第82話、たとえ何があろうとも、We love youは消えないから
SIDE:潤
その日の目覚めは、何故だか知らないけれど最高の気分だった。
私は、鼻息荒く意気揚々と身体を起こして。
「知らない天井……でもないか」
目を覚ましたその場所は、保健室のベッドで。
天井から目を下にやれば、そこには敷居のための白いカーテン。
はてさてなんでどうして、こんなところにいるのだろうと。
それまでに至った経緯を考えようとして。
「潤、目が覚めたんですか……?」
「ほっ。よかった。このままじゃボクのせいになるところだったじゃないかぁ」
私の声を聞きつけたのか、カーテンを開けて入ってきたのはキクちゃんと棗ちゃんだった。
「あれ? 棗ちゃん、目が覚めたんだ? いつ?」
紡ぎ出される自分の言葉に、おかしな違和感を覚えつつも。
私は原因不明の病で眠ったままだった、という棗ちゃんに対する記憶に基づき、そんな事を言う。
「それは、潤が寮の玄関のところで倒れていたのが発見されてすぐよ」
「まったく、潤姉ちゃんってば間の悪い。おかげでボクがやったんじゃないかって疑われたじゃないか」
「……」
確かに寮の玄関で突然倒れた、と言う記憶が私の中にある。
だがそれが、余計に気持ち悪さを助長させた。
何故だか、その記憶がよそ者に見えたのだ。
まるで、はたからそれを見ているかのように。
「こんにちわー。お見舞いに……って、三水さん起きてるじゃないですか」
そして、次に顔を出したのは由宇ちゃんだった。
私たちと同じ、【本校】の赤い制服。
女子用の制服。
私はそれにまたしても違和感を覚え、由宇ちゃんを凝視する。
「わ、わっ、どうしました? 僕変なコト言いましたか?」
途端、歪む視界と、慌てふためく由宇ちゃん。
何か、忘れているような気がする。
そう思いつつも遅ればせながら気づいたのは、自身の頬にこぼれる涙。
それを心配そうに見つめる三人に、私は誤魔化すような笑みを浮かべ涙を拭って。
「えっと、その。由宇ちゃんの持ってる巾着、なんだか凄い見覚えがあって……」
故に思わず凝視してしまったのだと弁解する。
そう、由宇ちゃんが手に持つ巾着は、確かに見覚えのあるものだった。
というか、私自身が自作したものだ。
巾着を覆うキルトの選別に随分と苦労した覚えがあった。
「あ、やっぱりそうなんだ。ええとですね、これ、さっき外に出る用事があったときに、三水さんの実家のお隣に住んでるって女性のかたが、届けてくれたんです。忘れ物だって」
忘れ物。
目の前にある巾着に与える名前として、やけにしっくり来る言葉。
私はわざわざありがとうと頷き、その巾着を受け取って。
(あったかい……?)
しかも、何だか動いている気がする。
私ははやる気持ちを抑えつつ、そっと巾着を開いて。
「ホッチキス? わざわざなんでまた」
「……っ!」
訝しげに呟いたのは棗ちゃんだっただろうか。
でも、その時の私は、そんな棗ちゃんに言葉が耳に入ってなかった。
何故ならば、寝ぼけ眼をこすりながらこちらを見上げてくる小さな小さな少女に、目を奪われ驚いていたからだ。
「うーみゅ。こりゃ完全にわすれてるっすねぇ……」
(魔物? ううん、そんなわけは……っ)
力の抜けた、億劫そうな呟き。
どうやら私だけに聞こえているらしく、周りからの反応はない。
最初に思いついたことを、何故かすぐに否定している自分に気付いて。
「んじゃ、気付けにいっぱつ」
のそのそと、私の手のひらに降り立つ小さな少女。
彼女はおもむろに跪き、その唇を、そっと私の手のひらに寄せて……。
ぱちん。
瞬間聞こえてきたのは、小気味よい軽い音。
「い、いったぁ~っ、な、なにすんのよっ…………っ!?」
それが、ホッチキスの刃が手のひらに落ちた音だと気付いた時。
ものすごい痛みとともに襲ってきたのは、もの凄い記憶の奔流だった。
それは、起き上がっていた上体を、思わず倒されるほどの衝撃。
「だ、大丈夫? ごめんっ、もしかして僕、やっちゃった?」
「あ、う、ううん。自分でやったんだよ」
素直にも泣きそうな顔で謝ってくる由宇ちゃんに、慌てて大丈夫と返す私。
突然の奇行に対し驚いている棗ちゃんやキクちゃんにも、愛想笑いを浮かべつつも、私の頭はぐるぐると猛回転を始めていた。
すべてをなかったことにする、と吟也に言われて。
ええと、それから……き、きせずしておいしい思いをして……。
