第33話 人権擁護局長ハインズ

 ハインズが居住するエリアは、最先端の環境工学で自然との調和の取れた都市機能を実現した環境調整実験区画である。

 エアカーやジェットバイクといった乗り物に替わる交通手段として、チューブライナーと呼ばれる無公害の輸送システムが開発された。

 そのチューブライナーの運行中の車両に、爽児の姿が在った。

 捕虜の統合軍特殊作戦部隊の隊員から、人権擁護局のハインズ局長暗殺計画の存在を知り、その阻止に向かっているのだ。


 本部では引き続き捕虜の尋問と、謎の怪物の調査が行われている。

捕虜への尋問は、拷問とも言える過酷なものだった。

其処までしなければ重要な機密事項を訊き出す事は叶わなかった。

 だが、統合軍の兵士とは言え忠誠よりも自己防衛を優先する程度の低レベルな者で在るからこそ拷問が効果を上げたのだと言える。

使命感ではなく、恐怖と快楽に依り支配統制されているだけの兵士故の脆さが露呈したのだ。

 一方、謎の怪物は或る程度の知能を有する人工的に創られた生命体で在る事が判明している。

捕虜の兵士が発した言葉、「不適合種」と言う語が示すもの。統合軍の軍事科学研究で産み出された怪物である可能性を現在調査中だ。

 ラインハルトは、特に関心を抱いた様子で執着的とも言える拘りを見せた。怪物の正体に迫るべく、対象が人間で在れば尋問にあたる困難な作業に取り組んでいる。意思疎通が成立するかも怪しい相手に対しては些か無謀な試みかもしれないが、ラインハルトは確信を持っていた。これが兄を惨殺した何者かに繋がる途で在ると。

 シュトロハイムの許へ送致して詳細な解析を実施する事は既に会議で決定している。だが、その場合解析結果をシュトロハイムが秘匿する可能性が在る。故に、出来得る限り自分達の力で怪物の正体に迫りたい。現段階で判明しているのは、僅かな事実の断片に過ぎないが、パズルのピースを組み上げる様に全体像の解明を進めている。

 同時にエリックは統合軍の審判の光計画のデータディスクの解析に取り組んでいた。多層的なプロテクトが作業を強固に阻んで居るが、エリックは嬉々とした表情でキーボードや機材を操作して解除していく。恰も魔術師が魔法を用いて禁断の封印を解いて居るかの如き神業だった。

「楽勝楽勝。もう直ぐ欺瞞の楽園が生み出した秘密を拝めるぜ。」

キーボードに新たなコマンドをインプットした刹那、モニターに情報の洪水が溢れ出した。それは一見して意味を成さない文字の羅列だった。

「漸く量子暗号の可視化に成功したな。此処からが最後の詰めだ。」

 エリックは鼻歌交じりに最終工程に入った。まるで緊張感が無い様に見えるが、エリックはこういった状況ではリラックスしていなければ却って重大なミスを犯す危険性が高まる事を熟知している。

 統合軍の量子ディスクに隠されたデータはその全貌が暴かれようとしていた。

 最新のネオ・テクノ・ミュージックにリズムを合わせて、エリックは作業に没頭していった。


 その頃、爽児はチューブライナーのステーションに到着して居た。紅葉の季節を迎え、市街地の街路樹や公園の木々が鮮やかな赤や黄色の葉を舞い散らせていた。

落葉を踏み締めながら爽児はハインズがこの時間教鞭を執って居る環境大学に向かった。ハインズは人権擁護局の局長で在ると同時に、倫理学や哲学の博士号を持つ大学教授でも在るのだ。

フリー・ジャーナリストである爽児は、取材の名目でアポを取ってある。ハインズは大学での講義を終えたら、ザクセンシティで講演会の予定が有る。統合軍特殊作戦部隊は其処を狙う計画だ。その前に、どうしてもハインズと面会して危険を知らせる必要が在る。

