第21話 真実(その2)




「伊澄様」

「はっしぇぇぇぇいやっはぁっっっ!?」


 扉のノック音と共に掛けられた声に、伊澄はエキセントリックな悲鳴を上げて飛び上がった。その拍子に、スプリングの利いたベッドによってボインと弾かれベッドから転落。ドタバタとけたたましい音が廊下まで届き、伊澄は強かに打った尻を押さえて転げ回った。


「お取り込み中でしたでしょうか? でしたらまた出直して参りますが……」

「い、いやっ、だ、大丈夫、でっすぅ……!」

「左様でございますか?」

「左様でございますっ!」まさか取り込み中になる直前だったとは言えない。「そ、それで! どうしましたっ!?」

「お夜食をお持ち致しましたので、入室してもよろしいでしょうか?」

「やしょ……ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 一分! 一分だけ!」


 扉の向こうから淡々とした返答が来て、伊澄は慌てて着衣の乱れを直していく。


「大丈夫だよな……?」


 念入りに股間の辺りを確認して汚れてないことを確認すると、扉の向こうで待っているであろう人物に声を掛けて招き入れる。


「フルーツの盛り合わせと、伊澄様のリクエストのコーヒーでございます」


 ガチャリと扉が開き、その奥からワゴンを押した黒髪のメイドが入ってきた。メイドは抑揚のない声でそう告げながらテーブルの上に皿とカップを並べていく。だが何処か手付きは危なっかしく、皿からは盛り付けられたフルーツが外へと滑り落ちそうになっていた。

 新人さんかな、と思い伊澄はメイドを見上げた。黒髪のせいかで一瞬日本人かと思ったが西欧系に近い顔立ちで、しかし耳は尖っていてその特徴は彼女がエルフであると主張していた。エレクシアは病的さを想起させるくらいに肌が白かったが、こちらのメイドはやや浅黒い。

 人間にも人種があるように、エルフにもっと細分化された種族があるんだろうな、などと思いながらそのメイドをぼんやり見ていたが、ふと伊澄はその女性メイドが何処か元気なさげなように思えた。


(なんというか……)


 覇気がないと表現するのがよいだろうか。何処か無気力のような、ただ動いているだけというべきか、生命の躍動というと大げさだがそういったものを感じさせず、彼女が魔法で動く人形でしたと言われてもさほど驚かないように伊澄は思った。

 そしてそう感じさせる要因が、彼女の顔を見てすぐに分かった。目だ。黒い目には力がなく、焦点が合っていないようにも見える。今でも果たして彼女の瞳が皿やカップを捉えているのか、じっと観察していても難しい。ともすれば不気味でさえあり、何より怖いのがこうして伊澄が観察していても一切の反応を示さず作業を続けているところだ。


「どうぞ、お召し上がりください」


 そう言うと彼女は恭しく一礼し、ワゴンを押して部屋から出ていった。


(……何だったんだろう?)


 元々ああいったパーソナリティであれば口を挟むのは余計なお世話だ。けれど、何処か具合が悪いのであれば休ませてあげるべきだ。

 明日、エレクシアと会ったらそれとなく伝えてみよう。そう結論づけて伊澄はフォークをフルーツへ突き刺した。


「うん、甘くて美味しい――……?」


 伊澄は出された新鮮なフルーツに舌鼓を打ち始めたが、人の気配を感じて顔を上げた。先程部屋から出ていったと思ったメイドが入口のところに立って伊澄の方を見つめていた。

 直立し、ジッと動かない。意思を奪われた兵士のように無機質な視線を、ただそれだけを伊澄に向けている。


「あの……まだ何か?」


 尋ねる伊澄だったが返答はこない。代わりに踵を返し、何事も無かったかのように部屋から出ていく。そして部屋から一歩出たところでまた振り返り、無言で視線をよこした。


「もしかして、付いてこいってことですか?」


 再度尋ねるも返事はない。だがメイドの女性が壁の向こうに隠れ、それでも伊澄が動こうとしないと頭だけを覗かせて伊澄を見てくる。

 どうやら付いていかないといけないらしい。やや疲労で重い腰を上げて伊澄は部屋を出た。

 廊下は明かりが落とされ、両端にある燭台の蝋燭が飛び飛びで燃えていた。足元が何とか見える程度の薄ぼんやりした明るさの中で女性は伊澄が部屋から出てくるのを待っていた。

 薄暗い中、黒を貴重とした服で佇むその姿は不気味さを醸している。幽霊みたいだ、と伊澄は反射的に喉を鳴らした。


「えっと、何処に行くんですか?」


 半ば無駄だと思いながら行き先を尋ねるも、やはり声は返ってこず。その代わりとでも言うようにまた踵を返し、彼女はワゴンを押して歩き始めた。


(随分と無口な人だな……)


