最強さんが世界を破壊すると言い出したので暗殺することにした件。

怪屋(あやや)

第1話 最強を暗殺せよ。

 普通に人を殺すだけなら道具は不要だ。


 銃はもちろん、ナイフもロープもボールペンだって必要ない。 


 気絶させて路地に引きずり、首を引っこ抜けば事足りる。


 無音で素早く、凶器の処理にも苦労しない。飛行機にも不自由なく乗れる。


 阿須倣あすならアルサはそういう暗殺を得意としてきた。

 相手が人間なら、素手で十分だったからだ。


 筋量においてこちらが劣っていたとしても、不意を突けば呆気ない。

 優れた頭脳を有していても、死の前では誰もが平等だ。


 そうに違いないと思っていた。


 最強あいつに出会うまでは。


     ⁂


「依頼よ」


 夜唾よつばが言った。場所は彼女が営む風俗の最奥の間。瑞廉市国みずかどしこく最大の繁華街、覆江町ふっこうちょうの深淵である。

 依頼はいつもここで告げられる。従業員は夜唾が選り抜いた信頼のおける者のみであり、そもそも彼らはこの部屋に入ることを許されていない。会話の内容を気に掛ける必要はなかった。

 いまの時代、メールや電話は危険である。


「ターゲットは?」


 アルサは訊ねた。


 夜唾は即答する。


「最強よ」


「苗字か? 変わっているな」


「あなたに言われたくないと思うけど。――あなたの苗字、何と言ったかしら?」


「……阿須倣あすなら


「なにそれなめてるの? ――はいはい。拗ねないの」


「拗ねてはいない」


「ちなみに苗字じゃないわ」


「じゃあ名前?」


 夜唾は細い指を振った。

 アルサは少しばかり首をひねった。


「お手上げだ」


「お手上げも何もそのままの意味だわ。今度の標的は『最強』、つまり最も強い存在よ」


「すまん。何を言っているのかよく分からない」


「ああ、ごめんなさい」夜唾は嘆くように顔を軽く振る。「わたしが悪かったわ。あなたの頭の悪さを誤解していたようね。依頼の前に、日本語の勉強から始めましょうか」


「日本語なら分かる。俺が言っているのはそういうことじゃない。つまり最強なんて有り得ない。何かの暗号なのか?」


「いいえ、最強は最強よ」


「もし俺が誤解していないのだとしたら、やはり有り得ない」


「そうね、でも有り得たの」


「信じられない」


「百聞は一見に如かず、よ」


「つまり標的を見てこいと?」


 夜唾は場所を告げた。アルサは即座に記憶し席を立つ。


     ⁂


 夜唾に指定されば場所は店から一駅ほどの場所で、それほど離れてはいなかった。

 

 時はすでに深夜に近いが、覆江町が眠るのは昼間であり、現在も喧騒とネオンの瞬きが充満している。


 アルサが訪れたのは繁華街から少し外れた通りで、この辺りまで来ると店も減り、マンションや住宅が数を増してひっそりとした由緒正しい夜の雰囲気が漂っていた。

 夜闇に響くのはアルサの足音と、風が運ぶ街の臭い。


 五月の夜は冷える。アルサはコートを着ていたが、それでも冷気が直に肌を撫で、薄っすらと産毛が逆立つのを感じていた。


 しかしこんなところに最強がいるのか――疑問に思いながら足音を鳴らしてぶらぶらと歩くと、前方に人影を見つけた。


 線の細さから言って女性だろう。歩き方はゆったりとしており、長い髪の毛が冷たい空に浮かぶ三日月に、まるで流れる水のように靡いている。よほど艶のある髪質なのだろう、などと思いながらアルサはあとをつけた。

 一番初めに見た人の跡をつけろ、というのが夜唾からの指示だった。


 足音を消し、歩調を合わせ、気配を殺し、影に紛れて彼女の背中を追いかける。


 まさか彼女が最強なのか? と考えている自分に気づいてアルサは自嘲した。

 彼はこれまで数多くの戦闘に身を捧げた人間を見てきた。そしてある意味では自分もその一人である。

 相手の強さくらい、歩き方ひとつ見れば判別できる自信があった。

 鍛錬を積んだ人間の野生の獣のようにしなやかな足の運び、筋肉と神経、そして骨が完璧な連携を見せて身体を前方に運ぶその一連、実力というものは隠そうとして隠せるものではない。

