第193話 誰もかも君を忘れた。だけど俺は絶対に忘れない


俺しか居ない、静寂な部屋……

そんな俺は布団に落ちている指輪をそっと拾う。


これは姫命が常に身に付けていた指輪で、前々から目に付いていた物だ。でも改めてよく見ると、美しく複雑で、繊細で、奇怪な砂時計が付いた指輪。


1度だけ姫命に見せてもらった事があったけど……あれ、おかしいな。


「──砂時計の砂、ほとんど無いじゃん。」


この指輪は常に砂が落ち続ける不思議な指輪という事は知っているのだが、もしかして……ずっと落ち続ける訳ではないのだろうか?


単純なファッションなのだと認識していたけど、何処かそれは違うように感じる。直感だけど。


「…………はっ!?」


俺はつい、おかしな想像をしてしまう。


この指輪がもし……姫命がこっちに居られるタイムリミットを形として表している物だったとしたら?タイムリミットが近付いて来ているから、慎重にではなく大胆に、そして強引に姫命は気持ちを伝えたのではないか、と。


「もし、そうなのだとしたら……」


俺はそう呟くと……拳を握りしめ、思いっきり地面に振り下ろす。


ドガッ──大きな音と共に拳に鈍い痛みを受ける。


「何をやってるんだよ……俺は!この大馬鹿野郎が!」


「どうして……自分の気持ちに素直になれなかった!」


「どうして姫命を純粋に1人の女の子として見れなかった!」


「神様とかは関係無いだろ!無理に謙遜して、遠慮して……本当にド低脳野郎がっ!」


「いつもの俺だったら……どんな試練だとしても挑戦し続けていつか必ず乗り越える筈なのに。どうして姫命の時は、その勇気が出なかったんだよ。」


「姫命は……俺の事を常に見ててくれたのに……俺は姫命を見ようとしなかった。」


どうしようもない、やるせない気持ち。だけど、まだ姫命が“ここ”にいるという希望はある。いや……そう信じる事しか今の俺には出来ない。


俺は無気力になりつつある心を無理やり奮い立たせ、姫命を探しに行くのであった。


☆☆☆


──姫命が消えてから数時間が経った。太陽が上り、森の自然が朝露を浴びる。動物達も起き出し、小鳥の囀りが俺の耳に届く。


普通ならば最高に清々しい気持ちになれるのだろう。だが、今の俺は違う。全くそんな気持ちにはなれなかった。


俺は……あれから一睡もせずに、姫命の事を探し続けた。旅館中をくまなく隅々まで探し回った。だけど、姫命は居なかった。姿形見かけられなかった。


「もう……朝なのか。」


暗い声を出した自分に若干呆れつつ、ゆっくりと椅子に腰を掛ける。


朝になったという区切りを体が判断し、どっと疲労と焦燥が襲ってくる。更にその2つが合わさり、睡魔までもが俺の前に立ちはだかった。


だが今俺が負う後悔は、ハッキリ言ってそんなのを無下にするぐらい強い。


これを言葉で表現するのならば『心にぽっかりと穴が空いてしまった』が適切であろう。


だから、その心を再び満たす為にはもう一度だけ姫命に会わなければならないのだ。そして……今度こそ、素直になって姫命の事を見るんだ。






「──あれ……お兄ちゃん!?」

「──え、アニキッ!?」


そんな大部屋の近くの休憩所でぼーっと、現実を直視出来ていない俺を初めに見つけたのは……茉優と煌輝であった。


茉優と煌輝はどうしてこんなに朝早くから一緒にいるのか?どうして昨日の夜、茉優が大部屋に居なかったのか?昨日の夜は何処で何をしていたのか?

