第8話 ここに立つ意味(その2)





 バタンとドアが閉まる音が背中側から聞こえた。

 中に入って立ち止まった伊澄の隣を、片岡が通り過ぎ正面側の壁にもたれかかって腕を組む。そしていつもどおりの険しい表情のまま何も言わず黙り込んだ。

 課長からも叱られるのか。片岡の態度からそう感じ取り、伊澄の心が一層重く感じられた。だが確かに一番迷惑をかけたのは課長だ。その上、まだ十分に謝罪さえできていない。叱責の一つくらいは受け入れるべきか。

 だが片岡は中々口を開かなかった。二人しかいない会議室の静寂が重くのしかかってくる。

 何か言わなければ。そう思うが、なかなか言葉が出てこない。片岡から何か言ってくることもない。気まずい時間が支配し、それでも何とか伊澄は思い切って声を上げた。


「か、課長! あのっ――」

「気にするな、伊澄」


 しかし片岡からほぼ同時に声をかけられ、そして彼から掛けられた言葉が予想とは大きく外れたことで伊澄はキョトンとした顔を見せた。その表情がおかしかったのか、いつも眉間にシワを寄せている片岡が苦笑を浮かべた。


「なんだ、その間の抜けた顔は。もしかして怒られるかと思ってたか?」

「え、あ、その……はい、正直そう思ってました」

「立派なことした部下を怒る上司がどこにいるかよ」


 片岡の手が伊澄の肩を二度軽く叩く。そこに叱るような意味合いは感じない。


「部長の言うことも一理くらいはあるかもしれん。法令違反もしたかもしれん。コンプライアンス遵守は我が社にとって最重要なことだからな。

 だがどうあれお前は頑張った。全部奪われるかもしれなかった当社の荷物を守り、乗員の命をお前が命がけで守った。それは紛れもない事実だ。富士光の部長や課長からもお礼の連絡をもらっている。

 事業部長の手前大きな声では言えんかったが、お前みたいな部下を持って俺は誇りに思う」

「課長……」


 伊澄を労い、認めてくれる言葉。それが悶々としていた伊澄に染み込んでいき、溶かしていく。ひどく単純だと伊澄も思う。だが自分を認めてくれたそれだけで少しだけ報われたような気がした。


「ありがとうございます……」

「礼を言われることじゃない。それに、事業部長もああ言っていたが本心ではお前に処分を下したくないはずだ」

「そう、でしょうか……?」

「冷たそうに見えるが、実は意外と情に厚い所があるからな、あの人は。行為は立派とはいえ、法令違反をした以上何らかの処分は下されてしまうだろうが、船と積荷を守ったのと相殺するか極力軽い処分で済ますよう動いてくれると思う」


 それを聞いて伊澄もホッとした心地になった。別に出世をしたいわけではないので処分は別に構わないが、事業部長も内心では認めてくれていたと言われると、たとえそれが片岡の推測であっても救われた気分だ。

 強張った表情を緩めた伊澄だったが、片岡を見ると今度は彼の方が難しい顔をしていた。


「あの……どうしました?」

「いや……そうだな」


 ハキハキ物を言う片岡にしては珍しく口ごもったが、やがて伊澄に向かって問いかけを口にした。


「あのな、伊澄……お前、転職する気はあるか?」

「え……?」


 まさかの問いかけ。本心では片岡も自分を疎ましく思っていたのか、と伊澄の胸がギュウと締め付けられる。

 が。


「勘違いするな。別にお前を嫌ってるとかそういうわけじゃない。さっき誇りに思うって言ったばかりだろうが」

「ですが――」

「いや、確かに俺の言い方も悪かったな。

 別に辞めろと言うわけじゃない。しかし、今回の件で改めて思ったんだが、お前にとってウチの会社に居続けることをネガティブに思い始めてるんじゃないかと思ってな。

 事業部長の話もそうだが、ウチは体面を非常に気にするし仕事の進め方も何かと窮屈だ。小難しい姑といるみたいにな。社員の意識は社外よりも社内にばかりむいてるし、正しいと思ったことが必ずしも理解されるとも限らん。それに……」

「それに……なんでしょうか?」

「……さっきも言った通り、事業部長はお前をかばう方へ尽力してくれるだろうが取締役がどう判断するかはわからん。くだらん話だが、世論や社内外の政治的な事情次第ではやはり厳しい処分を下される可能性もないとも限らないからな」


