第5話 最強とラブコメ

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 ボブとナターシャとの一件があってからその日はそれなりに平穏だった。強いていうなら授業中にどこからか手榴弾が投げ込まれたくらいである。熟練の殺し屋である彼らは慣れたもので、アイコンタクトのみを手段に一致団結を果たすと手榴弾を迅速かつ丁寧正確に処理し、教師ともども何事もなかったかのように授業は進行した。


 アルサはまだ教科書を持っていなかったので、隣席の世灰に机をくっつけて見せてもらった。といっても授業など聞くつもりがなかったのであくまでポーズである。

 他の殺し屋はどうだろうと見まわしてみると、ほとんどの生徒が授業そっちのけで各々の作業をしている中、ボブとナターシャを含めて少数の生徒は、せっせとノートを取っていた。一般生徒に擬態するも任務の一環だということなのだろうが、ボブ、おまえのその見た目じゃ高校生は厳しいぞ、とアルサは思った。


 世灰はというと授業が始まるや否や夢の中へ埋没していった。顔が腕に隠れて半分しか見えないが、こうしてみると普通の少女と何も変わらないよう思えた。長いまつげも、小さな寝息も、少し捲れたスカートから覗く白い太ももも、あまりに無邪気で無防備なように見えた。

 これまでの事例を知らなければ、とてもこの少女が最強だと信じることはできなかっただろう。


 あまりに気持ちよさそうに寝ているので、窓際はちょうど日向に当たるのも相まって、猛烈な眠気に誘われたが、最強とは違いアルサは寝てしまうわけにはいかなかった。

 なぜならここは殺し屋が集う教室、いつどこで命を落とすかしれないのだ。加えてアルサは現時点でほかの殺し屋にとっては厄介者に違いない。この中で真っ先に排除されるとしたらアルサに違いないのだ。

 ゆえに警戒の糸をとぎらせることなく、授業に集中するそぶりを繰り返しているうちに、放課後を迎えた。



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 兵罠世灰は部活動には参加していない。


「なぜだ?」と理由を聞いてみる。


「スポーツはね、未熟だから楽しいのよ」


 試しにアルサは彼女を体育館まで引っ張って行った。そこにいたバドミントン部員にコートを借りる許可を貰い、ついでに羽とラケットを借りてネット越しに最強と向かい合う。


「何の真似かしら」


 世灰は説明もなしに引っ張り出されて不満げな顔をしていた。


「恋人の戯れだ。――五点先取したほうが勝ちだ。言っておくが、俺は強いぞ」


 アルサはいまだかつて兄以外にバドミントンで敗北したことがなかった。公式の試合に参加したことはなかったが、ストリートの世界において自分より強い人間に出会ったことがない。

 バドミントンは動体視力と反射神経のスポーツといえる。結局のところ相手のほうが技巧において勝っていたとしても、くらいついていけばおのずとチャンスは訪れるのである。

 加えて相手が狙う領域は、コートの内側のみ。実に狭い面積だ。アルサの誇る身体能力と脳機能をもってすれば打ち込まれる球に反応するのはさほど難しいことではなかった。何しろ羽球は銃弾と比べはるかにゆっくりこちらまで辿り着くのである。

 兄はすべての能力においてアルサに勝っていたために勝利は望めなかったが、それでも他人の身体能力の力量を測るのに、バドミントンというスポーツは実に適していた。

 最強がどの程度最強なのか、ひとまずバドミントンで測ってみようというわけだ。


「じゃあ、行くぞ」


 アルサは羽を世灰の側のネットすれすれに打ち込んだ。

 次の瞬間――


 バッシュッ!


 ズドン!


 およそバドミントン史上一度も聞かれたことがないような音が生じた。

 どこで?

