第8話 エレクトリック・メタル・ボウル

 夜の闇に浮かび上がる、堂々たる威容を誇るスタジアム。幾千にも重なって響き渡る歓声。異常な興奮と熱気。メタルボウルのカオス杯争奪決勝戦だ。


 正式名称エレクトリック・メタル・ボウル。磁力ブーツを履いて、推進機付アーマーに身を包んだ屈強な選手達が、メタル製のボウルを奪い合って、電磁フィールドを縦横無尽に駆け巡る。パスワークが重要で、ボウル保持制限時間を過ぎると、ペナルティ高圧電流がボウルから発生する。強烈なタックルと簡単な組み技でボウルを奪うことが出来る。


 スタンドには爽児の姿が在った。現役時代にはフォワードを務めた爽児は、久しぶりのスタジアムに胸の高鳴りを覚えた。だが、別の目的が有ってここへ来た事を思い出し、残念そうに振り返りながら、スタジアム最上部に昇る。

 メタルポーチから、望遠レンズ付のカメラを取り出すと、左前方に位置する貴賓席に焦点を定める。レンズ中央には、恰幅が良く高級スーツを身に着けた中年男性が写し出された。

「行政府人権擁護局長ロベルト・ハインズ・・情報通りだな。」

一段と高まる歓声。オープニング・セレモニーが終わり、選手が入場して来たのだ。

思わず気が逸れる。レンズが選手達に向いた。

「おっ、ボブの奴だ。今でもスターティング・メンバーとは、流石は馬鹿力のボブだな。あの歳で、たいしたもんだ。」

 今夜のカードは、ザクセン・フェニックスVSクラムフェルド・リヴァイアサンズ。

 情報に依ると、ハインズはフェニックスの熱狂的ファンで、重要な試合は必ず行政府高官の為の貴賓席で観戦するという事だった。人権擁護局長のハインズは、ザイードの違法ドラッグ汚染から市民を保護する為の特別立法を統合行政府司法委員会で提言する予定だ。

 更に、アウター・タウンの住民に対する保護措置を盛り込み、従来シティ住民に限定されていた保健医療を拡大適用する事も視野に入れている。ザイードが狙わぬ筈が無い。

 情報屋の話では、ザイードは見せしめの意味を込めて、大観衆が集まるこの場所での暗殺計画を実行に移すべく暗躍しているらしい。


 主審が、試合開始を告げる。専属DJの実況中継が、小型レシーバーから聴こえてくる。

「JUST SMASH UP!! さあ、決勝戦の開幕だ!今夜も熱く盛り上がっていこうぜ!おっと、フェニックスはスターティング・メンバーにボブ・クラウドマンがいるぞ。大ベテランのいぶし銀テクニックで、また俺達を沸かせてくれるのか!?」

「注目されてるじゃないか。まあ、只でさえ目立つからな、ボブの奴の巨体は。・・・そうだ、ハインズは?」

 ハインズは、貴賓席で身を乗り出すようにして興奮気味に観戦している。

「この大歓声だ。悲鳴等上げても聴こえる筈も無い。貴賓席には、ガードが付いているが、SPT襲撃犯が来ればひとたまりも無いだろうな。」

 貴賓席正面のスタジアム上部を望遠レンズでチェックしてみるが、狙撃を狙う様な怪しい影は無い。


 拮抗する実力の両チームは、互いに一歩も譲らぬ好試合を展開している。

両チーム同点のまま、ハーフタイムを迎えた。

爽児は、スタンド裏の入り口から廊下に移動し、貴賓席を目指した。

 途中で、幼い子供が泣いて居るのに遭遇した。

 若い女性が、優しく頭を撫でながら子供に事情を聴いて居る様子だ。

 女性は透き通る様な不思議な美しさを湛えた面立ちで、何よりその優しげな眼差しは、爽児も吸い込まれる様な錯覚を覚えた。白銀の髪と桜色の瞳が幻想的な雰囲気を漂わせている。天使を具現化すると、この様になるのではないかと思える。

子供は次第に泣き止み、笑顔さえ見せ始めた。

微笑ましい情景に、思わず笑みが零れる。

 爽児は暫く見惚れて居たが、直ぐに目的を想い出して歩みを進めた。


 貴賓席入り口には、屈強なガードが両脇に立っている。行政府の要人警護官だ。

「止まれ。貴賓席に、何か用か?身分証明書を提示しろ。」

胸ポケットから取り出したIDカードを渡した。

「ソージ・ミドリノ。フリージャーナリストか。アポイントは無いな。用件を聞こうか。」

「ハインズは、ザイードに狙われている。裏情報では、メタルボウル観戦中の今が危険だ。先日のSPT襲撃犯が関与してくる可能性が有る。俺は、襲撃犯の正体をスクープしたいんだ。張り付かせて貰うぜ。」

