第141話 プリティヴィー・マーツ
目を開けるとそこにはすでに納屋はなく、茶色い髪の少女がそこにいた。肩まで伸びた髪の先は湿気で濡れて、くるりとカーブしていた。汚れのない白い絹のコートの上で、彼女の髪は満開の花のような模様を描いているように見えた。
「ナツ……」
「や、アンク。久しぶりだね」
見間違えるはずもない。どうして今まで忘れていたのだろう。さっきまでの自分が信じられないくらいに、彼女に関する記憶が俺の中に蘇っていた。
「久しぶりってほどでもないか。地下祭壇での出来事からそんなに経っていないものね。こんなに早く見つかるだなんて、さすがに想像はしていなかったけど」
「どうして……」
「どうして? そんなの決まっているじゃん。アンクを助けるためだよ」
ナツはまばたきもせずに言った。
「ねぇ、お願いだから、ここで引いてくれないかな。私たちはアンクを傷つけたくない」
「……ダメだ。俺だってナツを2回も死なせたくはない。頼む、俺の言うことを聞いて……」
「嫌だよ」
ナツが手をかざすと、前方の地面が隆起して高速の石つぶてが飛んできた。
「……
向かってきたそれを、固定魔法で捉えて全て叩き落とす。大量の石がカラカラと音を立てて、俺たちの目の前で崩れ落ちた。
「アンクのやりたいこと位、分かるよ。どうせ自分を犠牲にして、私たちを助けようって思っているんでしょ。そんなこと絶対に許さないからね」
問答の余地はないとでも言いたげに、ナツはオレンジ色の魔力を
「ナツちゃん! あなたたちはそれ良いの!? 自分たちの記憶がなくなっちゃうんだよ! アンクとももう2度と会えなくなっちゃうんだよ!」
「分かってるよ、それくらい……!」
地鳴りとともに大地が激しく揺れる。ナツの怒りに呼応しているかのように、左右に地面が揺れた。
「でも、それってあんまりな話じゃん! 『異端の王』を倒して世界の平和を守ったのに好きな人を殺せないから、はい用済みって酷すぎるよ! そんな報われないこと私は納得いかない!」
「ナツちゃん……」
「アンクもリタもここで私が止める。瞑世の魔法は絶対完成させる、これが私たちの契約、唯一の共通理念。『
地鳴りが大きくなり、あたりの木々が倒れていく。鳥たちが森から離れようとどこかへと羽ばたきはじめ、叫ぶようの動物たちの鳴き声が聞こえる。
ナツの周りの地面がせり上がっていく。鳴動する大地は、怒り狂うかのようにバキバキとひび割れ始めていた。
立つことさえままならない。さっきまでは平行だった地面が、どんどんと形を変えていく。
「……っ!」
「私はあなたを守るために、あなたを殺すの。大丈夫、身体がダメになっても女神の力を使って元どおりにしてあげる。もちろん、今度は瞑世の魔法を完全に終えた上で」
「ナツ! 待て!」
俺の呼びかけにナツが応じることはなかった。
問答無用で彼女は俺を叩き潰そうとしている。
「今の私はプリティヴィー・マーツ。新しい次元において大地を司る柱。この世で最も偉大なる力、緑を育て、人を支え、あらゆるものを産み出す神の特権物。
ナツの足元からせり上がった地面は、徐々に広がり、折り重なって形を形成しようとしていた。彼女の身体はどこまでも高く、遥か上空へとせり上がる地面とともに上って行った。
「地の魔法、
ナツの魔力はその呪文と同時に、一気に周囲に広がった。
太陽を覆い隠す傘のように、はるか遠くまで広がったナツの魔力は大地を激しく揺れ動かした。
地面そのものが生き物になったかのように、その動きはますます激しくなった。
「アンク、こっち! 巻き込まれる!」
リタが俺に向けて手を伸ばす。周囲の木々を巻き込みながら、大地は成長し始めていた。俺たちがもともといた場所もすでに巨大な
「どこまで広がるんだ、これ!?」
「分からない! とりあえず逃げよう!」
歩いてきた来た道を引き返して、走る。ナツの魔力は広がり、瘴気すら飲み込まれていく。オレンジの魔力が波のように広がり、旧サラダ村跡地を吸収しようとしていた。
「前から仕込んでたわね、ナツ……!」
「やばい、このままだと森全体がナツに吸収される!」
「初手を見誤ったわね。素直に問答している場合じゃなかった。この魔法が発動される前にナツちゃんを止めなきゃならなかった……」
リタが遥か上空を見上げながら、呆然と口にする。ナツの身体はすでに点のようにしか見えなくなってきていた。
ようやく地鳴りがおさまったころ、俺たちが目にしたものは巨大な岩の人間だった。
「
「来る!」
ざわざわと音を立てて木々が動き始める。
巨人の一歩。俺たちより遥かに大きい
大地が迫ってくる。
天地が真っ逆さまになって落ちてくる。
「……やばい! 避けきれない!」
「
全力の魔力を
1秒かそれ以下、俺にはそれで精一杯だった。こんなもの踏み潰されただけで、ゲームオーバーだ。
「風の魔法、
ドォン! と爆発音と共にリタが俺の身体を抱きかかえて跳んだ。
風の魔法を使った飛翔で木々を吹き飛ばし、なんとか土人形の射程外まで脱出できた。
枯れかかった池に着地した時、俺たちの後方で轟音が鳴った。
巨人が踏み出した一歩はあたりのものを破壊し、すりつぶし、跡形もなく消滅させた。
「やべぇ……」
「ただ動いただけなのに、この有様か……。スケールの違いっていうのは、そのままエネルギーの違いね。まともに戦って勝てる相手じゃない」
「でも、こうやってる間にもナツの身体の崩壊は進んでいる」
上空を見上げると、土人形は俺たちの姿を探して視線を動かしていた。
いくつもの岩が重なって出来た怪物のような顔面の頂点に、ひらひらと白い服を着たナツの姿があるのが確認出来た。
俺がユーニアの薬を飲んだことで、ナツの『
時間がない。
「……どちらにせよ本体を叩くしかないってことだな。リタ、風の魔法を使ってあそこまで上れるか?」
「それはナツの反撃覚悟でってことよね」
「もちろん。無茶は承知だ」
リタはそれを聞くと、大きくため息をついた。
「良いよ、命
「すまん」
「……アンクがそうやって人に何か頼めるようになっただけで、成長かな」
見つかった。
今度は巨大な右腕を振りかぶり、地面に向かって振り下ろそうとしていた。
「……向こうも余裕はなさそうね」
リタが再び扇に魔力を流し込む。気合の入った強い声と共に、リタは俺の身体を引き寄せた。
「じゃあ、行きますか! ナツちゃんのところまで!」
緑色の魔力が俺たちの身体を包む。リタが呪文を唱えた瞬間、身体は地面を離れて、巨大な
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