 世灰が握るラケットの中で、そしてアルサの真横で。


 ラケットは粉々に破壊され、羽はアルサの真横の床に巨大な穴をあけていた。穴の底でネズミがいっせいに散会する。悲しいかな、何匹かはその生命を全うすることなく終えていた。


「もう十分でしょう、阿須倣くん。それともまだ――」


「じゅうぶんだ」


 アルサは速やかに体育館からの撤退を決めた。



     ⁂


 教室に鞄を取りに戻ると、ほとんどのクラスメイトは姿を消していたが、後方でかたまり何やら話し込んでいる一陣は、アルサと世灰が入ると怯えるように息をひそめ、アルサについては冷たい視線を投げつけてきた。

 鞄を取り、速やかに教室を出ることにした。作戦会議の邪魔をしては申し訳ないと思ったからだ。

 玄関への道すがら、ちょっとした会話をする。


「兵罠、おまえ放課後は何をしているんだ?」


「別に何もしないわ。ただぶらぶら街を歩き回るだけ」


「なぜ?」


「他にやることがないからよ。それに街を歩いていればたいてい猫に遭遇するでしょ」


「それが何か」


「わたし猫が大好きなの。――どう? 暗殺に使えそうな情報かしら」


「検討の余地はあるな。――家で猫を飼っていたりもするのか?」


「いいえ。わたしの思いはいつも一方通行なのよ。猫はわたしに怯えて近づいて来ないわ。強引に撫でることはできるけど、そういう場合極度の恐怖とそれに伴うストレスで死んでしまうのよ」


「災難だな」


「ええ。まったくね」


 靴を履き替えて外に出る。グラウンドを真っ二つに割くようにして舗装されたそれなりに広い道がまっすぐに伸び、道の両端には桜の木が咲いていた。

 季節は五月、瑞廉市国は桜の最盛期である。

 桜並木の向こうに、ようやく巨大な校門が見えた。そちらへ向かって並んで歩く。


「そういえばおまえ受験の際、首席だったんだろ?」


「ええ。当然よね」


 世灰は桜の花びらが春風になびき散るのを目を細めて見ていた。

 日はゆっくりと斜陽の形態をとり始め、ゆるやかな時間の流れは人々の影を細長く伸ばして遊んでいる。

 気温は寒くも暑くもない、ときおり額を撫でる風は気分を害さない程度に冷たく、実に長閑な放課後のひと時と言えた。

 グラウンドから青春の掛け声と、カキーンという金属音が聞こえ、それらは蒼穹へ向けられているように感ぜられた。


「二位の生徒の成績が満点だったと聞いてる。あくまで自己採点だが、もし事実ならどうしておまえが首席を取り得たのか不思議に思ったわけだ」


「考えたら分かることよ」


「考えても分からなかったから聞いているんだが」


 世灰は桜から目を切ってアルサをじっと見据えた。

 矛盾に満ちた美形は桜花を背景にいっそう魅力を増している。


「最強の答案に、点数をつけられる人間がいると思って?」


 アルサは頷いた。


「なるほど、納得だ」


 校門を出て立ち止まる。振り返ると校舎からのびる一本道を続々と生徒が歩いているのが見えた。

 友人同士で、ひとりきりで、あるいは恋人と。

 こうしてみれば最強もただ一人の生徒と違いはない。


「この後はどうする予定だ? 家に帰るのか?」


 アルサは訊ねた。


「帰る家なんてないわ」


「なら普段どうしている。ホテル暮らしか?」


「まさか。そんなお金持っていないわ。言ったでしょ、街をぶらぶらしているって」


「寝ないのか?」


「寝るわ」


「どこで」


「外でよ」


 そんな危ない真似――と言いかけてアルサはすんでのところで堪えた。最強に危険などあるはずがない。不毛な発言は体力の無駄遣いだ。


「分かった。今日からは俺の家に住め」


「あら、大胆ね」


「恋人だからな。二十四時間一緒にいたいと思うのは当然だろう」


「ええ、同感よ、ダーリン」


 この間、二人ともまったくの無表情である。


 こうして殺し屋とターゲットの奇妙な同棲生活が始まったわけだ。


 だがこうしている間にも、世界が最強によって破壊される日が迫っていることを忘れてはならない。

 瑞廉市国において、五月の季節は春といえよう。

 この春こそ、世界が最後に経験する春といえるかもしれないのだ。

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