「・・・構わんさ。好きにしろ。その代わり、大人しくしていろ。我々の邪魔になる様なら、即刻排除する事になる。それと、入室は許可出来んぞ。」

「はいはい。適当にその辺に居るから、御心配無く。・・もう少し愛想良くしないと、女性に嫌われるぜ。」

廊下の圧力自動調整ソファーに座ると、爽児は旧式のシガレットに火を着けた。

紫煙を燻らせながら、周囲に気を配る。廊下のモニター・スクリーンには、白熱する試合の模様が映し出されている。終盤、遂に均衡を破るファインプレイを見せたのは、フェニックスのボブだった。強烈なタックルでスウィーパーを弾き飛ばして、ファイナルラインオーバーでポイントを決めたのだ。スタジアム中に大歓声が響く。


 その時、廊下に一人の女性が現れた。品の良いドレスを身に着けている。良く見ると、先刻廊下で泣く子供の相手をして居た女性だ。静かな足取りで貴賓席の入り口へ近づくと、護衛官に微笑んだ。

次の瞬間、護衛官の一人が白目を剥いて床に倒れ伏した。女が護衛官の胸部の急所を痛打したのだ。もう一人の護衛官が事態に気付いて、携帯武器を取り出した。高圧電流で敵を一時的に麻痺させる電磁スティックだ。材質強化された特殊警棒として、打撃にも使用出来る。隙無く構えると、女に警告する。

「女!この部屋には入れんぞ!!・・貴様を拘束する。無駄に抵抗すると、痛い目を見る事になるぞ。」

女は微笑すると、疾風の如く動いた。護衛官の攻撃は空を切る。女は身を翻すと、護衛官の背後に回り込んだ。護衛官の表情が苦悶に歪む。首筋に食い込んだ鋼線が締め上げる。

意識を失い、抵抗虚しく崩れ落ちたのは、護衛官の方だった。

「だから、愛想良くしないと女性に嫌われると言ったのに。」

爽児は、立ち上がると同時に猛然とタックルを決めようとした。

同時に貴賓席の扉が開き、女の姿が中に消えた。

目標を失って、爽児も貴賓席の中に倒れ込む。

「痛っ!・・・格好悪い。」


 顔を上げると、女がハインズの頚動脈を締め上げている。

「よせっ!ハインズは、大勢の市民を救おうとしているんだ。ザイードの違法ドラッグ汚染で苦しむ人々や、医療保護適用外だったアウター・タウンの住民達を救う為に尽力しているんだぞ!腐敗した官僚機構の中に在って、その存在は貴重だ。多くの人々の希望なんだ。だから、やめろ。解ってくれ。頼む。」

真剣に襲撃者を説得しようとする爽児。その言葉には、一遍の偽りも無い。

女の表情は、どこか哀しげだった。だが、ハインズを締め上げる腕を緩めない。

「例え私が失敗しても、この部屋の電磁シールドは解除して在るわ。貴賓席の位置は、狙撃の危険を考慮して設計されているから、直接ハインズを狙う事は不可能だけど、上空で待機中の機体からの精密爆撃で観客席ごと微塵に粉砕される。・・・だから、やるしか無いの。」


 貴賓席の窓の外にボブが見えた。爽児は咄嗟に、倒れている護衛官の特殊警棒を拾うと、出力を最大にして窓に投げつけた。偏光ガラスは飛散して、風が吹き込んで来た。一瞬、女が気を取られる。

「ボーブ!!こっちにパスだ!!」

あらん限りの大声で叫ぶ爽児。ボブが、気付いた。反射的に、手に持っていたメタルボウルを全力で爽児にパスする。がっしりと受け止める爽児。

「相変わらず重いパスだな。さあ、久々に決めるぜ!!」

 爽児は、反射角を瞬時に見極めると、部屋の壁に強烈なシュートを放った。

跳ね返ったメタルボウルは、女の背部に迫った。

女は、反転しながらメタルボウルを蹴り返した。受け止める爽児。

「こいつは・・ボブのパスに負けずに強烈だぜ。」


 ハインズは、自由になると駆け出した。女がそれを追おうとするのを遮ると、爽児は言った。

「待て。これ以上罪を重ねるな。何故、ザイードの手先になるんだ?連中がどれ程悪辣な奴等か、知らない訳ではないだろう?君は、本当は人を殺せる様な人じゃない。俺にはそう思える。」

「・・貴方には、解らないわ。」

「さっきのパス騒ぎで、放送機器もこの貴賓席に向けられている筈だ。ハインズにも当然報道関係者とスタジアムの警備員が張り付いてる。もう追っても無駄だぜ。」

 女は、窓の外から確認出来ない位置に移動して、部屋の外へ抜け出そうとする。

爽児が遮ろうとするが、女はいつの間にか拾い上げていた電磁スティックで爽児に一撃を加えた。強烈な電流で、爽児の全身は力を失う。

「ぐうっ!!!・・またかよ。最近、こういうのが多いな・・・。」

ゆっくりと床に崩れ落ちる爽児。視界の隅に、廊下へと消える女の姿が見えた。

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