 能ある鷹は爪を隠すとは言ったものの、アルサにとって隠しきれる爪しか持たないのであれば、警戒するに及ばない。そんな小さな爪は爪とは言えなかった。

 真の実力であるならば、いかに巧妙に隠そうとも細部に現れる。同じように真なる実力も持った人間であるなら、些細を見過ごさない。一目見ればたちまち気づく。

 つまり、能ある鷹は爪を隠すとは、能が無い人間の視点から述べられているのだ。


 彼女の歩き方から特殊な鍛錬の軌跡は感じられなかった。ごく普通、というのが正直な感想である。

 堂々としているものの、現代では辺りに注意を払って歩く者のほうが珍しい。安全でない街を安全であると錯覚するにおいて、現代人は天性の才覚を発揮する。


 とすると、彼女の歩みの先に最強とやらが存在するのだろう。


 しばらくして彼女の更に前方から、怒号と悲鳴それに歓声をひとまとめにしたような音が飛んできた。

 アルサには音が生じている現場の光景が、はっきりと想像できた。もちろんそう難しいことではない。怒号と悲鳴から暴力を連想するのは赤子でもすることだ。


 だからだろう。おや、とアルサは思った。

 喧しい音が彼女の前方で生じていることは明らかである。もしアルサの想像の通りに一般的な歩き方をする彼女が一般的な女性であるなら、そのような不穏な現場に近づきたくないはずだ。

 怖いとかの問題ではない。道を避けるのは常識的な選択だ。問題や厄介ごとは自らに振りかかり、避けられないと分かるまで、遠ざけ見ないようにするのが人間の性だろう。


 しかしながら彼女は先ほどと変わらぬ歩みで更に前方を目指す。

 音が聞こえた時点で、少なくとも足を止めるか、歩調を緩めるのが一般的な反応なはずだ。それは警戒心や迷いの現れであり、人間として当然の反応である。

 目の前にいかにも怪しいニンジンがぶら下げられていたら、罠を疑ってしかるべきだ。不自然に木の葉が撒かれた地面は避けて通る。

 人類はこの危険予知の能力に幾度となく助けられ、今日こんにちの繁栄を築いたのだ。


 だが彼女にはそれがない。


 歩調は一定のまま保たれている。

 身体に力が入った様子もない。

 両脇で揺れる指先はピクリとも動かない。

 

 慣れている? いや、そんな次元ではなかった。

 むしろ、そう、無関心。それに近い。

 まるでこの先で繰り広げられているであろう陰惨な暴力など、まるで問題にしていないかのように、彼女の歩調は変わらない。


 ヤクか? だが、彼女の足取りははっきりとして、少しもふらつきは見られない。

 無警戒に、無関心に、どんどん音へ向かって歩いていく。


 音は前方の、住宅の間に形成された路地から聞こえてくるようである。このままいけば彼女は難なく通り過ぎることだろう。

 もしかしてそれが分かっていたのだろうか。


 気づけばアルサの中で目の前の女の存在感が増していた。

 あれほど自然に見えた歩行が、不自然に見えてくる。力の入らない肩に歪なモノが感じられる。ゆらり揺れるスカートの端から、明媚な魔力が発せられているかのようだ。


 突然彼女が立ち止まった。

 あろうことか、例の路地の真横である。そしてくるりと身体の向きを変え、喧騒の溢れる路地へその身を消した。

 スカートの端がアルサを嘲るように手を振った。


 ハッとしてアルサは足音を消したまま走った。路地への角で塀にぴったりと背中をつけて、まずは音と気配で中の様子を伺った。


 暴力を振るっているのは、四人。

 リンチを受けているのは、一人。

 全員が男。


 いったい彼女は何の用でこの路地へ入り込んだのか。不可解さが募る。


 どうやら男の一人が彼女に気づいたようである。ねっとりとした声で彼女に絡むと、他の男たちも追随した。

 彼女にとっては危険な状況である。このまま帰れるわけがない。


 出ていこうか? ――一瞬思案したがやめにした。動機がない。この路地に入って無事で済まされないのは彼女も了解していたはずだ。そんな愚行に手を差し伸べたところで、同じことを繰り返すのが落ちである。お灸を据えられたほうが、むしろ彼女のためだろう。

