第8話 バルダーとともにある日常(その1)
新生重工特殊車両事業部、特殊車両技術部、特殊車両設計二課
「お疲れ様でーす!」
金曜日の週末。
定時を告げるチャイムが鳴ると、伊澄はすぐにカバンを手に取り居室を飛び出した。
まだほとんどの社員が残っていて忙しなく通路を行き来している間を縫ってロッカーへと向かう。そんな姿に他の社員たちは怪訝そうな視線を送るが、伊澄はそれらを振り切っていく。
「最近羽月のヤツ、決まって金曜は早いな」
「金曜だしな。おおかた彼女でもできたんだろ」
「あのノイエ・ヴェルトオタクにか? まっさかぁ」
「じゃなきゃノイエ・ヴェルト絡みの新作ゲームか何かだろ。ま、なんにせよ仕事以外の趣味があるのは良いことだ。さ、オレらもさっさ仕事片付けて帰んべ」
そんな会話がなされているとはつゆ知らず、着替えた伊澄は脇目も振らず会社から最寄り駅までダッシュしていく。
ちょうどやってきた京浜東北線に乗り込み、横浜駅へ。そこから東海道線の満員列車でもみくちゃにされる。だが今の伊澄はそれも苦ではなかった。
東京駅で更に山手線に乗り換え、彼と同じく会社帰りの疲れた人たちの流れに乗ってホームに降り額の汗を拭った。
伊澄が降り立ったのは秋葉原のホームだ。改札を抜け、どちらかと言えばまだ古さの残る電気街口へと出ていく。
そこは多種多様な人種が渦巻くるつぼだ。スーツ姿のサラリーマンから女子高生、或いは趣味に生涯を捧げるオタク気質な年齢不詳者、そしてコスプレをして歩く少女たちの姿まである。
伊澄は彼らの中に溶け込んで歩いていく。電気店からは軽快な音楽が流れ、色んな衣装を着た女性が男性客を捕まえようとプラカードを持って声を張り上げていた。
いつ来てもこの街は元気だ。そんな感想を懐きながら伊澄はとある雑居ビルの狭い階段を登っていった。
二階の踊り場すぐにある薄汚れた扉には「営業中」の文字。週末にもう何回もここを訪れているが、まだこういった場には慣れない。緊張から、扉を前にして手を握ったり閉じたりを繰り返し、それが三度目を数えてようやくドアノブをひねった。
「ハイ! ハイ! ハイ! ハイッ!!」
その途端、中の熱気が一気に押し寄せてきた。
鳴り響く軽快な音楽。そこに混ざるむさ苦しい野郎どもの
そんな彼らの前で歌い、踊る可愛らしい女性たち。体を左右にリズムよく揺らすとお尻から伸びた尻尾が揺れ、笑顔を振りまく。そんな彼女らに向かって一層野太い歓声が上がっていき、ボルテージはいよいよ最高潮。一挙手一投足に合わせて野郎どもの飛沫が舞い散った。
やがて曲が終わり、肩で息をしながらも満足そうに女の子たちが笑うとけたたましい拍手が鳴り響いた。
「みんなー! 一緒に歌ってくれてありがとー☆」
「うおおおおおおおおおおっっっっ」
女性たちが観客たちに向かって可愛らしく手を振ると一層の雄叫びが響き渡る。ステージの回りにいる連中のみならず、テーブルに座っていた客たちもこぞって女性らに手を振っていて、ステージから彼女たちが掃ける際にするお決まりの「にゃん!」と猫ポーズを決めればもう店内は手のつけられない騒ぎになっていた。
「……」
彼らの熱い情熱を、伊澄は店の入口で立ち尽くしたまま眺めていた。まったく、いつ来ても慣れない。ひどく場違いな所にいるように思え――実際場違いなのだろうが――所在なさげに頬を掻いた。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
そんな伊澄に一人の店員が声を掛けた。エプロンドレスをアレンジしたような衣装をまとい、腰まで伸びる長い茶色の髪の上には犬の耳。お腹の前で組まれた両手はフサフサとした柔らかそうな毛で覆われ、肉球らしいものがついた手袋がはめられていた。腰の辺りからは長い毛ツヤのよい尻尾が伸び、左右にゆっくり揺れていた。
店内を見回せば、彼女と同じ様に全ての店員の頭の上に猫やクマ、あるいは狐だったりと様々な動物を模した獣の耳が乗っかっていて、形や長さの違いはあれど腰から尻尾が伸びていた。
「ケモミミ喫茶『フレンズ!』へようこそ! 当店へのご来店は初めてですか?」