環境大学のキャンパス迄辿り着いた爽児は、校門の所に警察車両が停車しているのに気が付いた。車体には、SPTの文字が刻印されていた。

「!何故SPTがこんな所に居るんだ?」

統合軍のハインズ暗殺計画の情報を掴んだのだろうか。或いは、現在は黙示録の旅団の一員である爽児の行動を知り、先回りしていたのか・・・。後者の可能性は限りなく低いと判断した爽児は、予定通りハインズと接見すべく、教授室の在る別館に向かう事にした。仮にSPTがハインズ暗殺計画の阻止を目的として行動していれば、それはそれで好都合だ。鉢合わせしても、爽児が黙示録の旅団と行動を共にしている事実をSPTは把握していない筈だから、捜査状況に関して探りを入れる事も出来るだろう。別館の警備事務所で来訪の意図を告げると、警備員が教授室に連絡を入れて確認を取った。IDを端末に読み込んで本人証明を済ませると、電子キーを渡された。

別館の入口の脇に在るロック・コンソールに電子キーを差し込むと、静かにドアがスライドして開いた。案内用のモニターで確認すると、ハインズの教授室は7階に在る様だった。エレベーターの前に行き、タッチセンサー式のボタンに触れると、爽児は旧式のシガレットを口に咥えた。悪い習慣だと判って居るのだが、どうしても止められない。ニコチン依存症の自分も、アシッド・ドリーム等のドラッグに溺れる麻薬依存者も実態は大して変わりが無いのかも知れないと爽児は思った。自分にも治療が必要なのだろうか。自嘲の微笑みを浮かべて、爽児はゆっくりと紫煙を吐き出した。


 エレベーターの階数表示が一階を示し、ドアが開いた。

爽児が眼を向けると、比較的体格の良い銀髪の男性と警護役らしい警官が降りて来た。警官の襟章には、SPTの文字が刻印されていた。

 不意に、銀髪の男性が爽児を見咎めて声を掛けて来た。

 自分の正体に勘付かれたかと爽児が警戒して振り向くと、鋭い視線で爽児を見据えて男性が告げた。

「君、館内は禁煙だ。自重したまえ。」

「・・あ、ああ。そうですか。これは失礼致しました。」

携帯用の灰皿に煙草の火を押し付けて消すと、爽児は安堵した。

エレベーターに乗り込んで7階のボタンを押すと、ドアが閉まった。

上昇の緩いGを感じながら、爽児は先程の男性について考えた。

警護役の警官に付き添われて居た事から、幹部クラスの人間であると推察出来る。この大学を訪問した目的は間違い無くハインズとの面会だろう。SPTは、行政府警察組織の中でも腐敗とは無縁の独立部隊だ。彼等ならば、ハインズと協力関係を締結していても不思議は無い。考えを巡らせて居る内にエレベーターは7階に到着した。


 ハインズの教授室は廊下を進んだ先に在った。プレートに環境哲学博士ロベルト・ハインズ教授室と表示されている。ドアの脇のインターフォンのボタンを押すと、抑揚の低い声で返答が有った。

「はい。誰かね?」

爽児はカメラにIDを示しながら来訪の目的を告げた。

「緑野爽児です。取材のアポを取ったフリージャーナリストです。」

「ああ。君かね。どうぞ。今ロックを解除したよ。」

「それでは、失礼致します。」

爽児が入室すると、観葉植物とコンピューター類、壁面の書棚には前時代的な革表紙の専門書が整然と並べられた部屋の窓際に在るデスクから、恰幅の良い老年の紳士が立ち上がって出迎えてくれた。

