第45話 願いよ、届け(その1)
エレクシアたちに助けられたはずのユカリ。しかし彼女は再び戦場近くへと戻ってきていた。
濡れた制服を着替え、上にレインコートを羽織った状態で外へと飛び出した彼女は今、やや離れた上空で繰り広げられている伊澄とオルヴィウスの戦闘の様子を伺っている――わけではなく、ジッと眼を閉じて何かに集中していた。
「……っ」
フードを鬱陶しそうに脱ぎ去る。乾いた髪がまた雨に濡れるのも構わない。今の彼女の額には雨に濡れる以上に汗が滲んでいた。
上空で音が響く。感覚が研ぎ澄まされた肌に空気の揺れが微かに感じられた。
ユカリはチラリと眼を開けた。まだ空で両機は戦闘を継続している。それを確認すると今度は自分の周りに顔を向ける。
彼女の周りには、数えるのも嫌になるほどの小さな翼竜たちが留まっていた。翼竜と言うよりは害獣、あるいは食糧とも言える種類の超小型の竜であり、深緑の皮膚を持つそれらが地面を埋め尽くしている。
そしてそこに混じるのが一体の大きな翼竜・ソルディニオスだ。
体長三メートル程の、竜種の中では最小型に位置するが、人間に比べるとずっと大きく威圧感がある。そして本来ならば人間を襲ってもおかしくない肉食種なのだが、今はユカリの傍らでおとなしくしていた。
さらに遠くからももう一匹が飛来してくる。体格以上に大きな翼をはためかせ、その口にはある物を加えていた。
(……あと少し)
ユカリはもう一度眼を閉じて意識を内面へ集中させ、飛行するソルディニオスを誘導する。気が逸れて違う方向へと行ってしまいそうな彼、あるいは彼女の意識をユカリ自身の方へ導いてやる。するとキョロキョロとしていた翼竜はまたまっすぐに彼女に向かって羽ばたき始めた。目視するには遠いが、なんとなく感覚でその事を察したユカリはそっとため息をついたのだった。
伊澄を助けるためにもユカリの力が必要。エレクシアからそう告げられても自身に何ができるのか、ユカリは半信半疑だった。
「ユカリもさすがに自分がそこらの人間とは違っていることは理解しておろう」
「……まあな」
ユカリは濡れた制服を脱ぎながらぶっきらぼうに応える。普通の人間であったならばこんな事態には陥っていないだろう。その普通ではない部分が、偏に彼女が見ることができる未来にあることは明白だった。
「オルヴィウスのクソ野郎が言ってた『ヴォイ
「『ヴォイ
「呼び方はなんだっていいよ。ンなことより時間がねぇ。伊澄さんを助けるためにアタシは何をすりゃいい? アタシが興味があんのはそこだけだ」
「うむ、そうじゃな」新しいシャツを手渡しながらエレクシアがうなずく。「ユカリには、オルヴィウスの妨害、それと伊澄に武器を届けてほしいのじゃ」
「……おいおい。アタシゃどっかのスーパーヒーローじゃないんだぜ? くだらねぇ『未来を見る』って事しかできねぇアタシに、どうやってンな事をしろってんだ?」
彼女の言葉にユカリは呆れた視線をエレクシアに送る。どちらも伊澄にとって必要なことであるのは理解できる。しかし両方とも到底ユカリにできそうな事とは思えない。だがエレクシアとてそのくらいは当然理解している。
「『未来を観る』だけであればそうであろうよ。じゃがユカリなら可能だとワタクシは思っておるんじゃ」
「もったいぶってんじゃねぇ。時間がねぇっつったろうが」
「落ち着け。どちらにせよ、ユカリに運んでもらうものを準備しておる最中じゃ。急かさずとも今から説明してやるわ。
さて……『ヴォイヤー』とはニヴィールで盗撮者を意味する言葉らしいがの、未来だけでなく過去も観ることができる力を持つ者の総称である。じゃが、それ以外にも特別な能力を持っているらしいことが分かってきておる」
「特別な能力だぁ?」
胡散臭いものを見るような眼をエレクシアに向けるが、エレクシアは真面目な顔でうなずいた。
「そうじゃ。
ユカリ……これからワタクシが話す言葉は決して他言するでないぞ。いいな?」
「別に自分の事をペラペラ自慢して回るような面倒くせぇ性格はしてねぇよ。それで、何ができるって?」
ユカリが促すと、エレクシアは尚もためらうようにしながら、もう一つの能力を口にした。
「意識への、干渉」
エレクシアは一度重そうに息を吐き出してユカリを鋭く見つめた。
「意識への干渉……?」
「そうじゃ。詳しいところは省くが、本能に従うだけの弱い獣や動物の意識を自らの望む方向へと誘導することができる。そして当然、――人間に対してもそれは可能じゃ」
「……っ」
最初はピンときていなかったユカリだったが、エレクシアが告げた説明を理解した瞬間、ゾッと背筋が凍るような感覚を覚えた。
それは人間、いや、意思ある生命に対する冒涜だ。思いのままに相手を操るなど、旧い時代の奴隷でさえ受けなかった扱いである。