伊澄は目の前に現れた愛らしい女性が柔らかく微笑む。不意打ち気味に話しかけられたこともあって伊澄はやや顔を赤くしてしどろもどろになるも、なんとか気を取り直して一枚のカードを取り出した。
「え、えーと、初めてじゃなくてですね……」
伊澄が店員の女性に差し出したのはこの店の会員証だった。なんとか作り上げたブサイクな笑顔の写真の横に名前。そしてその上には「No.211200123」と印字されている。
店員は何気なくそれを受け取ったが、その番号を眼にした途端眼を丸くした。ピクピクと耳が動き、だがそれも一瞬のことですぐに「お帰りをお待ちしておりました!」と可憐な笑顔を振りまいた。
「お部屋へ案内しますね。どうぞこちらへ!」
店員に連れられて伊澄は店の奥の方へと向かっていく。どうやら彼女は人気の店員らしく、狭い店内のテーブルの隙間を縫っていく中、男性客の射殺すような怨嗟の視線が突き刺さる。いつもと変わらぬ居心地の悪さを覚えるも、彼らを極力刺激しないよう必死に女性の後ろ姿――自然と尻尾に眼が行くのだが――を見つめて伊澄は歩いた。実際にはそれが余計に彼らを刺激しているのだが、知らぬが仏である。
「どうぞ、ゆっくりとくつろいでいってくださいね」
魅力的な笑みを浮かべてそう言い残し、店員の女性は部屋を出ていく。
カフェにもかかわらず伊澄が招かれたのは個室。しかもメニューを置いていくでもオーダーを取るでもない。だが、ここではそれで良いのだ。
可愛らしい動物のぬいぐるみで彩られた四畳半程度の部屋で、中心にはテーブルとソファが置かれていて一息つきたくもある。が、それに座ることなく伊澄は雑誌が詰め込まれたラックへ向かう。
動物の写真やネコミミのキャラクターが表紙を飾るそれらの一冊を取り出す。できたスペースに左手のひらを当て、その上の壁にある小さな穴を伊澄は覗き込んだ。
途端、手のひらの形をなぞるように白い光が走った。加えて覗き込んだ伊澄の瞳に赤外線が飛び込んでいき、微かな刺激にまばたきをしそうになるも懸命に堪えた。
「静脈認証、虹彩認証完了しました。お名前と社員番号をどうぞ」
「羽月・伊澄。番号は00123」
「――声紋認証完了しました。おかえりなさい、羽月・伊澄」
ラックに取り付けられた小型スピーカーから女性の合成音声が流れる。そして一拍の間を置いて隣の本棚が下に沈んでいった。
床下まで沈んだ本棚の上に立つとスライド式の扉が開く。そこはエレベータになっていて、乗り込むと伊澄は先程見せたカフェの会員証を壁のセンサーにタッチした。
扉が閉じ、上向きの慣性力がかかる。エレベータはあっという間に加速していく。カチ、カチとレトロなデザインのアナログ式階数カウンターが扉の上で音を奏でる。二〇秒ほどして停止。扉が開き、伊澄が出るとそこは暗い空間だった。
球状の空間であるそこでは、足首ほどの高さに非常灯程度の明るさのライトが埋め込まれ、三〇度ピッチ程度の間隔で周方向に直径一メートル程度の孔があった。その上には行き先らしい番号表示がなされ、伊澄が「C-07」と書かれたプレートの前に立つと蓋が開き、中で青白い光が次々と灯って孔の奥へ向かって伸びていく。
伊澄はその孔の中に身を滑り込ませた。滑り台を滑る要領で更に地下へと降りていく。カーブの度に体が大きく左右に流れていき、まるで遊園地のアトラクションを体験しているみたいだといつも思う。だがここは遊園地ではない。
ぐんぐんと加速していき、やがて伊澄の目に出口らしき明かりが見え、ほっと一息つく。
ようやく目的地へ辿り着いた。最初に比べればだいぶ和らいだが、それでもまだここに来る時は、まるで悪いことをしているかのような、けれどもどこかワクワクする背徳的な緊張があった。
だが後は外に滑り出て、柔らかなクッションに受け止めてもらうだけ。
ところが出口へ到着する直前――
「ふぇっ?」
尻に感じる普段にはない段差。それに気づいた時、彼の体は小さく浮き上がってそのまま出口を飛び出していった。
滑り台を滑るための由緒正しいフォーム。その体勢のまま、伊澄の体は空に放り出され、景色がゆっくりとスローで流れていく。眼下には伊澄を受け止めるはずの柔らかいクッション材があり、彼はそれを唖然と見下ろしながら虚しく通過していった。
