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 「そりゃたいへんだ。」というサークル時代のぼくのことを知っているひとは、かなり古株だと思うし、現にほとんどいないだろう。でもぼくは確かにあのサークルを立ち上げて、合同を組んでいた。表紙を後輩にお願いしたり、コンセプトを考えるのは楽しかった。メンバーはひょんなことから集まったから、はっきり言ってしまうと団結力はなかったし、それぞれがそれぞれ、自分のサークルとしての活動をやっていたので、その辺が長く活動できなかった要因かとは思っている。あとは、ぼく自身が、途中で大きくモチベーションを消失してしまったというのが極めて大きい。とはいえ、ぼくはすでになぜこのサークルが途中から分解してしまったのかを思い出せない。まあ、よくあることなのだろうということは、インターネットで観測している以上はその通りなのだと思う。

 ぼく、もとい、書き手ひざのうらはやおとしては、この「そりゃたいへんだ。」時代までが初期、あるいは前期と呼んで差し支えない時代だろうとぼく自身は思う。もっとも、さらに厳密に言えば、高校時代の「木工ボンド班」所属時代、大学時代の文芸サークル「伽藍堂」時代、「そりゃたいへんだ。」時代に分かれはするが、おおよそ、共通して無邪気さが根底しているという意味でひとつに括れるだろう。個人誌としては、第一短編集の「HARDCORE×HARDCORE」から第三短編集の「妄想の中でグローリーガールが宙に浮くから僕は彼女が好きすぎてたまらないんだけどいまだにそれを認められずに書きためた手紙をかき集めて作った表層をなぞるだけの指数関数、もしくは世界が滅びるまでのわずかな間に残された一縷の希望」までがそれにあたる。第四短編集「順列からの解放」からが、おそらくこの文章を読んでいる多くのひとが目にしている、初期を通過したひざのうらはやおである。「順列」以降、SFとファンタジー、もしくはライトノベルが主戦場であったぼくは、これ以降急激に、それまでほんのわずかしか書かなかった純文学に大きく偏重していくこととなる。

 その端緒をうかがうことができるのが、ここまでの純文学的小説の粋が凝縮されていた、収録作品の「春なのに工事中」である。せっかくなのでこちらにも掲載しよう。

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