第55話 交差する世界のノイエ・ヴェルト(その4)
光の粒と化したユカリは不思議な世界を漂っていた。
どこまでもが自分で、どこに行っても自分がいないような感覚。昼と夜が同居し、空色と鈍色と瑠璃色が目まぐるしく変わっていく。その中で、いくつもの光景が混じり合う。
教科書で見たような石器時代の格好をした人類が石を磨いている姿。十字の刻まれた旗をはためかせながら更新する兵士たち。爆撃機の攻撃を受ける戦艦に、壁を破壊して歓喜する人々。下落していくスクリーン上の数値に呆然とする人々に、落下傘を背に降下していく無数のノイエ・ヴェルトたち。
そして、燃え盛るビル群と戦争の終結を祝って肩を抱き合う姿。
世界のあらゆる場所のあらゆる時代にユカリはいた。それら景色が凄まじい速度でユカリの中に入り込んでいき、通り抜けていく。終わりの見えない世界中の時間の流れの先で、やがてユカリを出迎えたのは圧倒的な光の奔流だった。
目がくらむ。あらゆる物の境界すら塗り潰すようなそれの中にユカリは飛び込んでいき――彼女の体がガクンと揺れた。
「……はぁ、はぁ、はぁ――!」
気づけば彼女は肩で息をし、激しく心臓が脈打っていた。消えたはずの腕はしっかりとシートをつかみ、しかし彼女の頭の中ではまだ先程までの感覚が色濃く残っていた。
頭に被っているヘッドギアの感覚も、シートの硬い金属質の感覚も感じることができる。それでもなお、ユカリの全身は未だどこか遠くにいる気もするし、逆にこのコクピットの中に存在するとも感じる。
果たして、自分は今何処にいるのか。自身のいる場所に自信が持てず、そこはかとない漠然とした不安を覚えていたが、その思考も目の前から聞こえてくるうめきによってかき消された。
「……伊澄さん?」
「ぐううぅぅ……」
伊澄は唸りながら自身の頭を強く押さえつけていた。うずくまるように体を丸め、全身が震える。歯は強く食いしばられ、眼が真っ赤に充血していた。
「があああああああっっ!!」
絶え間なく襲いくる激しい頭痛。それは、ノイエ・ヴェルトに長時間乗った時に伊澄が感じていた痛みの比ではなかった。
脳が際限なく膨張して頭蓋に押し付けられ、潰れている感覚。肩に刺さったリンクシステムから送られるデータと感情の濁流。あまりの痛みに意識を失い、しかし即座に今度は痛みによって強制的に覚醒させられる。それは、あまりにも膨大な情報が伊澄の脳へと届けられることによる、処理限界を超えた脳の過負荷によって生じる痛みだった。
「伊澄さんっ!」
大きく体を仰け反らせた伊澄に、ユカリが慌ててヘッドギアを取り去ろうとする。だがそれをエルの落ち着いた声が押し止める。
『ヘッドギアを外すとシークエンスが中断します』
「ンなこと言ってる場合かっ!」
『どのみちこのままではヴァッケル・グラーデなるモンスターにより全滅ですが?』
「ぐっ……」
『ご安心を。伊澄准尉のバイタルデータが落ち着きを取り戻し始めました。過負荷を乗り切った模様です』
エルの言う通り伊澄の反応が徐々に落ち着いてくる。息が荒く肩で息をしているし、頭は押さえたまま。目尻からは血の混じった涙が流れて頬を赤く染めているが、呼吸は段々と平素のものに近づいていた。
「……大丈夫かよ?」
「あ、ああ、うん。大丈夫……大丈夫だよ」
伊澄はユカリの問いに反応してみせるものの、うなだれてぐったりと疲労感を漂わせていた。
(なんだよ、これ……!)
伊澄の脳内にはおびただしい
そこに動物やモンスターの鳴き声が入り混じり、感情こそ不明瞭だが確かな命の存在を感じ取れる。
頭の中は未だ弾けそうな程に膨張を続けている。和らいだとはいえ頭痛は耐え難く、しかしその中でも伊澄は理解した。
(これが……『世界』……!)
