第10話 人生はかくも容易に変わりうる(その4)




 エレクシアの話はまず世界の呼び名から始まった。

 彼女たちは自分たちが今いる世界をアルヴヘイム、そして伊澄が暮らす世界をニヴィールと呼称しているのだという。

 伊澄の知るとおりニヴィールはいわゆる科学が発展した世界であり、対してアルヴヘイムは魔法を主体として発展した世界なのだという。ニヴィールと同様に科学技術も発展を続けているがそれは緩やかであり、純粋な技術としてはニヴィールに遅れをとっている。

 しかしながら魔法との融合がなされたことでその成熟度は急上昇。今や相対的に遅れをとっている純粋なる科学技術を補ってあまりあるものであった。

 話は変わり、アルヴヘイムに住まう種族について。それは大きく分けて三つの種族が存在するという。


「伊澄様たちにもわかり易く申し上げるならば、伊澄様と同じ人族、ワタクシたちのようなエルフ族やドワーフなどの地人族、そしてニヴィールにいる――言葉の響きは少々悪いですが――『獣』の特徴を持った獣人族がおり、それぞれが幾つかの国に分かれております」


 時に争い、時に協力しあい長い時の中で数多の国が興亡を繰り返してきた。そういった点はニヴィールと同じなんだな、とすっかり遠ざかりかけていた世界史の記憶を手繰り寄せながら伊澄は理解した。


「魔法、か……もしかしてこっちの世界だと神様も実際に確認されてたりします?」

「いえ、皇国――いわゆる宗教国家では神の存在を説いてはおりますが実際の目撃記録はありません」

「あ、そうなんですね。意外でした。てっきり神様の力でも借りて魔法を使うのかと……」

「神の存在は否定も肯定もしない、というのが大多数の人たちのスタンスになるでしょう。神の実在は確認できておりませんが、ワタクシたちが魔法を使う際は精霊たちから力を貸して頂いてるんです。

 ――おいで」


 エレクシアが誰もいない――少なくとも伊澄にはそう見える――中空に向かって呼びかける。すると数瞬だけ風が室内にもかかわらず舞った。髪が乱れ、顔を背けた伊澄がそっと眼を開けるとエレクシアの手の上には小さな生物が鎮座していた。

 上半身が人のような造詣でありながら背中には羽が生え、下半身は鳥のようであった。目は黒眼が大きく、エレクシアの指に嬉しそうに頬を擦り寄せていたが伊澄の視線に気づいてキョトンとし、次いでエレクシアを見上げる。だがすぐに、まるで「どうでもいっか」とばかりにエレクシアの指に捕まって遊び始めた。

 その様子に伊澄は眼を丸くして言葉を失い、エレクシアは自慢げに胸を張った。立派な胸が更に大きく見え、悲しいかな無意識に伊澄はそちらを眼で追ってしまい慌てて眼を逸した。どうやらエレクシアにはバレなかったらしい。


「エルフ族は基本的に魔法が得意なのですが単なる呼びかけに応じてもらえることは殆どありません。ですがワタクシは幸運にも彼女たちに気に入ってもらえているようで、こうして呼びかけるとすぐに姿を現してくれるのです」


 ありがとう、と精霊に話しかけると小さな風精霊は飛び上がりパッと消えていく。その様子を伊澄は口をポカン、と開けて見送った。


「……精霊はいるんですね」

「ええ。ワタクシたちの良き隣人です」そう言ってエレクシアはニッコリと微笑んだ。「話を戻しましょう。ニヴィールとアルヴヘイム。ご覧の通り伊澄様の世界とは異なる世界ですが、世界の法則や生物の作りなど似た部分も多くあります」


 科学技術の発達したニヴィールと魔法技術の発達したアルヴヘイム。方向性こそ違えど世界の成り立ちや発展も似ている部分もある両者は、いわば表裏一体の世界であり切っても切り離せない関係であった。人族エルフ族含め、世界は人々が意識しなくとも相互に少しずつ作用しあい、しかし明確な干渉もなく悠久の歴史を過ごしてきた。

 そして、互いが最初に相手の世界を認識したのは今から僅か五十年ほど前だという。


「当時の資料によれば、まだ明確に異なる世界であるとは確認できていなかったようです。何らかの要因で偶発的に、大昔から極々低確率でニヴィール世界の方がこちらへ落ちてきたり、或いはその逆のケースもあったみたいなのですが、少なくとも今みたいにある程度の身分を持っていたり知識階級の間では常識ということはなく、直にそういった『墜ちた人々』に接した人以外は知られていませんでした」


 極めて限られた人たちの間でのみそういった異なる世界の知見は留まっており、まして偶発的に生じるものであるため積極的な交流など望めるはずもなかった。

 そんな状況が長く続き、しかし状況が大きく変わったのが十三年前だ。


「二つの世界を結ぶ大きな『孔』が生じ、その事件によってアルヴヘイムから多くのものがニヴィールへと流出してしまいました。

 魔法を使うために必要な精霊は数を、魔素は濃さを失い、ワタクシたちの生活に多大な影響を与えたのです。中には魔法の術を失い、そのことに絶望して命を絶った者もおりました」

「そんなことが……」

「しかし一方で――ワタクシたちは救われました」

「――え?」


 エレクシアは立ち上がり窓辺へと足を向けた。窓の外には人々で賑わう城下町があった。


「あの日……ワタクシたちは滅亡の危機に瀕していたと言っても過言ではありません。

 伊澄様たちの世界と違い、精霊が生き魔法と共に生きるこの世界は時にとてつもない怪物を生み出します。

 ……十三年前のあの日もそうでした。巨大な白い化物モンスターが現れ、町を破壊し、人々は恐怖に飲み込まれていきました。もちろんワタクシたちも対処には当たったのですが……」エレクシアは悲しげに眼を伏せた。「怪物を前に手も足も出ませんでした。

 攻撃は全て弾かれ、封印さえもままならない……最後の希望を込めた強大な魔法でさえそのモンスターを屠るに至らなかったそうです」

「……でも、こうしてエレクシアさんは生きています」

「はい」彼女は顔を上げた。「それは奇跡と呼ぶにふさわしい偶然だったのでしょう。誰もが絶望に打ちひしがれていたその時、アルヴヘイムとニヴィールを繋ぐ巨大な孔が現れたのです。

 世界の作りのせいか、魔素の濃いものほど引き寄せたその孔は精霊などと共にその白いモンスターを連れ去っていってくれたのです。世界は多大な犠牲を払い、しかし同時に九死に一生を得ました」


 話を聞きながら、伊澄の頭の中では幾つものキーワードたちが乱雑に飛び交っていた。

 十三年前、二つの世界を繋ぐ孔、そして巨大な化物……それらが一本に繋がった時、伊澄の脳裏にイタチの様な姿をした生物の姿が過った。

 伊澄は思わず大声を上げた。


「まさか……それが『瑠璃色の黄昏』っ!?」


 エレクシアは振り返り、静かに頷いた。



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