 そもそもアルサは無関係の女性を正義心から救済するほど、良質な人生を歩んでこなかった。

 もしここで彼女が強姦され、殺害されたとしても、今夜の眠りにはまるで差支えがない。アルサが不眠症を患っているからではなく、彼にとって人の生死いきしや悲しみなど、どうでもいいことであったからだ。

 阿須倣あすならアルサは卑劣にして冷酷無比な殺し屋なのだ。

 どんな悲劇も悲惨も驚くに値しない。アルサの心は凍ったまま、ひび割れていずれ粉々になるだけだ。


 だが次の瞬間にはアルサは全身を硬直させ、すぐにそれを解くと全方位に神経を集中させていた。


 爆発音に似た音が聞こえた。


 二度、三度、そして四度。


 それきり無音である。


 しかして無音を切り裂くようにこちらへ向かってくる足音が聞こえる。


 アルサはプロの殺し屋だ。一度意識して聞いた足音は二度と忘れない。記憶は意識的に保存したものではない。感覚的に蘇るタイプの保存、再生である。

 足音が呼び覚ました映像は、例の不自然な彼女のものだった。


 何が起こった?


 おおよそ一般人では経験できない出来事をアルサは散々目にしてきた。次々と襲いかかる想定外、不測の事態、それが日常となっていた。ともすれば次第に想定外は想定の範疇に下りてくる。不意打ちはむしろ意中の産物に成り下がる。


 けれども、アルサは路地の向こうで何が起きたのか、まるで想像できないでいた。


 ゆえの最大限に集約した警戒態勢。


 日常から切り抜いたような自然過ぎる足音が近づいてくる。


 警戒は解かずに、息を止める。


 ギリギリのところで、心臓を停止させる。


 血管を流れる血液がその勢いを無くし、同時に意識が薄らいでいく。


 その反面、神経はより鋭敏に環境を認識する。


 まるで空気のように存在を消し、自らがここにいることさえ、忘れる。


 そうして路地から出てきた彼女が、また元の方向へ歩み出すのを間近で目撃した。


 やり過ごしたのを確認してから、アルサは路地を覗き込み、絶句した。


 リンチを受けていたであろう男が気絶したのか、横たわっている。では、加害を行っていた四人の男は何処いずこへ?


 探さずとも、視界に入ってくる。


 破裂したように崩れた塀、その残骸の中に一人。


 マンホールの蓋に顔からのめり込み、下半身だけを明らかにした一人。


 残る二人はコンクリートの塀に顔を埋め込まれていた。


 いったいどういうことだ。

 アルサは現場を視認して尚、状況を理解できないでいた。

 想定外、不測の事態、青天の霹靂――どころの騒ぎではない。

 これは明らかに普通ではない。

 常軌を逸している。

 異常。

 有り得ない。


『そうね、でも有り得たの』


 最強……?


 馬鹿な。科学が神秘を手のひらに引きずり下ろした現代において、そのような戯けた存在がいるはずがない。

 第一、何を持って最強と定義するのか。

 力が強ければ最強なのか?

 だが拳銃が出回る世界で筋肉は価値を甚だしく落としている。

 ならば最高峰の知性を持ってして、最強と言うのか。

 これもまた、同じことだ。

 何かに優れていても、他の何かによって敗北する。どんなに完璧に見えても、必ず弱点はある。

 対抗手段を練ることは難儀ではない。

 最強が文字通り『最も強いこと、』であるならば、その範囲を決めない限り、有り得ない。


 であるなら目の前のこれをどう解釈すればいい?

 あの細腕が、マンホールの蓋に大人の男の上半身をめり込ませたと?

 馬鹿を言え、それこそ有り得ない。


 トリックだ。何か仕掛けがあるに違いない。


 アルサはそう結論付けた。腑に落ちたわけではなかった。自分でも無理があると理解していた。

 けれど、もっと無理がある出来事が目の前に展開されているのだ。


 エマーソン曰く、

 『恐怖は常に無知から生じる。知識は恐怖の解毒剤である』


 そう、アルサは恐怖していた。体面にはもちろん出さない。声も震えないし、鼓動も早まらない。汗もかいていない。

 しかし自分が芯から慄いていることを、誰よりもアルサが一番自覚していた。

 恐怖に対する人間の処置方法はたった一つである。

 古来、天災を畏れた人々は、その理由を神に託した。

 無秩序が織りなす闇の中に、理屈という光を差し込んだのだ。

 神話や伝承は理屈である。宗教は理屈だ。現代はそれが科学に置き換わり、不要になったに過ぎない。しかし科学では説明できない理不尽な出来事に遭遇すると、人々は再び旧来の理屈を用いて納得する。どちらも動機は同一である。