……などなど、様々な疑問が脳裏を過ぎるが、それは口から出る事はなくすぐに俺の中で消滅した。


──とっくに俺の頭はキャパオーバーなのである。


「どうしたの、お兄ちゃん!」


茉優はすぐに俺のやつれ顔を見て心配そうに気に掛けてくれる。煌輝も遠慮しがちだが、茉優のサポートを全力でやるような雰囲気だった。


「ははは……ちょっと、寝ぼけてここまで来ちゃったみたいでさ。」


作り話に作り笑い。だが自分よりも歳が低い2人にだけは兄として、先輩としてカッコ悪い姿を見せたくはなかった。だから無理やりにでも、疲労満杯な体に鞭打って精一杯強がる。


「ねぇ、お兄ちゃん。」

「なに?」

「本当の事を言って欲しいよ。嘘ついてるって、バレバレなんだからね。」

「そうですぜアニキ。鈍感なこのオレでも一瞬で分かるぐらいに分かりやすかったですぜ。」


あはは……どうやら今の俺はあまりにも演技が下手くそになっているらしい。2人にはむしろ逆に心配させてしまう結果となってしまった。


「そっか……ごめんね、嘘なんかついて。」

「大丈夫だよ。むしろ……それが言葉に出すだけで辛いんだっだら話さなくてもいいんだよ?」

「ありがとう。でも言うよ。」


やっぱり茉優は優しい。その気持ちに少しだけ心が温かくなるも、一瞬にして冷め切ってしまう。


「──ちょっと喧嘩をしちゃってね。」


深いため息が口から漏れ出る……


「そうなんだ……それで、誰と?雫さん?」

「いや、違うよ。」

「じゃあ葵さん?夜依さん?誰でもいいけど、私が仲介に入ってあげてもいいよ?」


そうしてくれたらどんなに楽な事だろうか。だけど、これは俺と姫命だけの事だ。茉優は関わってはいけないと思う。


「ごめん、これは俺と彼女だけの問題なんだ。だから茉優のその気持ちだけ有難く受け取っておくよ。」

「そ、そう?あ、そうだ。ちなみに聞いておくけど、喧嘩した相手って誰なのかな。教えてお兄ちゃん?」


少しだけ困った表情と焦りの表情を織り交ぜたような顔をする茉優。そんな妹を見て少しだけ兄としての甘さが出たのか……


「──────姫命。」


ついつい口を滑らせてしまった。だがその名前を聞いた2人は不思議そうに顔を見合せた。そして……


「えっと……“みこと”さんって誰のこと?」

「は?」


虚言では無く、単純の疑問。そう茉優からは感じられた。煌輝の表情も伺ったが……ほとんど茉優とは変わらない。


「えっと、もう1回聞くね、お兄ちゃん?“みこと”さんって一体誰のことなのかな?新しい女の人?そんなの初耳なんだけど?」

「は?」


もう訳が分からない。どうして茉優と煌輝は姫命の事を何も覚えていないのだろう。


俺は焦りながらも姫命の事を軽く説明する。

うちの家で雇ったお手伝いさんだということ。金の髪、金の瞳の無邪気で純粋で、美しい子だということを。


だが…………それでも………………茉優と煌輝は姫命の事を思い出す事は無かった。


☆☆☆


俺は酷く焦る。取り敢えず、茉優と煌輝と別れて雫達の元へ向かう。


姫命の言っていた通り、朝になったのならばもう起きていてもいいからである。







──大部屋に着くと、夜に入った時と同じように勢い良く入る。

バンッ……と力を入れ過ぎて部屋に大きな音が響く。


「……っ、ゆーま!?」


すぐに雫と目が合う。続け様に周りに目を向けると、皆無事に起きている。それだけで心から嬉しくて、飛びつきたくなるぐらいだった。


だが運悪く雫、葵、夜依、鶴乃の4人は丁度着替えの最中だったらしく、ノックせずに入った俺はこっぴどく叱られる事になるのだった……






それから……雫達にもさっきの茉優達と同じ質問をした。だが、返って来たのは姫命に対して無知である事実だけだった。


……姫命は皆の中で消えている。それは記憶もそうだし、姫命が存在したという痕跡さえも無くなっている。


これまでの皆との楽しい思い出も、何もかも……全部が無になった。


もう俺はそこからの温泉旅行をまともに楽しめる訳が無かった。深い悲しみと絶望。その2つの強い感情に押し潰されたからだ。







温泉旅行の帰りの新幹線。1人、外の風景を眺める俺は姫命の事だけを一心不乱に考える。


───────誰もかも姫命の事を忘れた。もう皆は姫命の存在すら知らない。


だけど、俺は……俺だけは、絶対に忘れちゃいけない。絶対に絶対に姫命だけは忘れちゃならない。


そしてきっと会うんだ。もう一度。絶対に。それで謝るんだ。










───────けど……あれっ、姫命ってどんな顔だったっけ?



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