第156話 屈辱


 ひび割れた地面の上で、無数の泡が飛び交っている。

 パトレシアが放った一粒一粒が電撃をまといながら、広範囲に動いている。索敵サーチを使わなくても、あれがとんでもない魔力を秘めていることは分かった。


「固定魔法の弱点は知っている。数の力に耐えきれない。ましてや今のアンクに私の攻撃を防ぐのは不可能よ。せいぜい守ってみせなさい」


 パトレシアが手を降ろすと浮かんだ泡は、一斉にシュワラの元へと突撃した。抜け出す隙間さえ見せない大量の泡が、すでに満身創痍まんしんそういのシュワラを襲った。


「くっ……!」


 足を震わせながら、立ち上がるのがやっとだった。


固定フィックス!」

 

 浮かぶ泡をイメージの箱で包む。

 途端に頭の後ろの方でピキリと音がなって、意識が一瞬遠のく。視界が暗転して、身体が前に崩れ落ちた。


「……シュワラ……逃げろ!」


 踏みとどまる。


 ここで気を失うわけにはいかない。

 なんとか意識を繋ぎ止めた時、目に映ったのは自分の腕からこぼれる大量の血だった。


「アンク!」


 ナツの叫び声が聞こえる。

 貧血からか腕に力が入らない。魔法がうまく発動してくれない。


「無理よ。もう間に合わない」


 パトレシアの攻撃は宣言通り、手加減なしだった。

 大量の泡は無防備のシュワラを襲い、あたりに凄まじい電光を撒き散らした。眩しくて前が見えないほどの攻撃は、シュワラに命中した。


 ぱちんと泡が弾け飛ぶたびに、魔法が炸裂する。地面をえぐるほどの衝撃が、あたりに響いた。


「もう良い。終わり」


 パトレシアが攻撃をやめた時、シュワラが立っていた場所には巨大なクレーターが出来ていた。その中心には電撃をくらって傷だらけのシュワラが倒れていた。


「ごめんね、でも、あなたが私の前に立ちはだかるから」


 圧倒的だった。

 今の彼女に勝つビジョンはほとんど浮かばなかった。シュワラもリタも完璧に負けた。


「死ぬギリギリで止めてあげたから、大人しくしていてね」


 あわれみの表情でパトレシアは倒れたシュワラを見下ろした。彼女は再び俺に向き直り、笑った。


「これで邪魔者はいなくなった。アンク、もう無駄な抵抗はやめてね。腕から血が出ているじゃない」


「く……そ」


「早く終わりにしましょう。あなたを殺してしまっては、本末転倒だしね」


 パトレシアが雷撃を構えた。

 今度こそ打つ手がない。固定魔法は発動してくれない。


 失敗。

 その考えが脳裏をよぎった瞬間、パトレシアの頬を炎の槍がかすめた。


「……火の魔法、拝炎阿遠ガリア


 顔面を血に染めながら、シュワラが再び槍を放っていた。追撃を放とうと、再び魔力を溜めている。


「……どうして、まだ立てるの?」


 無数の攻撃を受けながらも、立ち上がったシュワラを見て、パトレシアはぞっとしたように口を開いた。


「何も関係ないじゃない。あなたには。そうまでして戦う理由があなたにあるの……!?」


「関係大有りよ。私はずっとあなたに文句が言いたくて仕方がなかった」


 宙に浮かぶパトレシアをにらみつけながら、シュワラは言った。


「まだ何も返せていないのよ……あなたを殴らなければずっと気が済まなかった。あの時からずっと。あなたが私を裏切った時からずっと」


「それって……」


「絶対に許さない」


 パトレシアはゴクリとつばを飲み込んだ。ここに来て、珍しく彼女は狼狽ろうばいするような表情を見せていた。


「シュワラ、ねぇ、私は……」


「うるさい! 言い訳なんて聞かない!」


 シュワラの叫びにパトレシアが身を引いた。


「あなたにとっては遥か昔でも、私にとっては昨日のことのように思い出せる。あなたに裏切られた時のこと。友人だと思っていたあなたに、切り捨てられたこと」


 シュワラはもうまともに立つことさえ出来ていない。全身を痛めつけられた彼女は、血と泥で真っ黒に汚れていた。


 そんな姿のシュワラを見ながら、パトレシアは言った。


「……私は今でもあなたことを友人だと思っている」


「私は思っていない。パトレシア、私はあなたを憎んでいる……!」


 シュワラがパトレシアに向けて槍を放つ。燃え盛る火炎を、パトレシアは避けもせずにベールから巻き起こした風で受け止めた。


「こんな時まであなたは何も本当のことを言わない。余裕な振りをして、ずっと人を見下ろしている。それがむかつくのよ……!」


 次々と放たれる槍の数々をパトレシアは払うようにして、防御した。周囲に風を纏い、パトレシアは額に汗を浮かべながらシュワラと向き合っていた。


「嘘つきよ、あなたは大嘘つき」


「……そうね、私はあなたのことをだました」


「あげくの果てにこんな場所で死んだなんて、馬鹿らしいにもほどがある」


 降り注ぐ雨に全身を濡らしたシュワラは、彼女に向かって叫んだ。


「こんな下らない世界に私1人だけ。こんな醜い世界に私1人だけ。こんな退屈な世界に私1人だけ。私を置いていったあなたを、絶対に許さない……!」


 鬼気迫る表情でシュワラは言った。彼女が着ているスーツに再び魔力が巡っていく。


「シュワラ……」


 すでに戦えるはずのない身体だった。シュワラを動かすのは最早単なる意地でしかなかった。


 クレーターの中心で燃えるような瞳で睨みつけたシュワラを、パトレシアはただ沈黙して見下ろしていた。

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