 渋面を浮かべる片岡。どうやら彼もそういった煩わしさに苛立ちを覚えているようである。伊澄もまたつられるように眉間にシワを寄せた。


「事情は……理解できます。理解はしたくないですけど」

「同感だ。だが万一を考えてコネを繋ぐのも損はないと思ってな。

 というのも実は……」


 片岡は一度周囲を気にすると、やや伊澄の方に顔を寄せて一層声を潜めた。


「大学時代の仲間が陸自にいるんだが……酒飲み話ではあるんだが、最近ずっと優秀な若手が入ってくることが少ないと、みんな民間に取られてしまうとぼやいていてな。もし転職を考えてるヤツがいるなら紹介してくれと頼まれてるんだ。その時はバカを言うな、と断ったんだが……」

「それでですか……優秀というのは過大評価ですが」

「素材としては優秀だ、お前は。要領が悪いところはあるがな」

「本人に言いますか?」

「現実の評価が知れてよかっただろうが。

 まあ、なんだ」白髪の目立つ髪を片岡はかきむしった。「もちろん紹介したから即採用というわけにはいかないだろう。機密ばかりだからウチよりも窮屈な面も多いだろうが反面、機密を盾に少々のことは公にしなくても済むから身内を守りやすくもある。それに」

「それに?」

「希望すればノイエ・ヴェルトに乗ることもできるかもしれんぞ?」


 その言葉に眼を伊澄は目を見張った。


「お前がずっとノイエ・ヴェルトの免許を取りたかったのも、ものづくりよりも操縦の方に興味があるのも知ってる。

 今回の一件である意味お前は有名人だ。戦闘用のノイエ・ヴェルトを操縦できる人間は貴重だし、まして単機で敵三機を撃退できる腕利きを陸自としても放ってはおかないだろうな」

「で、でも、僕は免許取れなかった人間ですし――」

「そんなのどうとだってなる。防衛省の役人は知らんが、現場にいるのは法令よりも実利を優先する連中だ。法の目をかいくぐって少々の融通を利かすくらい連中の手にかかればお手の物だろうよ」

「……」

「まあその分気性の荒い連中も多いだろうし、他所に比べればマシとは言え軍に入るわけだからな。大戦が終わった以上、戦闘の機会は少ないだろうが当然命の危険はある。だから、もしその気があるにしてもよく考えて決めろ。もちろん俺の顔なんざ気にする必要はないし、断ったからと言ってお前の扱いを悪くすることもない。この程度で官との関係がどうこうなるわけでもないからな

 ま、ウチに残れば当然、今後共俺が厳しく鍛えてやることになるがな」

「勘弁してください……」


 伊澄は苦笑いを浮かべ、しかしため息をついて天井を仰いだ。少し視界が滲んだ。


「でも……そうですね。悪くない話かもしれません。少し考えさせてください」

「もちろんだ。話だけでも聞きたくなったら俺に言え。お前の都合に合わせて仲間を寄越させる」

「そこは慎重に悩みます。せっかくの謹慎ですし」

「バカ。謹慎じゃねぇ、特休だ。会社サボって給料も出るんだぞ。うらやましいくらいだ。せいぜい満喫してろ。

 俺の話は以上だ。気が乗らないだろうが、今日は定時まで仕事してから帰れよ。俺はこの後ここで会議があるからこのまま残る」

「分かりました。あの……」

「なんだ?」

「ご迷惑おかけしました。それと、かばって頂いてありがとうございました」

「礼なんていい。部下を守るのは当たり前だ」


 片岡は相好をわずかに崩して、早く行けとばかりに手を払った。伊澄はもう一度頭を下げて会議室を出ていく。

 バタンと扉が閉じ、すりガラス越しに伊澄の影が消えていく。それを見届けると片岡は気恥ずかしそうに白髪頭を掻いた。そして一息つくと携帯端末を取り出してどこかへと電話をかけ始めた。


「もしもし? ああ、俺だ。片岡だ。んあ? ヤダね。当分お前の愚痴なんざ聞きたかねぇよ。

 で、だ。――ああ、その話だ。いや、まだ本人は了解してないがな、とりあえず話だけは伝えといた。良かったな、少なくとも頭ごなしに拒絶はされなかったぞ。あ? 名前? 名前はだな――」


 羽月・伊澄だ。片岡の声が無人の会議室で小さく響いたのだった。




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