エピローグ

約束


 固く閉ざした扉が激しく揺れている。

 光の差し込まない小部屋の入り口が、叩き破らんばかりにノックされている。


「レイナさまーーー、早く出てきてくださいーーー!」


 私が出てこないと知っていながら、メイドのニックはしつこく扉を叩き続けた。


「もう1ヶ月もこもりきりじゃないですかー!! いいかげんにしないと、身体を壊しますぜー!!」


 声に応えずに黙ったままでいようと思ったが、1時間経ってもニックが諦める様子はなかった。懲りずに何度も扉を叩き続けている。魔法でロックした扉が突き破られかねないくらいだった。


 仕方なくベッドから腰をあげて、扉の近くまで歩く。あまりに気だるくて、身体が崩れ落ちそうになるほど、足に力が入らなかった。


 なんとか扉の近くまでたどり着き、しつこくノックし続けるニックに語りかける。


「……起こさないでください」


「後生ですから、ご飯くらい食べてくださいー! 本当に死んでしまいますぜー!」


「……もう2度とノックしないでください。3秒以内に止めないと、あなたを吹き飛ばします」


「何か召し上がるまで絶対に止めませんぜー!」


「3……」


「脅しても無駄でっせー! レイナさまが折れるまで絶対にやめませんぜー!」


「2……」


「悲しいのは分かりますが、レイナさまがそんな調子じゃ、アンクさまも帰って来づらいじゃないですかー!!」


「……うるさい」


 扉越しに魔力波を飛ばす。ぎゃふん、というニックのうめき声がして、ようやく静かになった。


「本当に……うるさい」


 ベッドに潜り込んで毛布をかぶる。

 私だけの世界に引きこもる。


 部屋に1つある窓は完全に布で覆ってある。照明の類は全て破壊した。この部屋に光が入ってくることはない。

 おかげで無駄なものを見る必要がなくなって、時の流れも忘れることが出来た。言われて初めて、あれから1ヶ月経ったことに気がついた。


「帰ってくる……って」


 さっきニックが言った言葉を繰り返してみる。

 つまらない冗談だ。本当につまらない冗談だ。


 口に出しただけむなしくなったので、目を閉ざして眠ることにした。本当に寝ているのかも起きているのか、生きているのか死んでいるのかも分からない。



 …………。



「ねぇ、レイナちゃんーー、もう起きて来なよー! このままだとレイナちゃんが死んじゃうよー!」


 今度はナツがやってくる。

 ニックと同じように激しく扉を叩いて、私に呼びかけている。


「起こさないでください、ナツさん」


「だめだよー、いつまで寝ているのー!」


「もう良いのです。私に構わないでください」


「構うよー、心配じゃん! アンクだってレイナちゃんのこんな姿見たくないと思うよー!」


「良いじゃないですか、アンクさま、いませんし」


「あー、もー、そーじゃなくてさー!!」


 バコン、とひときわ大きな音がする。

 どうやら何か石のようなものをぶつけたようで、


「……やめてください。扉が壊れてしまいます」


「壊すよー、もう壊しちゃうぞー」


「やめてください」


 扉越しに魔力波を飛ばす。きゃー、と驚くようなナツの声がして、ようやく静かになった。


 毎日のように訪ねてくるナツは、隙あらば扉を壊そうとしてきた。力づくで扉をこじ開けようとしてくる彼女に対抗して、部屋を閉ざす防壁はますます強固なものになっていった。