そう認識したところで、伊澄の頭の中に形作られた視点が空へと昇っていく。雨の中を逆上り雲を抜け、瑠璃色から漆黒の世界へと足を踏み入れる。
そうしてその先に現れたのは数多の星がきらめく宇宙。今は見ることは叶わない、伊澄が憧れた美しい世界がそこにあった。
伊澄はグルリと周囲を見渡し、やがて一つの星を見下ろした。それは地球だ。赤紫のベールに包まれてなお、その鮮やかさを失わない、いや、いっそう美しさを増した水の惑星があった。
水の惑星にもう一つ、似た星が重なり、ぶれる。二つの惑星がぴったりと重なったその時、視点が急降下していった。伊澄の意識は再びコクピットに戻ってきて、また元通りシルヴェリア軍が戦い続けている光景を眼前に見る。
『――接続、完了。『オービス・テラウム・システム』演算開始。バイタル・ドライビング・ウェポン、起動』
エルの声に従ってコクピット内が一気に明るくなる。シートや周辺機器の縁に白く断続的に光が走り始め、ユカリのヘッドギア表面が、そして伊澄の肩に接続されたリンクシステム機器にも幾何学的な模様が浮かび上がった。
エーテリアの腰部が空気音を立てて左右に開く。そこから黒い金属の板が前方に向かって長く伸びていった。
先端で電気的な擦過音が鳴り響く。バチバチと火花が散ったかと思うと二枚の金属板の隙間で徐々に赤黒い球形の物が形作られていった。
『バイタルエネルギー充填中。CFリアクター稼働率八十五パーセントで固定。第二リミッターを解除して臨界稼働させますか?』
「……イエス、だ」
『承知しました。CFリアクターを
手元モニターにいつの間にか表示されていたリアクターの稼働率が上がっていった。九十を超え百に到達。それでも止まることはなくさらに上昇していく。
黒かった機体の中心部が薄っすらと赤く染まっていく。血管が這うようにして赤黒い光の線が機体全身へと広がっていく。無事だった肩や両脚の放熱用のフィンが開き、溶け落ちそうなくらいに真っ赤に輝き始めた。降り注ぐ雨がフィンに当たるそばから蒸発し、白い湯気が到るところから立ち上っていった。
「く、ぅぅ……」
『機内温度上昇。六十セルシウス度を突破』
リアクターから放たれる熱はコクピットをも熱し、伊澄たちの全身から汗が噴き出していく。それに呼応するように伊澄の中に流れ込む情報は勢いを増し、その衝撃を歯を食いしばって耐える。ユカリもまた意識が薄く広がって散り散りになりそうなのを必死に食い止めていた。
アームレイカーを握る伊澄の全身で血管が浮かび上がっていく。スーツから露出した首元から頬に掛けて、まるで神経が侵されていくように盛り上がった皮膚が浮き上がっていった。
「ユカリっ! 気分は……!?」
「最低っ、だよっ……けどこの、くらい……どうってこたぁねぇよっ!」
「なら上等っ……!」
『CFリアクター、臨界運転に到達――バイタル・ドライヴ・キャノン、発射可能です』
「了解っ!!」
『確認です、伊澄准尉――オートフォーカスをオフにしますか?』
エルの質問に伊澄はおびただしい汗を流しながら、ニヤリと口端を吊り上げた。
「――当然だっ!」
応答と同時に正面モニター上に表示されていた照準器が消える。ひび割れた映像が拡大され、その真ん中には戦場で跋扈する白き者の姿が捉えられていた。
「クライヴさんっ!!」
『伊澄!? 大丈夫なのかっ!?』
「大丈夫です! それより全員退避をっ!! 早くっ!!」
『……っ! 総員、退避っ!!』
伊澄の呼びかけに反応したクライヴは一瞬戸惑うも、エーテリアが何かしらを発射しようとしていることに気づくと即座に呼応。ヴァッケル・グラーデ相手に奮闘していた部下たちに命令を下した。
白き巨体に集っていたノイエ・ヴェルトたちが一斉に離れていく。ヴァッケル・グラーデはその様に戸惑ったような仕草を見せるも、エーテリアから放たれる異様さに気づいて、伊澄たちに向かって走り出した。