 もやもやした自分の手では収集のつかない代物を、扱い易いものへと落とし込むのだ。

 アルサがトリックという説を用いたのも、同じ働きだった。


 しかしアルサの理性はそれだけでは納得してはくれなかった。安易な解はいずれ破滅を呼ぶと、彼が培った経験が喚ているのだ。

 だからアルサは自らの恐怖を脇に置き、十分に警戒をしながら、彼女の背中を追いかけた。


 依然、その背中は細く自然である。

 四人の男を驚くべき手法で屠り去ったとは思えない。

 自信があるといより、当たり前に進むがゆえに堂々とした歩調。


 もはや何もかもが不自然だった。


 アルサは小石を拾った。試してみようと、そういうつもりだった。


 狙いを澄ます。


 彼女の後頭部に。


 そして――


 背中に眼があるかのようだった。


 彼女はゆっくりと振り返った。

 焦りも動揺も感じられない。

 ただ振り返っただけという佇まい。


 アルサが鋭く放った小石は、振り返った彼女の眉間を目掛けて空気を切り裂く。


 だが、彼女にあたる前に小石はパンッと粉々に弾けた。


「なっ」


 思わずアルサの口から声が漏れた。


 逃げろ!


 これまで危機に瀕するごとにアルサを救った本能が絶叫する。


 目の前では彼女がゆっくりとこちらへ向け歩き始めていた。


 アルサはじりじりと後じさりし、パッと振り返り、己の全力を持って駆け出そうと筋肉を緊張させ――、


 振り返った先に、彼女がいた。


 驚愕に、絶対零度の心臓が音を立てる。


 いつの間に移動した?


 いや、移動という段階を越えている。

 言うならばこれは、――瞬間移動。


 アルサは思わず尻餅をついていた。


 そして目を見開き、眼前に立つ彼女を視界いっぱいに捉えた。


 その姿態を形容する言葉をアルサは持たなかった。強いて言うなら、『矛盾』。それが彼女を表す最も適した表現である。およそ、人物の外見描写には用いない言葉だろう。だが、それ以外に見つからない。

 静けさと爆発が同居する。

 弛緩と緊張が入り乱れる。

 感情と理性が交錯する。

 その口も、鼻も、眉も、眼も、華奢な肉体も、子供のような指先も、スカートの下から覗く脹脛も、何もかも一体感がない。

 まるで別々の人間のパーツを掻き集めたようだ。

 だがそれでいて、不思議なことに調和がとれている。

 一体感がないにも関わらず、これしかないという感じがする。

 人々の理想を具現した人間のそれではない。

 古代ギリシャの彫刻に見られるような完璧な美でもない。

 しかしながら圧倒的な印象をもって、美しさを越えた迫力でもって、彼女の姿はアルサの網膜を焼き切るほど熱く記憶された。

 見てはいけない、とさえ、彼は思った。


「おまえは、……何だ?」


 これは人間ではない。アルサは無意識にそう思った。


 彼女はゆったりと首を傾げる。長い黒髪が躍るように肩から滑り落ちる。そして、ぞっとするようなやり方で微笑んだ。


「わたしは、そうね、最強よ」


     ⁂


「あれが今回のターゲット」


 いつの間にか現れた夜唾が言ったとき、アルサは尻餅をついたままの体勢で放心したまま空を見上げていた。

 アルサは夜唾の顔をチラリと見て言った。


「無理だ」


「なぜ?」


「最強は殺せない」


「認めたのね」


「認めるしかないだろう。あんなモノ、見たことが無い」


「でも、やらなければならないわ」


「なぜだ?」


 夜唾は指を三本立てて、アルサに向けた。


「三か月後に彼女は18歳の誕生日を迎えるわ」


「誕生日プレゼントでも送れってか?」


「いいえ。彼女は18歳を迎えた日に、あることをすると公言している」


「あること?」


「彼女の名前は、兵罠世灰へいわなせかい


 三か月後の誕生日、彼女は世界を破壊するわ」

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