そして硬い床にケツから着弾。
「あひんっ!?」
恐ろしいまでの衝撃がケツ穴から脳まで貫通した。二、三度尻でバウンドした後で床を滑り摩擦熱がケツを加熱。
伊澄は悶絶した。
「ぬおおおおおおっっっっ!! ケツ、ケツがぁっ!!」
「ぎゃっはははははは!! スゲエッ、スゲェッ!! マジで跳ねたっ! ヤベェ! 人間ってあんな弾力性あるって初めて知ったぜ!!」
ケツを押さえて転がる伊澄と、その姿を見て響く大爆笑。その笑い声の主を、伊澄は涙目で睨んだ。
「クーゲルさぁん……! またやってくれましたねっ……!!」
「くひひひ……! いや、悪い悪い! ちょーっちばかし『出口に段差つけたらどうなんのかなー』とか思ってよ!」
クーゲルは腹を抱えて笑いながら悪びれた様子を微塵も見せず、なおも赤い髪を震わせた。
脚をプルプルと震わせながら伊澄は立ち上がり、珍しく憤怒の顔で同僚であるクーゲルににじり寄る。しかしながら痛みのせいで一歩を踏み出すのにも難儀。まるで生まれたてのなんとかみたいである。その様子が更にクーゲルの笑いのツボを刺激して休憩室に笑い声を響かせたのだった。
だから――背後から近づいてきた影にまったく気づかなかった。
「やべ、そのカッコマジでやべぇ……ひーっひっひっひ――あっっっだぁっっっっ!?」
「いつまでも新入りをいじめて喜んでんじゃないわよ」
彼の背後に立った、金色の髪をした女性が硬そうなブーツを履いた脚を全力で振り抜く。それはオレンジのツナギを着たクーゲルのケツを正確にとらえると、「スパーンッ!!」とスカッとする音を奏で上げた。
クーゲルが先程の伊澄と同じ様に尻を押さえて床を転げ回る。そんな情けない様子を、女性は腰に手を当てて深くため息をついたのだった。
「ったく……黙ってりゃイケメンなのに、どうしてこうもやることなすことガキっぽいのかしらねぇ」
「マリアさぁん……」
「いつもゴメンね、伊澄。このバァカが迷惑を掛けて」
教育を完全に間違えた。そう言ってマリアは申し訳無さそうに伊澄に手を差し出し、転がったクーゲルを踏んづけた。
秋葉原のカフェを通じて遥か地下深くに広がるこの場所。
伊澄はまた今週もバルダーへとやってきたのだった。
この一ヶ月というもの、伊澄の週末の時間は大半が決まってバルダーで費やされていた。
金曜に仕事を終えてからバルダーへ直行し、基礎体力をつけるための訓練を休憩をはさみながら一、二時間。初日のような超スパルタな訓練ではなく、基本的に体を動かす機会の少ない伊澄に合わせた訓練内容となっている。
土曜と日曜は護身術を基本とした格闘訓練に戦闘、戦術学を中心とした座学を受講。バルダーは荒事を多く担う組織だ。いずれそういった知識も必要になることが予想されるためにそういった訓練カリキュラムが組まれていた。なお、体力訓練も格闘訓練も今のところの結果は推して量るべしである。
「……まあ今後の成長に期待ということで」
「はい……」
加えて行われるのは射撃訓練。こちらの成績はかなり良好だ。当然本物の銃を扱うのは入隊後が人生初めてであったが、それにしては筋が良いとマリアも珍しく褒め、得意分野であるクーゲルは「ケッ!」と吐き捨てるのが毎週のことである。
そして圧巻なのは――シミュレーターによるノイエ・ヴェルトの操縦訓練だ。様々な機種に乗る可能性があるため、多様な操縦システムを頭に入れなければならないのだが、その慣熟訓練をまたたく間に伊澄は完了してしまったのだ。おまけにその挙動も、マリアが本気で舌を巻くほどに優秀である。
「さすがと言うべきか……ロートルな機体で王国の隊長を撃退したって話は伊達じゃないわね」
モニターに映し出された伊澄機の動きを見たマリアも、つい感嘆の息を漏らした。あくまでシミュレーター上の動きであるが、ひょっとすると熟練のエースパイロットにも劣らないレベルかもしれない。実戦でどれだけできるかはまだ不明だが、伊澄から聞いた話が本当であればすでに実戦も経験済みであり、少なくとも脚を引っ張ることにはならないだろう。