「……あの人が納得する訳ないじゃないですか」


 そんなこと分かっている。

 アンクさまが今の私の姿を見て、どう思うかなんて考えなくても分かる。きっと怒って、無理やりにでも引きずり出してくるに決まっている。


 でも、いない。

 いないから、私はこうやって何時までも出ることが出来ないままなんだ。


 ……。



「レイナちゃん、聞いたよ。ご飯も食べていないんだって?」


 今度はパトレシアが扉の向こうから優しく呼びかけてくる。


「いくら魔法で生き延びられるからって、そういうのは良くないと思うなぁ。1度外に出てごらんよ。きっと気分も変わると思うよ」


「パトレシアさん……いくら説得しても無駄ですから。帰ってください」


「そう言わずにさぁ。引きこもったって何も解決しないし、外に出れば何か良いアイデアも浮かぶかもしれないよ」


「良いアイデアなんて存在しません。物語はもう終わって、これ以上何も変わらないのです」


「でも、ほら、アンクはこんなところで諦めたりしないと思う」


「アンクさまはもういません。……それと隙を見て扉を解錠するのはやめてください」


 扉越しに魔力波を飛ばす。うひゃー、とパトリシアの叫び声がして、ピッキングの気配はなくなった。


「諦めないなんて……私だってとっくにやっています」


 彼がいなくなってから、なんとか救出する方法はないかと考えた。しかし、不可能なものは不可能だ。彼が行ってしまった神の座へのアクセス権は、女神の力を失った同時になくなってしまっている。


 彼に神の座へとたどり着いたところで、私にはもう為す術はない。

 

 『異端の王』は死んでいる。

 私が今、生きていることが何よりの証明だった。アンクが死んだからこそ、私がのうのうと生き残ることが出来ている。


 彼はもう帰ってこないんだ。


「約束……したのに」


 何日、何ヶ月、ひょっとしたら何年か経ったのかもしれない。光の刺さないこの部屋において、時間というものは過ぎるものではなく、巡るものだった。


 何1つ変わらない日々。動きもせず、息をするだけの物体。時間は滞留たいりゅうして、ただただ私の心と身体をむしばむだけのものだった。


「いっそのこと死んでしまおうか」


 時折、そんなことも考える。

 けれど、出来ない。彼に救われた命を無に帰すことなんて私には出来ない。


 だとしたらどうすれば良いんだろう。

 分からない、分からない、分からない、分からない……。


 もう1度、あの人に会いたい。



 …………。



「レイナちゃん、起きてる?」


 今度はリタが現れる。コンコンと軽くノックする音が聞こえる。


「あのさ……」


「もう黙っていてください。私に話しかけないでください。お願いですから関わらないでください」

 

「それは無理だよ、私たちはもう簡単に『関わらない』なんて、言うことは出来ない。悲しいのはレイナちゃんだけじゃない。寂しいのだって、あなただけじゃないんだよ」


「……わがままを言っているのは分かっています。けれど、しばらくはこうさせてください。なんだかとても疲れたのです。今の私にはこの扉の向こう側がひどく意味のないものに思えます。私にとって彼は世界の全てで、その彼がいない世界なんて……私にとってはからっぽなんです」


 私がそう言うと、リタは大きなため息をついた。そのまま帰るのかと思っていたが、彼女が立ち去る様子はなかった。


「からっぽね。私たちの生きている世界がからっぽだって、レイナちゃんは言いたいのね」


「……はい」


「それ、間違ってないわ。私だってそう思うもの。私たちが生きている意味なんて、考えれば考えるほどに空虚だということに気づかされる」


「でしたら、放っておいてください。それが分かっているのなら、私をこのままにしておいてください」


「でも、彼は違った」


 強い口調でリタは言った。声のトーンには叫ぶような必死さが感じられた。


「アンクは違った。彼はそういう無意味さに抗って、英雄になった。だから、あなたがこんな風に引きこもっていることを、彼は納得しないと思う。レイナちゃん、あなたはこの部屋から出るべきよ」


「姉妹揃って似たようなことを言うんですね。彼が生きているどう思うかなんて、それこそ無意味です。彼は死んで……」


「彼は生きている」


「……冗談はやめてください」


「本当よ。分からないの?」


 本当に悪い冗談だ。

 胸がムカつかいて、頭に血がのぼる。臓腑が煮え繰り返るような怒りと、心臓を強い痛みが襲う。


 だって、彼の声は、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。


 もう、この世界のどこにも彼はいないんだ。


「それこそ、悪い冗談よ。だって約束したんでしょう」


「約束……」


「ほら、その手に持っているものを鳴らしてごらん」


 リタに言われて、自分が握りしめているものに気がつく。


「これ……」


 小さなオルゴール。

 古い思い出が、私の手に所在無げにあった。


「あったでしょ?」


 ハンドルを回して、奏でる音に耳を澄ませる。


「じゃあ、私は行くね」


 リタは去り、また眠りがやってきた。

 そして私は夢を見た。深い眠りにおちいる寸前で、鮮やかな夢を見た。


 それは彼の夢だった。

 

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