第189話 妻たちの奔走(6/9)

 

 白く巨大な狐が、海上を疾走していた。

 その狐の尾は、九本に分かれている。


 それがひとたびヒトの世に放たれると、数多の国が滅ぶと言われている災厄──九尾狐だ。


 その九尾狐が、超高速で海の上を東に向かって進んでいく。


 目的地は極東の島国、フォノスト。


 最上位の魔族である九尾狐、ヨウコの故郷だ。


 ハルトの妻たちはそれぞれ、分身魔法のヒントを探して各地に散った。


 ヨウコはフォノストの、とある霊山に向かっている。


 そこは、彼女が生まれ育った場所だ。



 ──***──


「ここに来るのは、久しぶりじゃ」


 霊山に降り立ち、人化したヨウコが呟く。

 彼女は目的の場所へと、迷わず歩きだした。


 フォノストの陸地が見えてからは、ヨウコは雲の上をかけてここまでやってきた。


 膨大な魔力を吸収し完全体になった九尾狐は、水の上に立ち、空を翔ることができる。


 空を翔る方が早いのだが、魔力の消費が多くなるため途中までは海の上を走ってきた。


 ヨウコには、魔力をできるだけ節約したい理由があった。


 九尾狐は自分の意志とは関係なく、周囲の魔力を吸収して、その尾に溜める習性がある。


 溜めた魔力に怒りや悪意が多く含まれると、完全体となった時に九尾狐は暴走し、災厄と化すのだ。


 現在、ヨウコの尾には賢者ハルトと神獣シロの魔力が満ちていた。


 悪意の少ない魔力と、神性の魔力によって満たされたことにより、ヨウコは完全体の九尾狐となりながらも暴走せずに済んでいる。


 とはいえ、魔力は使えば減る。


 普段であれば減った魔力も、ありえないほどの膨大な魔力を撒き散らすハルトのそばに居るだけですぐに満たされる。


 彼と一晩床を共にすれば、尻尾一本くらいの魔力は簡単に補充されるのだ。


 しかし、今日はハルトがそばにいない。

 さらにこの霊山には、邪悪な魔力が溢れていた。


「住んでおった時は気付かなんだが、これほどまで、邪の気が濃かったのか……」


 既に完全体となったヨウコが、暴走する可能性は低い。


 しかし、自分の中にハルトやシロのものでない魔力が入ってくるのが嫌だった。


 自分にまとわりつく、怨みや恐れといった感情を含んだ邪悪な魔力を振り払いながら、ヨウコは歩を進める。


 この世に生を受けておよそ二百年、ヨウコはここで過ごした。


 この霊山は、Bランク以上の魔物がひしめき合い、フォノスト有数の危険地帯となっている。


 そんな場所を、ヨウコは優雅に歩いていく。


 ヨウコは魔物に襲われるどころか、魔物の姿を目にすることすらなかった。


 魔物というのは、討伐ランクが上がるにしたがってその知能も上がる。


 Bランクの魔物ともなれば、己と相手との実力差を把握し、上位存在の命令でもなければ無闇に襲いかかってくることはない。


 ヨウコは人化していたが、その魔力を隠すことをしなかった。


 普段、冒険者たちを恐れさせ、この霊山に近づくことすら許さない高ランクの魔物たちが、ヨウコの強さを本能で感じとり、彼女の進むルートから逃げ出していたのだ。



 結局、ヨウコは魔物と一度も戦うこともなく、目的地まで来ることができた。


 そこは崖の一部にぽっかりと大きく空いた洞窟の前だった。


 かつてヨウコが、母と暮らした場所だ。


「ただいまなのじゃ」


 ヨウコが手を前にかざすと、何も無かった空間に半透明の膜が現れた。


 膜は洞窟の入り口周辺を覆っていた。


 それはヨウコが、自分の住処に魔物を入れないために張った結界だ。


 彼女が結界に触れると、それは砕けて消えた。


 ヨウコは洞窟の中に入ると、その入口に改めて結界を張り直し、洞窟の奥へと進んでいった。