バルダーといえどもノイエ・ヴェルト乗りは希少である。これで人員不足も多少は解消されそうだ、と彼女はモニターの伊澄に微笑んだのだった。
こうした訓練を伊澄は心から楽しんでいた。体力も格闘術もまだまだ不足であることは分かっているが、成長していることは確かだ。最初は月曜に会社に行くのさえきつかったが、今はそれほど疲労は残っていないし、格闘訓練でも目に見えて上達しているのがわかる。
何よりも、ノイエ・ヴェルトに携われるのが嬉しかった。シミュレータもそうだが、伊澄が一番楽しみにしているのは訓練後の自由な時間だ。
夕方の訓練が終了し、食堂での食事も程々にいそいそと出ていく。そうして向かうのはゆっくりと疲れを取るために割り当てられた自室――ではなく、格納庫だった。
「おう、坊主! 今日も来たかっ!」
「こんばんは! よろしくお願いしますっ!」
格納庫では、人族、エルフ族、ドワーフ族に獣人族など多様な人種の作業員が入り混じって遅くまで機体の整備をしている。伊澄はそんな彼らに混じってノイエ・ヴェルトを弄り倒していた。
もちろん自由に触ることが許可されているわけではない。だがルシュカによって、型古になった一体については好きにして良いとお墨付きをもらっており、伊澄は思う存分実際のノイエ・ヴェルトを堪能していた。
コクピットに乗り込んでインパネを隅々まで覚えたり、OSにアクセスしてプログラムを好きに改修したり。かと思えば整備用の古い図面を引っ張り出して機体そのものの内部構造を観察したりと忙しなく趣味に没頭。
新生重工の工場でもそうだが、どういうわけか伊澄は現場畑の人間からは受けが良い。その不思議な才能はここでも発揮され、週末しか居ないにもかかわらずドワーフの作業班長に気に入られてこっそりとノイエ・ヴェルトの整備手順なども教わったりしていた。
そうして気の済むまで――というよりもガス欠になるまで、自分の時間を全てノイエ・ヴェルトにささげてコクピット眠ることもしばしば。これで翌日の訓練に差し障りがあるのならば注意の一つでも飛んでくるのだが、まったくそんなことが無いのだから誰も指摘しない。
「アレだな、アイツは生粋のバカだな」
「違いねぇ」
そう評するのは、伊澄と同年代の作業員のドワーフとエルフだ。もっとも、言葉こそ悪いがそう話す彼らが伊澄を見る目は親しみがこもっていた。
結局は伊澄にとってはノイエ・ヴェルトと共に過ごすことが最も落ち着ける場所だということなのだろう。終いにはコクピットを寝床にしている伊澄の姿を生暖かく見守るのがバルダー作業員たちの週末風物詩と化していたのだった。
そうした週末を過ごし続け、一月半が経過した。
日曜の夕方となり、伊澄は充実感と心地よい疲労感を全身で満喫しながら帰宅するために荷物をまとめていた。
持ってきたのはせいぜい着替えと身の回り品程度。適当に詰め込まれた軽いリュックを背負った頃、部屋の扉がノックされた。
「伊澄、まだいるか?」
「マリアさん? はい、どうぞ」
ドアがスライドし、いつものように迷彩服とタンクトップという出で立ちのマリアが入ってくる。彼女は今にも帰宅する状態の伊澄を見て、間に合ったと胸を撫で下ろした。
「何かありました?」
「ああ、ちょっと予定を確認しておきたくてね。伊澄、来週も来れるか?」
彼女の質問に伊澄は一も二もなくうなずいた。バルダーで過ごす以上に優先すべき予定などあるはずもない。
「そうか、それは良かった。まあ伊澄だしね。そうだろうとは思ってた」
「なんかバカにされたような気がしますけど、別にいいです。それで、なんです? 訓練以外に何かするんですか?」
マリアは頷く。そして楽しそうに口端を上げる。
いたずらっぽいマリアの笑顔。マリアに限らずそうだが、相手がだいたいこんな笑い方をする時はろくなことがない。
「そう警戒しなくてもいいって。ちょっと旅行に行くだけよ」
「旅行?」
「そ。――伊澄にもそろそろ私たちの任務に同行してもらおうと思って」
いよいよ、来た。
マリアとは対照的に、伊澄は緊張した面持ちで彼女を見返したのだった。
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