゲンセキ)」であった。残りの石がファンタジックで、またアンソロジーや長編とも連携していることから、前述した作品も「純文学」でありながら、ここに含めることを考えた。

 そうして「まだらな二人」は「虎翳石(トラコナイト)」というモチーフを得て、ぼくの中でも珠玉の出来になった。「幻石」も、ここまでぼくが発表した作品の中では二番目に頒布数の多い作品として、ぼくの界隈内における実績のひとつとなった。

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