第249話 ミニ世界樹

 

「うーん、やっぱりダメかぁ」


 イフルス魔法学園のとある屋敷の中庭で、ボーイッシュな少女が、土を掘ってなにかを埋めていた。


 元に戻したあとの土を見ながら、その少女は大きくため息をついている。


「なにをなさっているのですか?」


 綺麗な蒼色の髪と目をした少女が、地面に座り込む少女に声をかけた。


「ん……あぁ、ルナか。ちょっと試したいことがあってね」


 声をかけた蒼色の髪の少女はルナ。この屋敷に住む人族だ。


「シルフ様、お顔が汚れてますよ」


 中庭の地面を掘っていたのは、風の精霊王であるシルフだった。


 土いじりをして汚れたシルフの顔を、ルナが持っていたタオルで優しく拭き取る。


「ありがと、ルナ」


「どういたしまして。お久しぶりですね、シルフ様」


「うん、ひさしぶりー!」


「最近、あまりお姿をお見かけしませんでしたが……なにかあったのですか?」


 一時期はハルトの屋敷に入り浸っていたシルフだったが、近頃はめっきり遊びに来なくなっていた。


 ルナをはじめ、ハルトやティナ、その他のエルノール家みんなが、急に遊びに来なくなったシルフのことを心配していた。


「……うん。実は、僕が世界樹から離れてここに遊びに来すぎたせいで、ちょっとまずいことになっててね」


 シルフは、アルヘイムエルフの王国の中心にそびえ立つ世界樹の化身だ。


 その彼女が、長く世界樹のそばから離れていたせいで、樹の一部が腐り始めたという。


 世界樹に住む精霊たちから報告を受けたシルフは、慌ててアルヘイムに帰還した。


 その後、世界樹の治癒を全力で行なっていたため、数週間ハルトの屋敷に遊びに来ることができなかった。



「そんなことになっていたのですか……シルフ様、お疲れ様でした」


「うん、すっごくつかれた。みんなに会えなくて……寂しかったぁ」


 涙目になりながら、シルフがルナに抱きついた。


 シルフの頭をルナが撫でる。



 少しして、落ち着いたシルフがルナから離れていく。


「それで、さきほどもお聞きしましたが、なにをなさっていたのですか?」


「んーとね、ここに世界樹を生やそうかなって」


「──は、はい?」


 ルナはシルフの言葉の意味が理解できなかった。


 この世界でただ一本、幾星霜の時をこの世界と共に生きてきた世界樹。


 その葉は、ありとあらゆる病を治すエリクサーの主材料になる。また、その枝を使えば最強クラスの魔法が誰でも行使できる杖を作成可能だ。


 シルフはそんな世界樹を、ハルトの屋敷に生やそうとしていた。


「世界樹に種を作らせるとこまではできたんだけどね……どうやっても、芽吹かないんだ」


 シルフの表情に翳りが出る。


 世界樹が種を作ったことですら、この世界ができて以来、初めてのこと。


 世界樹の化身であるシルフといえど、どうやれば種を芽吹かせることができるのか、見当もつかなかった。


「世界樹はこの世界と繋がってる。もしここにも世界樹が生えたら、それはアルヘイムの世界樹と繋がってるんだ」


「えっと……つまり、どういうことですか?」


「僕がずっと、ここにいられるようになるの!」


 シルフ自身も原理はよく分かっていなかった。しかし、このハルトの屋敷に世界樹が生えたら、定期的にアルヘイムに戻る必要がなくなることをシルフは


「僕もハルトやルナと一緒に住みたい。毎日、みんなが作ってくれるご飯食べたい!」


「シルフ様……」


 アルヘイムの世界樹に帰る時、シルフはいつも寂しそうな顔をする。


 自分は精霊王だから仕方ない。


 そう思って耐えていたシルフだったが、自分と同程度──否、自分より遥かに力を持つ精霊になったマイとメイが、ずっとハルトのそばにいるのに気づいて、我慢できなくなった。


 彼女は、我慢するのをやめた。


「僕、ここに住むから! なにをしても、絶対に!!」


 ルナに宣言する。

 シルフのその目は本気だった。


「……わかりました。私にできることがあれば、協力します!」


 ルナはシルフの手伝いをすることにした。

 彼女にとってシルフは、既に家族だったから。


「ルナ、ありがとう」


「お礼は、世界樹を芽吹かせることができたらにしてください。まずは……そうですね、お水をあげましょうか」


 そう言ってルナは、屋敷の中に駆け足で入っていった。


「あっ、僕の力を込めた水をやってもダメだった──って、もう……ルナ、聞いてないし」


 世界樹は大量のマナで満たされている。

 つまり膨大な魔力の塊だ。


 魔力を与えれば芽吹くのではと考えたシルフは、種に大量の魔力をつぎ込んだり、精一杯の魔力を込めた水を与えたりしていた。


 それでも、ダメだった。


 魔力だけじゃないのかもしれない。


 もしくは、精霊王である自分の魔力を以てしても、まだ足りないか──



 あまり後者は考えたくない。


 芽吹かせるだけでも精霊王クラスの魔力が必要になるのであれば、成長させるのにはどれほどの魔力を要するのか……。



「シルフ様、お待たせいたしました」


 ルナが帰ってきた。

 ジョウロを手に持っている。


「これでお水をあげますねー」


 シルフが世界樹の種を埋めた場所に、ルナが水をかけ始めた。


「おっきく、おっきく、おっきくなぁーれー」

「…………」


 鼻歌混じりに、ルナが水をやっていると──



「なっ!?」

「あっ! シルフ様、ほら。芽が出ましたよ!!」


 精霊王シルフが、なにをやっても芽吹くことのなかった世界樹の種が土の中から芽を出した。


「そ、そんな──」

「どんどんおっきくなぁーれー」


 驚きすぎて唖然とするシルフを気にもとめず、ルナが芽に水をやり続ける。


 世界樹の芽に水滴が落ちる度、それはどんどん大きくなっていく。


「えっ、嘘……は、えっ? はぁぁぁ!?」


 ルナが持ってきたジョウロの水が尽きるころ、世界樹はシルフの腰くらいの高さにまで成長していた。


 ミニ世界樹が、ハルトの屋敷に出現した。


「けっこう大きくなりましたねー」

「う、うそだぁ!」


 ミニ世界樹を笑顔で眺めるルナとは対照的に、シルフの顔は引き攣っていた。


 シルフは何度か生まれ変わっているため、世界樹と同じ年齢ではないのだが、それでも悠久の時を生きる精霊だ。


 そんなシルフの目の前で、彼女が信じられないことが起きていた。


「ルナ、いったいどこの水をあげたの?」


「えっと、どこのって──」


 ルナは少し回答に困っていた。


「ふつうのお水です、よ?」

「……そう」


 なんだかルナが答えにくそうなので、シルフはそれ以上聞かないことにした。


 大事なのは、世界樹が生えたってこと。


 あとは、ほんとにこのミニ世界樹が、アルヘイムの世界樹と繋がるか確かめる必要があった。


「ルナ、僕はちょっとアルヘイムの世界樹からこのミニ世界樹に『道』を作れるか試してくる。お水、ありがとね」


 そう言ってシルフが消えた。

 恐らく、アルヘイムに移動したのだ。


 シルフがいなくなった中庭に、ひとり残されたルナが呟く。



「さすがに、お風呂の残り湯を世界樹の種にかけちゃったなんて……言えないですよね」

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