第8話 残った一葉の記憶。

     ⁂


「人生は悲劇よ」


 夜唾よつばが言った。


「いきなりどうした」


 アルサは訝る。


「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続に他ならないのが人生。ゆえに、人生は悲劇なのよ」


「説得力がある」


 アルサは自身の生涯に照らして答えた。


「ショウペンハウエルよ」


「哲学者?」


 夜唾は頷いた。


「つまり、裏切られる前の希望、挫折させられる前の目論見が人々を酔わせ、人生の終焉にはハッピーなエンドが待ち受けているに違いないと錯覚させるの。これこそが、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちだわ」



     ⁂


 いつぞやの記憶だ。


 夜唾はそれだけ言って、あとには何も語らない。


 いつしかアルサもこの会話を記憶の木の葉に埋もれさせて、発掘する気もなかった。


 それがなぜだか強烈な風によって木の葉がさらわれ、たった一葉残ったことで、思い起こされたのだ。


 それがどのような意味なのか、アルサには分からない。


 彼女は生きるのは愚かしいことだとでも言うつもりだったのだろうか。


 どうもそうには思えない。


 ともかくアルサにとってはそれが悲劇であろうが、喜劇であろうが、価値あるものであろうがなかろうが、人生を自らの手で幕引こうとは思わなかった。


『おまえは絶対に死んではいけない。どんなに辛い状況でも、最後には俺が迎えに行く。それまでは絶対に生を手放すな』


 キョウダ《あに》がそう言ったからだ。


 あたかもコンピューターがそのプログラムに逆らえないように、アルサは兄の言葉にひたすらに従順だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます