第71話 あなたは私の……
葵は生きている……それだけで俺は嬉しい。今まで重かった体がそれだけで、回復するくらいに。
……待っててくれよ葵、今すぐ見つけるからな。
俺は取り敢えず、崖から安全に降りられそうな場所を探した。でも、迂回して別ルートを探すとなると時間も掛かるし、葵に多大な負担をかけてしまう。
なるべく早く救出してやりたいのだ。
俺は感覚で飛び降りられそうな場所から、躊躇い無く飛び降りた。落下時間的に、多分3~4m程度。全く問題は無い。
……難なく受け身をとって着地をすると、再び葵が落ちた場所に戻るようにして走った。
これなら葵の元にすぐに辿り着ける……そう思っていた。だけど、そんな俺の甘い考えは一瞬にして水の泡となって消える。
「──はぁぁっ……!?」
俺の眼下に広がったのは……暗闇の川。
どうやら、葵が落ちた場所は……川だったのだ。
葵が落ちた場所と、この川の場所を何度も見返して、こちら側の岸に居ないという事は……葵がこの川の向こう岸にいる可能性は高い。
そう俺は考えた。
ここから岸辺までは約50メートルほど、川の流れは穏やかで、水温は少し冷たいぐらい。視界も月明かりのおかげでまぁ多少は見える。一般人だったら、泳げない条件でも無いし、距離でも無い。
だけど……俺からしたら絶望的な距離だった。
なぜなら俺は最高で10メートル前後しか泳げた事がなかったからだ。
俺の最高距離の約5倍の距離を今から泳ぎ切る?
ハッキリ言って、結果は目に見えている。
だけど今その短所を克服しない限り、葵は助けられない。俺は葵を助けるんだ。気合と根性さえあれば短所なんて些細なもの。簡単に乗り越えられるんだよ!
覚悟を決め、俺は川に飛び込んだ。
大きな水音、嫌な感触が全体に広がる。
「──がふぁっ!?」
いきなり、大量の水を飲んでしまい溺れそうになる。でも、体を必死にもがき動かすと、少しだけ前に進んでくれているような気がした。
たとえ、ゆっくりでも着実に近づければそれでいい!
ぐぐっ、頑張れ神楽坂 優馬!負けるな、諦めるな!
気合いで前に進み続けろ!
「ごぁっ!?ゴボッッッ!」
途中……何度も、心が折れそうになった。来た道を何とかして戻りたかった。だけど俺の心が、感情がそれを許してくれなかった。
……掛かった時間は約5分。短いようで、相当長い生き地獄だった。でも俺はとうとうやり遂げだ。
川から這い上がると、倒れ込むようにして岸辺に倒れ込んだ。
「ゴホッゴホッッ!ぜぇぜぇっ、つ、疲れた。」
俺は咳き込みながら、ゆっくりと呼吸をした。
体力のほぼ全てを使ってしまったけど、俺はやり切ったんだ!俺の短所、泳げない事を遂に克服したんだ。
嬉しい。でも、喜んでいる場合じゃない。
待っていろよ、葵。今行くからな。
今の所、葵は何処にいるのかは分からないし、トランシーバーの連絡にも出てくれない。ここからは根気で探して行くしかない。
でも……体が疲れ過ぎていて、上手く動かない。それに体がどうしてか熱いっ。くっ、でも行くんだ。後で倒れてもいい、ただ葵を安心させてあげたいんだ。
「────行くぞ。」
俺はフラフラになりながらも、走り出そうとした時だった。
───チリーン、チリーン、チリーン♪
音色のいい音が、近くの森の方から聞こえた。その音色は俺が確かに聞いた事のあるものだった。
☆☆☆
──優馬が川に飛び込む少し前。
葵は目覚めていた。
「やっぱり夢じゃなかったんだ。」
これが夢などでは無く、現実なのだと……実感させられていた。体中に響き渡る鈍痛……川のせいで冷えた体……血が少なくて起こる貧血……その全てが葵の敵をした。
「優馬くんに……届いたかな、私のSOSが。」
多分、届いていると思う。だから、もう少しだけ我慢をしたら、助けが来てくれると思う。
でも、ここじゃ寒くて死んでしまう。
川の水が風で冷え、尋常じゃない程の寒さが葵を蝕み始めたのだ。
葵の体力はほとんど残っていない。むしろ、どうしてここまで思考がハッキリしているのかも分からない程だった。だけど、今の葵はとにかく“生”にしがみつきたかった。
生きて、生きて、生きて、彼に会いたかった。
葵は痛み、軋む体を必死に動かし、少しずつ地面を這って進んだ。葵の足はもう、ほとんど動かないのだ。僅かに力が入る腕で進むしかないのだ。
「くっ、」
地面と怪我をした部分が擦れて痛い。それでも我慢しながら進む。我慢は得意だ、昔から。だから進めた。
そして何とか森の中の風が余り吹き込まない所まで辿り着いた。
「キツい……」
葵は木に寄りかかりながら息を吐いて、休憩した。
もう、体が動かせない。本当の限界なのだ。1歩も動ける気がしない。
「はぁはぁはぁはぁっ。早く来て……欲しいです、優馬くん!!今すぐ……………」
あれ……?
無意識に言った言葉は、葵を疑問に思わせた。
──葵は昔から孤独だった。だから、孤独には慣れているはずだった。だから、1人でただただ待つのも楽勝なはずだった。
だけど……なんだか最近は大勢の人に囲まれたり、好きな人と話をしたり…………あぁ、そっか。そうなんだ。
葵はもう、孤独では無かったのだ。だから、こうして1人になると、どうしても不安になる。寂しくなる。心が弱くなる。
早く来て優馬くん。優馬くんさえ来てくれれば、全て報われるのに……私の王子様さえ来てくれればいいのにっ。
───ガサガサガサッッ!!!
「え!?」
突然、近くの草むらが雑に動いた。風のせいなのか……それとも、動物……なのか?
………………も、もしかして熊とかっ?
今の葵がもし、熊に遭遇してしまったら……逃走は不可能。死んだふりをする事しか出来ないだろう。
「──そ、そうだ熊よけの鈴!!」
冴えていた……のか。何となく、考えが頭をよぎったのか…………今この場の最前の手を葵は打つ事が出来た。
──チリーン、チリーン、チリーン♪
音色のいい音が辺り一体に響いた。これで、多少の熊避けはできるはずであろう。
……いい音色。葵は、手に持っている熊よけの鈴を眺めると、少しだけあの時の記憶が蘇った──
この鈴は葵が選んで買った物だった。
あれは林間学校前の休日、優馬くんと夜依さんと一緒に買い物に行った時だ。
「──葵、鈴選んでいいよ。俺にはそういう感性って言うか、選ぶセンスとかはからっきしだからさ。」
「私からもお願いしますね。時間短縮で、私は他の物を選びに行くので。」
「わ、分かりました……じゃあ、選んでみますね。」
急に2人に任されて、戸惑いながらもちゃんと迷って、自分が好きな音色の鈴を選んだ……それが今葵の持っている鈴だった。
この鈴の音色は柔らくて、優しくて何だか心にジーンと響いてくる音色だった。
葵が選んだ鈴は、2人にもかなりの好評で……
だから、この鈴は葵にとってすごく印象に残る鈴なのだ。
今となっては懐かしい……かな。
────ガサガサガサガサッッ!!!!
「ひっ!!な、な、なんで。」
熊よけの鈴を沢山鳴らしていたのに、こっちに真っ直ぐ何かが近づいてくる。
葵はなるべくうずくまって体を小さくした。そして今にも力尽きそうな腕で全力で鈴を鳴らす。少しでも、動物に自分が危ない存在なのだと知らしめる為にだ。
「来ないでこっちに来ないで、来ないでっ!!」
恐怖が葵を支配する。
そして、等々……“何か”は葵の目の前で足を止めた。
今の所、害はない。
ゆっくりと、葵は目を開けて……対象を見る。
「え……?」
素っ頓狂な声を出してしまう。だって、しょうがないじゃない。大好きな彼がそこに……葵の目の前に居たのだから。
「──はぁはぁはぁ、やっと見つけたよ、葵。」
「あぁ、あ、あぁっ。ゆ、ゆ、優馬くんっ!!」
葵の中にずっと渦巻いていた絶望、恐怖、失望……その全てが一瞬にして無くなる程、彼の存在は大きくて、暖かかった。
涙腺は当然の様に崩壊……でも、これは歓喜の涙だ。止めたくても止められない。だって、ずっと我慢していたのだから。
「もう安心して。さぁ、行こう葵。」
優馬くんは葵に手を差し出した。ボロボロで、濡れている手、ここまで来るのにどれ程の苦難と困難があったのかが見て感じ取れた。
「はいっ!!」
葵は笑顔でその手を取った。
今の葵には彼の姿は理想の王子様の様に映っていた。
「──やっぱり優馬くんは私の王子様ですっ!!」
葵は歓喜のあまり……ついつい心の本音を叫んでしまった。
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