「潤? 本当に大丈夫なんですか、何だかやけに顔が赤いですけど……」
「あ、そうだ。キクちゃん! 『デリシアス・ウェイ』のことは? どうなったの?」
自分がどれほど気を失っていたのかは分からないけれど。
キクちゃんが今回の【虹泉】の創造主であることは周知の事実で。
卒業の可能性も含めてキクちゃんに何らかの制裁があってもおかしくない。
それを自分が率先して止めるはずだったのに。
状況が掴めず、焦って唇を噛んでいると。
「デリシアス・ウェイ? なんでしたっけ、それ?」
返ってきたのは、本気で心配するキクちゃんの言葉だった。
「あ~。ダメっすよ。そのへんのことは潤ちゃん以外、みんな忘れちゃってるっす。もちろん、ボスのこともね」
そこにかぶせるように、カチュの言葉。
そこまできてようやく、私は今置かれている状況を理解した。
キクちゃんは、自分が『デリシアス・ウェイ』に憑かれていたことすら、忘れてしまったのだろう。
その事についての苦しみや罪の意識を、なかったことにするために。
それは間違いなく、吟也の仕業であることに間違いはなくて。
「ご、ごめん。なんか夢でさ、キクちゃんと話してて。勘違いしてるっぽい」
「相変わらずというかなんというか、そう言う夢見がちなところ、潤らしいといえばそうですけど」
我ながら苦しい言い訳だとは思ったけれど、空気を読むキクちゃんはそれで納得してくれたらしい。
私はそれに苦笑し、再び起き上がる。
「ちょ、ちょっとトイレ」
そして、吟也も使い古したそんな言葉を発し、私は逃げるみたいに保健室を出て……。
でもって建前上トイレに行った後、私は改めてカチュと対面した。
「……もしかしなくても、吟也に一泡吹かしてやろうって、このこと?」
開口一番口にしたのは、分かれる間際にカチュが口にしていたその事だった。
吟也の役目と正体。
キクちゃんの背負っていたもの、それに対する苦しみ。
それを、全部なかったことにして、一人で背負い込んで。
立ち去ってしまった吟也。
私もご多分にもれず、今の今まで何もかも忘れていて。
「そうっす。カチュは知ってもらいたいんすよ。ボスがみんなのために頑張ったってことを」
「そっか。それで私の記憶を元に戻してくれたんだね」
そう言うカチュの言葉には、悲しいわけでもないのに泣きそうな成分が混じっている。
たぶん、それは悔しさなんだろう。
自分の大好きな人が頑張っているのに認められない、と言う事実に対しての。
「ううん。カチュはきっかけを与えただけっすよ。カチュに記憶消去の術は破れないっすから。破ったのは、潤ちゃん自身っす。……というより、記憶消去の術には、消せないものがあるんすよ」
「……吟也を好きな気持ち?」
「さすが潤ちゃん。分かってるっすねぇ」
即答する私に、満足げに破顔するカチュ。
それは、吟也が紅葉台に来てから一週間にも満たぬ間に生まれ、成長し大きくなったものだ。
鈍感のエリートの吟也には、きっと分からないだろう。
その想いが、どれだけ強いかを。
そしてそれはきっと、私だけじゃなくて。
目の前にいるカチュだって、おんなじ気持ちで。
「でもさ、それって他の子も思い出しちゃうってことだよね?」
吟也が気付かないだけで。
この短い間に、どれほどの子が彼のことを想うようになっただろう。
その事を考えると、その記憶消去の術も、途端に大したものじゃないように思えてきて。
「そう。それなんすよ。これからしばらくしたら、ボスは何事もなかったかのようにここへやってくるはずっす。だから……」
「本当は知ってるんだけど、知らないふりをして迎えるってことね」
それこそが一泡を吹かす全貌であり、勝手に青鬼をしてる彼への意趣返し。
帰ってくるって。
カチュにそう言われて、早くも浮かれている私がそこにいて。
「それじゃあ、あらためてこれからよろしくね、カチュ。よき友として、ライバルとして」
彼を愛する同志として。
ずっとずっと、私たちは一緒にいる。
「望むところ、っすよ~。あふぅ、でも眠い~」
結局は元々寝ぼすけさんだったらしいカチュを、いつもの定位置へ添えて。
私たちは、新たな一歩を踏み出す。
私たちは、あなたを愛しています。
そう言える日がいつか来ることを、夢と見据えながら……。
SIDEOUT
(第83話につづく)
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