第15話 そうか。おまえはそういう決断をしたわけか。

     ⁂


「そうか。おまえはそういう決断をしたわけか」


 阿須倣あすならアルサは言った。教室よりもやや広い音楽室のスペースには、アルサから二メートルほどの距離を置いて武装した兵士が銃器を手に彼を取り囲んでいる。

 アルサはそんな中、ボブ・デュラハン只一人を見ていた。と言っても彼の神経は研ぎ澄まされ、三百六十度、どの角度で動きがあっても即座に反応できるようになっている。もしそのうちの一人でもピクリと動こうものなら、微量な動きが生じ終わる前に命を失っていることだろう。


「赦せ、阿須倣」


 ボブの顔は苦悩で歪んでいるようだった。

 いったい何故か、阿須倣アルサには分からない。


阿須倣あすなら、あるいはおまえの方が正しいのかもしれない。だが幾らおまえがあがいたところで最終的には本国の攻撃を止めることはできないだろう。その時に俺は傍観者の立場でいることはできない。そこでどんな卑劣なことが行われてようとしているのか知っていて、自分だけ逃げるような選択は俺にはできない。——だから、おまえにはここで死んでもらう」


「勘違いするな」


 アルサは言った。


「何も俺は正しい正しくないを判断基準に行動しているわけじゃない。おまえが謝る必要も俺には感じない。

 おまえは自分で決断したのだろう? ならば何事も顧みずに引き金を引けばいい」


「そうか」


 ボブは言った。だが、とアルサは重ねて言う。


「俺も同じようにするぞ」


 その場にいた誰もが得体のしれない何かに襲われるような恐怖を感じた。そしてそれは決して比喩ではないのだと、すぐさま思い知ることになる。



     ⁂


 これが阿須倣アルサなのか?

 ボブ・デュラハンは驚愕していた。恐れおののいていた。そのためか身体がいつもより重い。呼吸の乱れが著しい。流れる汗は絶え間ない。支離滅裂な戦場においても、ただの恐怖によって自由がここまで奪われた経験はボブにはなかった。

 阿須倣アルサは恐怖そのものだった。


 兵罠世灰へいわなせかいは人智を凌駕した力を持っていた。彼女はまぎれもなく最強に違いなかった。

 しかし阿須倣アルサは最強ではない。一介の人間に過ぎない。だから殺せると判断した。それが違った。

 最強はもう一人いた。ボブは引き金を引き続けながら、ゴクリと唾を呑む。

 もちろん阿須倣あすならアルサの最強は兵罠世灰へいわなせかいのそれとはまるで違う。彼女の力は絶対的だ。誰も彼女に敵わない。誰も彼女に近寄れない。近寄る間もなく圧倒的な最強ちからによって塵すら残してもらえない。

 阿須倣のそれはもっと局所的で人間的だ。神々しさすら感じる兵罠世灰へいわなせかいの力に対し、阿須倣あすならのそれは黒々しい。まるで影。そう、影を相手にしているようだった。


 しかしボブは何も阿須倣を過小評価していたわけではなかった。そのうえ、念には念を入れておよそ一人の人間を殺す目的に対し、過剰なほどの戦力を投入したのだ。

 ただ阿須倣アルサの実力がボブの創造をはるかに凌駕していたということだ。

 ボブが発砲を命じるまでに連れてきた十人のうちの二人が殺されていた。しかしまだボブを含めれば九人いる。戦力も戦況も圧倒的に有利と言えた。彼らは精鋭部隊なのだ。円形に標的を囲んでいるとは言え、味方同士で撃ち合うような状況にはならない。

 だが、そんなこと問題ではなかったのだ。


 追い切れない。


 このような経験は初めてだった。

 もちろん放たれた銃弾は阿須倣アルサをあっさりと抜き去るだけのスピードを持っている。しかしながら、射程距離にいる標的を相手に銃口を向けることができなのだ。

 まるで影。

 速いだけなら話は簡単だ。相手の動きの先を読めばいい。しかし違う。およそ予測の範疇を超えている。変幻自在、神出鬼没、縦横無尽、阿須倣アルサが認識する空間とボブらが認識する空間ではまるで次元が違う。

 阿須倣アルサは壁を壁と思わない。

 阿須倣アルサは天井を真上にあると認識しない。

 ボブが阿須倣の動きを読んで発砲する。しかしその瞬間には彼はそこにいない。どこへ行った? 即座に目で追う。仲間の一人の首が不自然な方向へ曲がっている。そこか? 

 だが――、


「終わりだ、ボブ」


 ぞくりと身体が震える。いつぞやと同じようにボブの側頭部にヒンヤリとした手が添えられている。

 死神の手だ。

 認識したが最後、振り返る間も与えられない。気づいたときにはもう遅い。

 ボブ・デュラハンは死んでいた。

 自らが死を認識する前に。

 いまだ生きていると錯覚するほどの速さで。

 しかしながら意識はあっさりと死を認め、プツリとブレーカーが落ちる。


 その間際、ボブは病室にいた。

「写真撮っていただけませんか?」

 ボブはカメラを看護師に渡した。ええ、構いませんよと彼女は快く笑う。

「ポーズはどうしようか?」

 ボブは最愛の二人に向かっていった。

 ミザリーはスパイダーマンのポーズをし、妻のナタリーはウインクし、逆側の眼の横にピースを添える。


「じゃあ撮りますよ! はい、チーズ」


 パシャリと光るフラッシュライト。

 切り取られた時間はもう戻らぬ過去を象徴する。



     ⁂


 アルサは死体が転がる音楽室を歩いてボブ・デュラハンの服を探った。内ポケットを調べると生徒手帳とスマートフォンが出てきた。

 生徒手帳の中には写真が入っていて、そこにはボブと家族が笑顔で写っていた。スマートフォンにはロックが厳重に掛けられていたが、ボブの指紋と虹彩がある今、大した問題ではなかった。

 そして必要な情報はすべてそこに入っていた。

 アルサは立ち上がり、それから歩きかけた身体を戻してボブの内ポケットに写真を入れた。

 それらの行動が終わってからアルサは不可解に思った。

 自分はなぜこんな行動をとったのだろう。

 目の前の肉体に写真を見る能力は残っていないというのに。

 だがそれ以上考えることをせず、兵罠世灰へいわなせかいがいまだ寝ているであろう教室を目指して、音楽室を後にした。

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