はは様、ただいまなのじゃ」


 洞窟の最奥に置かれた氷の柱に向かって、ヨウコが話しかける。


 その氷柱の中に、絶世の美女が閉じ込められていた。


 ヨウコの母、キキョウだ。


 キキョウは既に死んでいる。

 今からおよそ百九十年前、ヨウコがまだ十歳前後だった時に死んだのだ。


 ヨウコはなぜか、キキョウの死因を覚えていなかった。


 泣きながら、死してなお美しい母の遺体を朽ち果てさせぬよう、氷の封印魔法で保存した記憶しかない。


「相変わらず、母様は美しいのじゃ」


 ヨウコが自分の母に見とれる。


 しばらくキキョウを見つめていたヨウコが、思い出したように口を開いた。


「母様。我、ヒトと契りを結んだのじゃ」


 ハルトと結婚したことを母に報告する。


「ハルトという人族でな、ありえんほど強いのじゃ。もしかしたら、母様より強いのかもしれん」


 ハルトが人族でありながら、魔人や悪魔を容易く屠り、各属性の精霊王とも契約を結んでいることなどキキョウに向かって説明した。


「元は、主従契約で繋がりを作ったのじゃが、彼奴あやつは我の契約を一方的に破棄しよった。しかも、我の方には契約の効果が残るという、意味のわからん奴なのじゃ。異常な奴なのじゃ」


 ハルトの悪口を言っているのだが、それを語るヨウコはどこか嬉しそうだった。


「彼奴のそばにおると、とんでもないことが次々起きてな、全く飽きないのじゃ」


 ハルトの魔法のことや、聖都で創造神に会ったこと。そして、創造神から加護を貰ったことなどを話す。


「我、魔族なのに創造神様の加護をいただいてしまっての……で、でもそれで正式に、主様の妻になれたのじゃ! あー、ちなみに主様の妻って、十一人もおるのじゃ。それでの──」


 ヨウコは、ハルトと寝れない夜が寂しいと母に嘆いた。


 そして、同じ意見だった他の妻たちと結託し、ハルトに分身魔法を使ってもらうために、まずはその魔法を創り出すために動いているのだとキキョウに説明した。


「我にも、母様くらいの美貌があれば──」


 キキョウほどの美女であれば、ハルトを籠絡して、独り占めできるかもしれない。


 そんなことを思いながら、ヨウコが母の封印に触れた。


「──っ!?」


 突然、ヨウコを酷い頭痛が襲う。


「こ、これは──」


 脳を、記憶を、他人に弄られる感覚だった。


 ヨウコの封印されていた記憶が蘇る。


 血だらけのキキョウ。

 その背後に迫る、冒険者の姿。


 ヨウコは思い出した。


 彼女が幼い頃、キキョウが張った結界の外に出てしまい、人族の冒険者にヨウコが捕まった。


 そのヨウコを助けようとしたキキョウが、冒険者に攻撃を受けたのだ。


 なんとか冒険者は撃退したが、そいつらが使っていた武器は、退魔の特性が強い武器で──


 その時に受けた傷で、キキョウは死んだ。

 死ぬ間際、彼女はヨウコから記憶を奪った。


 自分のせいでキキョウが死んだと、ヨウコに後悔させたくなかったから。


 そしてヨウコに、人族への怨みを抱いてほしくなかったからだ。



 キキョウに奪われた記憶が、ヨウコへと戻ってきた。


 賢者と神獣──それらの洗練された純度の高い魔力を吸収したヨウコは、完全体の九尾狐の中でも力を持つ個体となっていた。


 母であるキキョウの力を、今のヨウコは凌駕していたのだ。


 キキョウの身体を守る封印に触れたことが引き金となって、奪われていた記憶を取り戻してしまった。


 ヨウコの中に、黒い感情が芽生える。


 母を殺した人族が憎い。

 ヤツらを、滅ぼそう。


 母の身体を封印している氷柱に、憎悪に満ちた顔をするヨウコが写っていた。

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