2-9

(2-8は都合により割愛します)


 同人を続けていくためのモチベーションの中で、多くの人間の主な部分において、承認欲求があるのではないかと思う。ぼくは承認欲求自体は極めて低い。いや、低いというほどではないが、同人を続けていくためのモチベーションとして活用するには低すぎるという意味で、低い。ぼくがやっかいなのは、自己顕示欲が極めて高いことと、顕示すべき政治思想が極めて偏っていながら、それが許されるべきでない立場にいること、怒りと恨みをベースにした感情体系でありながら、やはりそれが許される現実的社会ネットワークを形成していないこと、などがすべておなじひとりの人間の身体のもとに集約しているということである。

 あえて難しい書き方をしたのでわかりやすく書き換えると、ぼくには現実世界で、社会的なものを排することのできる交友関係、および、血縁関係が存在しないということである。だからこそ、ぼくはすべての人間に対して、ほぼ同じような割合でタテマエとホンネを語っているように見せている。その実、それが現実上に存在する、ぼくの戸籍名での発言であれば、それらはほぼ間違いなくすべて、まったくの嘘であるという自信がある。嘘であるというのは、発言した内容のすべてが事実に基づいていないという意味ではない。発言した内容の要旨や、そこから類推される事実のすべてが事実とは全く異なる、という意味での「嘘」である。事実と異なったことは言っていないが、事実はおそらくあなたが考えているであろうものとまったく異なっている、というようなものである。

 だからぼくは自己を保つことそのものが精一杯で、ほかのひとのことなんかいちいち考えていられるほどの余裕なんかまるでないし、実際なかった。雑に表現すれば、ぼくはある種のサイコパスでありながら、それとは別種のサイコパスであろうとした。それらの齟齬による自我の分裂、これが「かれ」を生み出したきっかけなのかもしれない。実際、「かれ」はぼくに持ち得ないものを持ってはいたけれど、もちろんのことながら、その「かれ」の実績はぼくのものとして評価された。そうしてぼくと「かれ」は根本的なところで袂を分かちながら、共存し続けた。そうして、ぼくはぼくで、これがぼくの実績でないということを見抜かれるのをどこか恐れていた。

 実は、それを暗示している作品を「そりゃたいへんだ。」時代に書いている。以降に掲載する。

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