ユカリは自分の意思を、意図を無視されることが嫌いだ。憎くすらある。そんな自分が、誰かを望むままに操ることができる。考えを、想いを塗りつぶし、矯正する。想像しただけで恐ろしく、気が遠くなりそうだった。
思えば、心当たりはあった。町中で警備員やロボットと遭遇しても追い返すことができたりもした。この城から逃げ出した時や学校で戦闘になった時だって、敵が突然変な方に攻撃したりしていた。
(あん時は全然気づかなかったけどよ……)
それで自分や伊澄が助かったことも多いが、その理由を知った今、感謝することなどできようもない。
自らの手をユカリは覗き込んだ。手のひらが震えて止まらない。無意識に自分の腕を撫で、抱きしめた。
「……聡い娘じゃな。恐ろしさを理解したか」
「……知りたくも無かった情報をどうもありがとよ」皮肉げにユカリは口を吊り上げてみせた。「で、アンタはそれを知ってアタシを自分の元に置いときたかったってわけか」
「誤解するでない。ワタクシとてそれを知ったのはごく最近じゃ。
国を任されておる以上綺麗事だけではすまぬことも多々あるが、人の意思というのは犯してはならぬ禁忌に近いものでもある。魔法にも近いものはあるが……可能な限り避けたいとは思うておるよ」
「それを聞いてちったぁ安心したよ。多少はアンタを見直してんだ。失望させないでくれよ?」
「当然じゃ。安心せい。もう裏切ることなどせんよ」
エレクシアに向かってユカリはうなずき、しかしふと過った考えに表情を暗くした。
「……なぁ」
「なんじゃ?」
「その力ってのは……自分でコントロールできるんだよな?」
ユカリは恐る恐る尋ねた。もしかすると、自分が気づかないうちに日常的に誰かをコントロールしてしまっているのではないか。
たとえば――伊澄が助けにくるようにしむけていたり、だとか。
そう思っての問いだったが、エレクシアは少し表情を和らげて首を横に振った。
「まだそういう力がある、というくらいしか分かっておらんから確かなことは言えんがの、よほど強く意識せん限りは人には効くことはないじゃろうよ。それだって瞬間的なものじゃし、ごくごく近くにいる人間相手にできる程度らしいからの。
ある程度思い通りにできるのは弱い獣などくらいよ。よっぽど意思が薄弱か、あるいは命令を聞くことに慣れきっておる人間の思考を多少誘導するくらいじゃろうというのが今のところの研究チームの見解じゃ」
「そう、か」
「ホッとしたか?」
「まあな。なぁ、一つ聞いていいか?」
「なんじゃ?」
「オルヴィウスのおっさんの話から察するにエレクシア、アンタもその『ヴォイヤー』って奴だろ? アンタもそういうことできるのか?」
エレクシアはやや顔を伏せて首を横に振った。
「いや……ワタクシにできるのは未来と過去を観ることのみ。それもおそらくはユカリ、お主には及ばぬ」
「そうなのか?」
「ユカリはあの世界――フレストヘイムを見たか?」
「ふれすとへいむ? なんだそりゃ?」
「ここでもニヴィールでもない、第三の世界。全ての時間の流れと切り離された、彼女一人のみが生きる孤独な世界よ。未来を見たことがあるのであれば、その時に一人の少女らしき
彼女のその説明にユカリもハッと思い出す。
パステルカラーの淡い世界。ふわふわとしてとりとめもない不安定な場所。そこにいつもあの、くすんだ金色に輝く髪を持つ少女がいた。
「彼女の名はアリス――アリシアという。ワタクシもそれ以外は知らぬ。が、ユカリやワタクシが観る未来や過去は全てアリシアが見せているものじゃ」
「アリシア……そっか、あの子が見せてくれてんのか……
あ? でもこないだン時はアタシ一人で勝手に見ることができたぜ? なんかすげーモニターみたいのがいっぱいあった」
「なんじゃと……?」
ユカリの話にエレクシアは驚きを見せ、むむ、とうなった。
「であれば間違いあるまい。ユカリにはワタクシよりもずっと優れた才能がある。これを才能と言って良いものかは分からぬがの」
「才能、ね……喜んでいいんだか悪いんだか、良く分からねぇな」
「活かすも殺すも、誰かを助けるも滅ぼすもユカリ次第だろうよ。
そしてそんなお主だからこそ伊澄のためにできることがあるんじゃ。
と……どうやら準備できたようじゃの。ついて来い」
近衛兵が離れた場所で敬礼している姿を認め、エレクシアは手はずが整ったことを知った。彼女はユカリを連れ、居並ぶノイエ・ヴェルトの数が少なくなった格納庫へと向かう。
格納庫の奥の部屋。そこに通されてユカリは息を飲んだ。
そこに居たのは研究用として捕獲されていた二体の翼竜・ソルディニオスであり、それらがギョロリとした大きな瞳で彼女を覗き込んでいた。
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