「君は・・・以前何処かで会った事は無いかね?初対面の気がしないのだが・・・。」

「ええ。以前、スタジアムでお会いした事が有ります。」

「・・・!では、あの時私を救ってくれたのは君だったのか。いや、あの時は慌てていて礼を言う事も出来なかった。改めて礼を言わせてくれ。有難う。」

「いえ、危険を知りながら見過ごす事が出来ない性質なもので。」

「そうかね。だが、生命を懸けて私を救ってくれたんだ。感謝してもしきれんよ。お蔭で、こうして美味いハーブ・ティーを飲めるんだからね。」

そう言うと、ハインズは身体を揺らしながら愉快そうに笑った。

「実は、事態は現在も進行中なんです。貴方を暗殺しようと企てている勢力が在ります。今日はその事をお伝えしに伺ったのです。」

ハインズは真剣な表情に変わって爽児に尋ねた。

「ふむ。そいつは穏やかならぬ話だ。一体、何処の誰が私を暗殺等しようと企てておるのかね。」

「・・・統合軍の特殊作戦部隊です。連中の推進している非人道的な計画の障害となりそうな人物として貴方がリストアップされたのです。更に、広域犯罪組織ザイードも麻薬撲滅を訴える貴方を邪魔に感じています。この両者が結託している可能性が高いです。」

「何と!統合軍がその様な事を・・・。それでは、スタジアムで私を襲撃した女も統合軍の刺客という訳かね?」

「そう言う事になります。次の暗殺計画は貴方がザクセンシティで開く講演会でテロに偽装して襲撃する予定です。」

「・・・そうか。だが、講演会は中止する訳にはいかん。各経済ブロックの要人を招待して催される重大な会議を兼ねて居るのだ。」

「ですが、貴方の生命の安全を護る方が重要でしょう。貴方はこの世界にとって必要な方です。」

「有難う。しかし、私は逃げる訳にはいかない。行政府の庇護から弾き出された大勢の人々の為に、啓蒙を続ける事が私の使命だ。」

スタジアムの襲撃事件の際には慌てて逃げ出したのと同一人物とは思えない程、ハインズの言葉は決意と情熱に溢れていた。

「・・・そうですか。貴方の決意は解りました。では、せめてSPT等の信頼の置ける警察組織に身辺警護を依頼すべきでしょう。先刻、SPTが貴方の許を訪ねて来ましたね。」

「ああ。彼等の活動予算が行政府の指示で削減される事が決定したのだが、それを覆して予算拡充の便宜を図る事を要請されたのだ。」

「成る程。そうでしたか。彼等は腐敗した行政府警察機構の中でも独立性と志の高い稀有な存在です。私も、予算拡充が実現する事を望みます。」

「うむ。私の身の安全は改めて彼等に警護を依頼しよう。」

「それがいいでしょう。実は他にも聴いて頂きたい事が在ります。」

「何かね?」

「統合軍特殊作戦部隊はアウター・タウンの住民たちを標的にしたNBC兵器の人体実験を実施しています。」

「!それは確かなのかね?事実だとすれば赦し難い悪辣な犯罪だ。」

「私はこの眼で確かめました。世界統合の支配体制を磐石なものとする為に、連中は様々な策略を実行して居ます。」

「私が考えていたより遥かに事態は深刻な様だな。会議の議題として取り上げる事にするよ。」

「そうですか。ですが、統合軍と行政府は密接な関係を構築しています。特殊作戦部隊の行動も行政府要人の了承済みである可能性が在ると考えられます。最重要機密事項とも言える人体実験の事実を知り得た人物を放置しておくとは考えられません。充分に態勢を整えてから慎重に事に臨む必要が在ります。」

ハインズは暫く考え込むと、爽児に告げた。

「そうだな。君の言う通りだ。だが、見過ごす事は出来ない問題だ。事実は公表すべきだとは思うが、どうしたものか・・・。」

「それに関しては私に考えが在ります。行政府機構の専属報道機関であるWBNでは扱えないネタですが、裏社会のネットを利用すれば惑星全域に情報を浸透させる事が出来ます。」

「!それは・・・。何を意味するのか解って居るのかね?裏社会を利用するつもりが、逆に利用し尽くされて身の破滅を招く事にもなりかねんのだよ?否、確実に君は裏社会の闇に呑まれてしまう。」