『■■■■■■――っっっ!!』
巨躯を揺らし地面をえぐる。咆哮を上げ、画面の中のモンスターが次第に巨大になっていく。
伊澄はジッと獲物を見つめていた。呼吸は止まったように穏やか。心臓の音さえ今の伊澄には届かない。
世界の声が脳裏から消え去っていく。頭の中に描かれた様々な世界が入り混じる幻想的な空間で、傍らで支えてくれるただ一人の少女の存在だけを感じながら、モニターの中の白き者と同時に、
『■■■■――』
一際強く地面を蹴り、白き者が空へ舞った。ユカリにはまるで敵が瞬間移動したように見えた。
だがエーテリアのカメラが映し出すモニターの真ん中には敵の姿が常にあった。既存のどれよりも複雑で高度な演算の果てに導き出されたヴァッケル・グラーデの機動。それを信じ、伊澄は砲身を
「世界がお前を産み落としたって言うのなら――」
『――、―――』
白き者の口が開く。鋭い牙の奥でまばゆい光が発せられ始めた。
「――僕らが、
『最終安全装置、解除』
果たして、ヴァッケル・グラーデの口から強大なブレスが放たれた。それがエーテリアに向かって瞬く間に迫り、伊澄の全てを覆い尽くしていこうとした。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっっっっ!!」
全てが白く染まりゆく、その世界に包まれながら伊澄はボタンを力強く押し込んだ。
溢れる閃光にも負けず輝く、赤黒き弾丸。その形が崩れて長方形に変形した直後、凄まじい衝撃を残して
莫大なエネルギーがヴァッケル・グラーデのブレスと激突する。
一瞬の拮抗。だがB・Dキャノンが持つエネルギーの塊はあっさりと魔法のブレスを飲み込んだ。
『――、――■■■■――』
ヴァッケル・グラーデの悲鳴が上がり、それさえもかき消していく。鮮やかな白い毛並みを持つ世界が生み出した獣が、人の作り出した黒いエネルギーに染まり、貫かれていく。
夜空よりも尚も黒いその閃光が空へと還っていく。雨雲を貫き、さらにその奥で世界を包み込む赤紫をした魔素のベールを突き破り、やがて、形を維持できなくなったそれが遥か上空で解き放たれた。
世界が今度こそ白く変化する。放たれたエネルギー塊を中心に爆発を起こし、周囲の雲を際限なく吹き飛ばしていく。光が爆風と共に容赦なく地上へと降り注ぎ、昼間よりなお明るく照らして木々を傾ける。
それらが永久に続くかと思われた。だが次第に風は凪ぎ、徐々に夜の帳が世界を再び包み込んでいったのだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
全身からエーテリアが煙を上げる。B・Dキャノンを放った砲身は根本までドロドロに溶け落ち、エーテリア本体もその役目を終えたかのようにその場に崩れ落ちた。
伊澄の頭の中から情報の奔流は消え去っていたが、直後に訪れたひどい虚脱感が襲う。意識を失いたい衝動に駆られ、それでもまだ終わりではない、と体にムチを打って顔をあげる。
「敵は……?」
どうなったか。倒せたのか。攻撃が成功した感触はある。だが、相手は人知を超えた存在だ。伊澄はモニターの中にいるはずの敵の姿を探した。
「あ……」
間もなくその姿を見つけて伊澄は声を漏らした。高く舞い上がった空から影が舞い落ちてくる。
それはヴァッケル・グラーデの白い頭部
荒れ果てた地面をコロコロと転がっていく。それが止まると、まるでそれまでの存在が嘘であったかのように魔素の粒子となってあっけなく世界へと還っていった。
静寂。ヴァッケル・グラーデだったものが世界へ溶け込んでいくのを誰もが見つめ、言葉が出ない。まだどこからともなく何事も無かったかのように現れてしまいそうな不安に包まれるが、いつまで経っても静かな夜は静寂を保ったままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます