第37話 ナツと媚薬


「ナツ……!!!」


 映像の奔流ほんりゅうから、唐突に覚醒する。

 残視ざんしを振り払って、現状を確認する。混濁こんだくした映像が否応無く頭をよぎり、一層頭痛がひどくなる。


 だが、今を見失う訳にはいかない。


 かかっていたかんぬきごと扉を破壊して、納屋の扉を開ける。

 中は薄暗く、隙間からわずかに入ってくる明かりしか光源が無かった。床板はカビ臭く、広くはない納屋は嫌な臭いに包まれていた。


「アンク……!」


「グヒィ、グヒィ!」


 奥の方からナツとチャリの鳴き声が聞こえる。

 チャリは怯えたように納屋の隅でわらの所に隠れていて、ナツは床にうずくまっていた。見る限り怪我はしていないようだ。


「無事だったか!」


「うん、ハイエナに追いかけられて……でも、チャリが走ってくれたから」


「悪いな、あんな所に1人して。チャリも良く頑張ってくれたな」


「グヒィ、グヒィ……」


 俺の声にチャリは変わらずにおびえたように返した。少し様子が普通ではない。ナツも立ち上がろうとはせずに、うずくまって身体を抑えていた。


「どうした、どこか傷めたか?」


「ううん、大丈夫。そうじゃ……なくて。あの……」


「?」


 俺が近づくと、ナツは辛そうに息を吐いた。徐々に分かってきたナツの表情は、ぼんやりとしているように思えた。「ふぅ」と吐いた息も荒く、目をどこか遠くにやっていた。焦点が合っていない。


「毒……!?」


「ううん、違くて」


「じゃあ……」

 

 魔法か、呪いの類。

 そう思った時には遅かった。


「ごめん……アンク……地の魔法、そびえ立つものプリティブ・ムル


「……な……!」


 ズズズ、と地面がせり上がってくる。辺りのものを巻き込んで、俺とナツを中心に地面の壁が作られていく。


 発動しているのは他でもないナツだった。土が流れるように動いて、そっとチャリを外側に追い出していった。


「グヒィ! グヒィ!」


 チャリの叫び声が遠くなる。土は床板を破壊して、天井まで伸びていった。

 壁の隙間が閉じていく。あっという間に人2人がようやく入るほどの、小さな空間が形成された。


 土で出来た小部屋にたった2人で残された。

 ナツが身体を寄せてくる。俺の身体に上にのしかかるように、彼女の身体が迫ってきていた。


「ナツ、何を……!?」


 触れてみて分かったが、ナツの身体は尋常じんじょうでないほど火照っているようだった。


「おい……」


 俺の問いかけにナツは何も言わずに、手を伸ばしてきた。暗い空間の中で俺の背中に手を回して、唇を合わせた。舌を入れながら、ナツはとろけるような甘い息を吐いていた。


「……ん……あ……」


 妙な……匂いだ。

 尋常ではないほど甘く、身体が弛緩しかんするような感覚。舌と舌が絡み合うたびに、ナツは気持ち良さそうに声を漏らしていた。


「身体が……」


 俺から唇を話して恥ずかしそうに、顔を伏せたナツは辛そうに息を漏らしていた。身体をこすらせるように動かして、更に身体を密着させてきた。


「火照ってしょうがなくて……自分が分からない」


 ……この匂い、そして熱に浮かされたような感じの症状には覚えがある。


「ナツ、おまえ、パトレシアから何かもらわなかったか?」


「パトレシア、から……? あ、そういえば、この前遊びに行った時に化粧瓶のセットを、もらった、けど……今、割れちゃった」


「それ、だ」


 この匂いは前にリタの店で嗅いだものに似ている。新作の媚薬とかふざけたことを抜かしていた奴だ。それがナツの化粧瓶に紛れていた可能性が高い。

 

 つまり、この状況はかなりまずい。ナツは自分を抑えることが出来ずに、徐々に俺に近づいてくる。


「あ……、うん」


「ナツ、おい、落ち着け」


「や……、アンクも、そんなところ、さわらないで……」


 空間が狭く、否応いやおう無く身体が触れ合う。媚薬の効果は凄まじく、そんなところに触れたつもりもないのに、指が少し当たっただけでナツは息を荒げて、小さな声で鳴いた。


 冷や汗が頬を伝う。

 何かここから脱出する術を見つけないといけない。こんなところで自分を見失う訳にはいかない。落ち着け、落ち着くんだ。


「もう、むり、だよ……」


 俺の思いにも関わらずナツは全てを諦めたように、俺を押し倒した。


「アンク、ごめんね。もう抑えきれないの」


 首を横に降ったナツは、自分のシャツのボタンに手をかけた。ぷちん、ぷちん、と1つずつボタンをはずしていく。薄暗い土の部屋の中で、彼女は白い肌をあらわにした。


 動けない。

 動く場所もなければ、動く意志もがれていく。耽美たんびな香りは確実に、俺の感覚をもむしばんでいた。


「アンク……」


 ナツが舌を出して、俺の身体を丹念に舐めた。熱くねっとりとした唾液の糸が、身体を伝っていく。ナツの身体を抱きしめると、その身体は小刻みに震えているようだった。


「怖いの……なぜかここに来た瞬間にすごく怖くなって」


「……あの時もここいたな」


 ナツは火照った顔を俺に向けて、ニッコリと微笑んだ。


「うん、もうダメかなって思ったころ、アンクが助けに来てくれた。魔法を維持できる体力もなくなりそうになった時、私の叫びをあなたは聞いてくれた」


「ひどい目に合わせて、すまない。俺がもう少し早く帰ってこれれば」


「ううん、私は救われたから。でも……欲を言えば……」


 俺の首筋にキスをしたナツは、そのまま舌を動かして小さな跡を付けた。


「……そうだね、もう少し早く帰ってきてくれれば良かった。話したいことも沢山あったし。ずっと帰ってこないなんて聞いてないし」


「長い旅をしていたから。師匠の指導もきつくて、帰ってこれなかった」


「あはは、知ってるよ。今のは冗談」


 意地悪っぽくナツは笑って、再び恥ずかしそうに言った。唾を飲み込んで、かすれた声で言った。


「ねぇ…………触って。私、ちょっと我慢出来そうにない」


 汗ばんだナツの身体は、その輪郭を手に取るように感じることになっていた。ぷっくりと隆起した胸に触れるだけで、ナツはピクンと身体を震わせて声をあげた。


「や……ん……」


 ナツの声が球体の中で静かに反響する。

 首筋の方に舌を這わせると、どくんどくんと激しく脈動する血管の様子が分かった。その音はどんなものよりも大きく、いまではそれがナツの感情を表すシグナルように思えた。


「アンク……」


 もう、このまま。

 そう考えて、俺はゆっくりと身体を動かした。

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