第2話 Rの時代を生きる
教員をしていた頃のことです。
私は、弓道部の顧問を拝命し、やったこともない弓道の武具一式を整えて、それなりの風情を生徒たちの前で醸し出していました。
もともと、姿勢はいい方であったのですが、やはり、弓道をしている方は姿勢が違うなんて褒められることもあり、そういうもんかなって、納得をしていたのです。
夏の合宿に部員を引率して、長野の清里で一週間ばかり過ごしましたことがありました。
最後の日に、同じ宿舎で合宿をしていた、とある大学の学生を交えて、練習試合をすることになったのです。
そこで、私、用意して来た金ピカのカップを机の上の置き、その前に『優勝』の二文字を書いて張り出したのです。
すると、大学生の一人が、先生、それは『優賞』ではないですかって言ってきたんです。
生徒の前で、学生に間違いを指摘されるなど、メンツは丸つぶれ、だから、意地を張って、これでいいですよって、とぼけたのです。
でも、心の中では、あれ、本当にいいのかしらって、不安が増幅されて、落ち着かなくなりました。
今であれば、iPhoneで、すぐに調べることもできますが、当時は、そんなものありません。
すると、くだんの学生、また、私のところにやってきて、先程はすみませんでした。辞書で調べたら、「優勝」で正しいことがわかりましたって、そう言うのです。
勝負事などに勝利してもらうものについては「優勝」、審査などで選ばれてもらうものについては「優賞」って、出ていましたって。
そんなようなことを思い起こしますと、私は、いつも漱石先生の逸話が心をよぎるのです。
夏目金之助という若き学徒が、通っていた学校で、松山からやってきたちょっと風狂な男に出会い、俳句なるものを始めます。
そして、彼から、西晋の孫楚の話を聞くのです。
世の中には自分のまちがいを認めようとせず、無理にこじつけてでも主張を通そうとする、困った頑固者がしばしばいるものだ。
今の時代の政治家を見ていると、それがよくわかる。
時代のなんたるかを知って、時代を生きている人間は、まことに、わずかだと松山の風狂なその男は嘆くのです。
とりわけ、江戸っ子を自認するものたちの中には、ほとほと閉口ぞなもしと、そう言ったかどうかはわかりませんが、金之助の見栄っ張り、頑として引かないそのありようを友情を込めて揶揄したのです。
一方、金之助は、子規が語る孫楚の話に興味を抱きます。
もちろん、それを金之助が知らなかったわけではありません。風狂な男のその語りが愉快でもあったのです。
川の流れでは、それを枕にすることはできまい、河原の小石でもって、口を漱(すす)げまいと、孫楚が、「枕石漱流」と言うべきところを、「漱石枕流」と誤まって述べたことを指摘したのです。
すると、孫楚、しばしの沈黙の後、まなじりを決して、言うのです。
枕流と言ったのは、今の時代の聞くに堪えない話を耳にしたそのけがわらしさを拭うためだと強弁するのです。
だったら、『漱石』とはなんぞやと友が問うと、苦し紛れに、歯を石で磨き、鍛えるためだと、これまた強弁をしたと言うのです。
どうやら、江戸っ子の金之助くんにも、その手の意地が強くあったようで、それはいい、正岡、俺にその言葉をくれと、そう言って、自らの筆名を「漱石」にしたと言うんです。
でも、なぜ「枕流」にしなかったのかなどと、私、しばらく考えもしたのです
きっと、「しんりゅう」では、なんとなく格好がつかないと、江戸っ子らしく思ったに違いないと。
いや、それは「しんりゅう」ではなく、「ちんりゅう」って言うのではないですかって、清里でかつての私に一言言ってきたような学生がいれば、そう言ってくるかもしれません。
国語には、表外読み、あるいは、表外音訓というのがあります。
常用漢字表にない読み方を言います。
例えば、「山」という漢字、表内読みでは、「やま」「さん」ですが、表外読みでは「せん」とされているのです。
そうすると、「枕」は、「しん」も「ちん」も共に表外読みで、ですから、どっちをつかっても間違いではない、ただ、慣習的に、誰が決めたか「ちんりゅう」にしているだけなのです。
きっと、漱石先生、その点を気にして、「枕流」を避けたのではないかと思っているのです。
「令和」という元号が発表されると、こころよく思わない連中は、命令する「令」を元号に入れるとは、何事かと、あるいは、日本はそのような国になっていくのだと、あらぬ騒ぎを演じました。
誠に浅薄なことであると、呆れ返った次第ではあります。
いや、実は、私も「令」の字に、つやがあるように美しい、そんな意味があることを初めて知ったのですから、そのような人たちを批判することはできません。
ところで、令和は、REIWAとローマ字で記すと政府が発表しました。
Rの発音は、日本人は苦手とするところです。
唇をつぼめて、w音を入れて、ラ行を発音しなくてはなりません。
もちろん、それは英語の場合ですけれど、それに、中国語でも、例えば、Ri-Ben、これ「日本」という漢字を中国語で発音するときに付けられるものです。
ジパングの元になったものです。
この中国語の、Rもけん舌音って言って、舌を口の奥に送り込んで発音する、日本語にはない音なんです。
なんで、こんな難しい発音を「令」の字に当てたのかってそう思ったのです。
そしたら、ある学者が、大伴旅人の時代、令の字は、呉音で読まれていたのだから、「れい」ではなく「りょう」と読まれていたはずだ。だとするなら、LYOWAとした方が妥当だと、そんな意見を開陳していました。
詳しいことは一介の元教師風情にはわかりようもありませんが、それもまた日本語だと思うのです。
令和は、我が国が、初めて、我が国の古典『万葉集』からとった元号であること。
それは、「美しい調和」なる意味を込めていること。
そして、REIWAと綴ること。
漱石枕流なる頑迷なる見解は捨てて、その意義づけられた令和の言葉をまっすぐに受け止めて、時代を生きていこうとそう今は思っているのです。
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