 さっきは普通に会話は成り立ってたが、元々話すのが苦手なのだろうか。それにしても何処へ行くだとか、もう少し情報くらいはくれても良さそうなものだけど。そう思いながらも伊澄は黙って彼女の後ろについていく。

 何度か角を曲がり、二人は隅にある一室に入った。暗くてよく見えないが、どうやらそこは厨房のようだった。当然ながら中には誰もおらず、締め切っていない蛇口から垂れる雫が静謐さにアクセントを加えている。

 女性は明かりも点けずワゴンを押して中に入っていく。暗くても躊躇なく進み、棚の中から酒のボトルを一本つかみ、グラスと一緒にワゴンに乗せるとそのまま奥へ向かった。

 壁にあるボタンを押す。すると伊澄も聞き慣れた「チィン」という甲高い音がして扉が開いた。どうやらエレベータのボタンだったようで、伊澄も眩しさに眼を細めながら乗り込む。

 お互いに無言のまま、伊澄は居心地の悪さを感じつつフロアを三つ程上がる。エレベータを降り、部屋から廊下に出る。構造的には伊澄が居たフロアと変わらないようだが、このフロアは階下にはあった装飾品やカーペットがなく、殺風景な雰囲気を醸していた。

 ワゴンの車輪は滑らかに回転し、静かに廊下を進んでいく。人の気配はせず、まるでフロア全体が無人のように伊澄は思えた。

 エレベータのある部屋から中央の階段部を挟んでちょうど反対側にある部屋。そこに辿り着くと女性は脚を止めた。


「到着で――」


 伊澄が声を発するとほぼ同時に女性の手がにゅっと伸びてくる。それに驚いて押し黙ると、女性は立てた人差し指を自身の口元にもってきて「静かに」とジェスチャーで伝えてくる。更に手のひらを床に向ける仕草をした。


(黙ってここで待ってろってことか……?)


 いったい彼女が何をしたいのか。その目的は分からないが事情も分からないため、伊澄はひとまず彼女の指示に従うことにした。

 女性は扉の前に立ち、ノックする。すると少し間をおいて返答があった。


「誰じゃ?」

「アナスターシアでございます。スナックと新しいお酒をお持ち致しました」

(ここまでの道中でも喋ってくれよっ!)


 淀みなく部屋の主へ応えるメイド――アナスターシアに心の中でツッコミを入れる。口を尖らせてつい不満を顔に出した伊澄だったが、部屋の中から聞こえてきた声を受け怪訝な顔をした。


「ふむ、追加の酒を頼んでおったかの……? ちょうどいい。クライヴ、たまにはお主も私に付き合え」

(クライヴさん? それにこの声……エレクシアさん?)


 聞こえてくる声は確かにエレクシア。しかし昼間に伊澄と話していた時に比べ口調はやや粗野で、酒のせいだろうか、何処か舌っ足らずな印象だ。

 程なくしてアナスターシアが部屋から出てきて部屋に向かって一礼し、静かに扉を閉める。だが一度閉めた後、タイミングを見計らったようにして僅かに扉を開けた。部屋の光が漏れ出して伊澄の顔を少しだけ照らした。

 彼女は更にポケットから紙を取り出すと、それを隙間のところに貼り付ける。伊澄はその行動の意図が読めずに首を傾げるが、メイドの彼女は何も言わない。立ち去るでもなく、かといって扉を閉め直すわけでもない。


(まさか……ここで立ち聞きしろってこと?)


 部屋での会話に聞き耳を立てるなど、マナー違反もいいとこだ。エレクシアの変化は気になるところではあるが、自室で酒を飲めば素の顔の一つも出るものである。昼間に伊澄と接していた時が「王女の仮面」をかぶった彼女であったとして当然であるし、それを咎めたり幻滅する程伊澄も子供であるつもりもない。

 アナスターシアに向かって小さく頭を振り、音を立てないようにそっと扉から離れる。

 だが。


「それで、クライヴよ。率直に聞きたい。

 お前から見て羽月・伊澄はどうであった? すぐに使えそうか?」


 エレクシアの言葉に伊澄は動きを止めた。ジッとその場で逡巡する。

 盗み聞きはダメだ。話が自分に関することなら尚のこと離れて耳を塞がないと。頭ではそう思っていても、本心では自分が世辞抜きでどう思われているのか、正直な評価を聞きたい。

 果たして、伊澄はその誘惑に勝てなかった。最後の抵抗としてアナスターシアを見上げるも彼女はただ伊澄を見下ろすだけで何も言わない。逆に目線を部屋の方へ向け、それは伊澄の行動を肯定しているようだった。

 シャワーを浴びたばかりだと言うのに冷や汗が額ににじむ。伊澄はそれを手で拭うと息を殺して部屋の中をそっと覗き込んだのだった。



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