「・・・覚悟の上です。私は既に後戻りの出来ない途を踏み出して居ます。それに、唯指を咥えて消えて行くつもりは在りません。」

断固とした爽児の決意を聴いて、ハインズは得心した。

「解った。君の決意はどうやら本物の様だな。私も、可能な限り尽力してみるよ。シム・ラベリングの非登録者達を理不尽な暴虐から護り、腐敗した世界を変える為にね。」

「心強い御言葉です。アウター・タウンの人々に代わって感謝致します。」

「君の方こそ、彼等から感謝されて然るべきではないかね。自己の生命も顧みずに危険を冒す勇気は賞賛に値するよ。」

賛辞の言葉を掛けられて、爽児は戸惑った。

自身の行動原理は贖罪と言う動機に基づくものだ。親友を救えなかった事。無論、爽児に直接の責任が在る訳では無いのだが、過去の血塗られた記憶は爽児を苛んで居た。ウィルの事件を切っ掛けに、フリー・ジャーナリストへと転身してから覗く事になった社会の闇。

その底知れぬ深さに爽児は絶望に執り憑かれそうに成った事も在るが、その度に掛け替えの無い仲間の存在が魂の暗部から爽児を救い出してくれた。だが、その大切な人々を幾ら失って来ただろう。

ウィル、ボブ、キャロル、アレックス、ウォルフ。もうこれ以上、誰も悪辣な犯罪の犠牲にはしない。統合軍、連中と繋がりの深い行政府、広域犯罪組織ザイード。非合法組織のみならず、全世界を統治する巨大な勢力との過酷な闘争の渦中で、澱み混沌とした世界と、清浄な希望へと繋がる世界の境界面に浮かび上がろうと足掻いて居る自身の姿を、爽児は自嘲気味に捉えて居た。どんなに望んでも、自分の力で世界を変える事等、到底叶わぬ夢物語ではないのか。

改革を志して結局は世界の圧力に屈服し、歴史に消えた夢想家達。

自身もまた、その二の轍を踏まぬと言う確証は無い。故に、現実に立脚して自身の能力を最大限に活用して行く事を肝に命じて居た。世界に真実を知らせる事。それが、爽児なりの復讐だった。虚構や綺麗事で塗り固められて来た世界の表の顔を引き剥がして、醜悪な犯罪行為の上に構築された偽りの理想郷の真の姿を浮き彫りにする。生命を無残に奪われた者達への鎮魂の意味を込めて。

「ハインズさん。実は貴方の講演会も取材する予定で居るのですが、私もSPTとは別に貴方の身辺警護をしようと考えています。」

「それは有難いが、危険では無いのかね?何故、君は其処までして私を助けてくれるのだね?」

「・・・貴方や世界の為と言うよりも、個人的な動機に基づくものです。復讐、と言った方が良いかもしれません。親友や掛け替えの無い仲間の生命を無残に踏み躙った連中に対する怒りの衝動が私を動かしているのだと思います。」

「・・・そうかね。私には、君に対して立ち入った事を言う権利は無いが、君が負の感情に執り憑かれて身を滅ぼす事が無い様に祈って居るよ。」

「有難うございます。充分に自戒致します。今日は御多忙の中で面談頂き、感謝して居ます。それでは、講演会の会場でまた御会いしましょう。」

「ああ。気を付けて帰り給え。」

爽児は教授室を退室すると、一旦黙示録の旅団本部に帰投する事にした。そろそろ審判の光計画に関して、エリックに拠るデータ解析が完了している頃だろう。迷宮のミノタウロスに関する情報も或る程度は判明している筈だ。何時の間にか空には暗雲が立ち込め、前途の多難を暗示するかの様に大粒の雨滴が地面を殴って居た。爽児は不吉な予兆を振り払う様にレインブロックフィールドを展開して帰路を急いだ。暗鬱たる運命の渦中に、一縷の希望を求めて爽児は降り頻る雨の中を疾駆した。

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