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 「かれ」が球体の生物として像を結ぶようになったのは、大学に入ってからだった。そのころはちょうどスマホが出始めたころで、だけれどぼくはずっとツイッターをする以外に有効に活用してはいなかった。ツイッターはぼくにとって、これほど合ったサービスはないというほど画期的なSNSであった。ぼくは根源的にことばですべてを知覚し、ことばですべてを思考し、ことばですべて表現する。ことばを最大限に偏重した、このSNSはまさにぼくのような人間のためにあるのだと思うし、今でも非常に重用している。

 ひょんなことから、いたずらで自分のアイコンを球体の生物にしてみたことがあった。モデルはもちろん、まんまるピンクのあいつである。でもそれは藁半紙にブルーブラックのインクで書かれた偽物なのだ。だからぼくは「かれ」のことをそいつの偽物ということで「かーびぃ氏」と呼ぶようになった。全部ひらがなにしているのはそういうわけである。まんまるピンクのぽよぽよなあいつではないのだから、カタカナになぞできるわけがないのである。「かれ」は球体の生物という確固たるよりしろを得てから、ぼくにより積極的に話しかけるようになってきた。ぼくが大学の文芸サークルに入ったころには、完全に意思を持つ、ぼくとは別のなにものかであった。「かれ」が動き始めれば、ぼくの脳内も逆説的に定義される。曖昧模糊とした脳内に疑似的な空間ができあがり、「かれ」の居室が生まれた。共存だとか、寄生というわけではない。どちらかといえば、「かれ」によってぼくの精神構造が外部化され、領域が定義されたということだと思う。

 大学時代が、おそらくもっとも執筆時間が長い期間だったように思う。ぼくはほとんど小説を書くか、マンガを読むか、ゲームをするかのどれかをしていた。それは長い目で見ればすべて創作に関わる行動といっても過言ではない。高校の前半まで、ほとんど純文学とSFしか吸収していなかったぼくにとって、大学時代は完全に外の世界だった。すべてが新鮮で、あたらしく、それでいて低俗でうすっぺらで、自分がいかに矮小で自閉的な世界観を持っていたかを身を持って知った四年間だった。同じく、ぼくがいかに「かれ」に支配されていたのかも知ることができた。それに悩まされたこともあったが、実のところ、悩まされていたことそのものに気がつかないくらい、ぼくは鈍感だった。当時の作品も半分がライトノベル風で、ぼくはライトノベルこそ活躍できるという風に考えていた。今から考えると、むしろ、このライトノベルという分野こそ、おそらくぼくのもっとも苦手とする分野だったと断じることができるくらいになるわけだが、当時のぼくはそれすら理解できなかったのである。誰がどう見ても、調子に乗っていたのだ。

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