第76話、どうしようもないお馬鹿さんだって、初めから分かってたでしょうに



SIDE:潤



背中に異世を集中することで衝撃を和らげ、かつ反発するばねの役割を生み出し、飛ぶ私。


それが最高地点まで到達したところで、今度はフードつきコートに能力を発動。

コートは風を吸い込みみるみるうちに膨張し、やがてグライダーへと様変わりしていって。


そんな中、私は眼下に広がる戦いを目の当たりにする。

上空からでもはっきりと分かるのは、煌々と輝く四色の光。

それは魔物でもなく、人でもなく。

煙る美しさを沸き立たせる、高潔な魂を持つ妖(あやかし)。


―――翠緑の光。大木をも凌駕する、すべらかな光沢を放つ鋼の戦場刀を掲げる武士(もののふ)。

ただただ圧倒的な力で、魔物に鉄槌を下す。


―――玉虫色の光。大地からいでし、八首八頭の竜。

巨大な顎によって、大地ごと魔物どもを食い尽くす。


―――黒真珠の光。森の陰に潜みし、意志のある闇。

時をも切り裂く風が去れば、その跡に立つものはなく。


―――桜色の光。絢爛なる舞踊りし白仮面。

変幻なる鉄鉾が、艶やかに魔物を霞と化す。




それは、なんとも頼もしい、カチュのお友達のつくもんさんたちだ。

彼女たちがいなければ学園は、町はどうなっていただろうかと思うと、ゾッとする気分だったけれど。



(あれ……?)


そんな事を考えていて気付いたことが一つ。

その中にカチュの姿がない。

たとえ姿が変わったとて、カチュなら分かる自信が私にはあった。

そんなカチュがいないということは、カチュはきっと吟也のところにいるのだろう。


たぶん、カチュも見えないところで頑張ってる。

そう思うと、私もしっかりしなくちゃって、やる気も出ようというもので。


私は、いよいよ近づいてきた黒雲を見据える。

いや、それは雲ではないんだろう。


大地から伸び、上昇する闇色の異世。

天にぶつかり広がって、天地の楔と化している。

それは、キクちゃんの……【デリシアス・ウェイ】そのもの。

それを守るようにして、近づけば近づくほどに濃い色をした魔物たちが、その一ピースとなっていて。


その根元に見えるは、美音先輩や由宇ちゃんをはじめとする保健委員の面子に混じって、風紀委員の【生徒】たち。

副も長も職務放棄してるようなものだから、保健委員の一時預かりになってるんだろう。

正直気まずくて、どうしようかってちょっと迷って。



「潤ちゃんっ! それ以上近づいたら駄目にゃっ!」

「……えっ?」


聞こえてきたのは、切羽詰った美音先輩の声。

それにびっくりして、はっとなって顔をあげた時にはもう遅かった。


私はグライダーをしまう暇もなく、そこにあるものがが本物の竜巻であったかのように、渦を巻く黒い靄の中へと吸い込まれていって……。





気がつけばそこはまっくらな世界だった。

でも、その世界の感覚を私は知っていた。


たとえば、棗ちゃんの夢の世界。

たとえば、詩奈ちゃんとともに足を踏み入れた虹泉の中。

そして……キクちゃんと一緒になって隠れた、気配を消すためのキクちゃんの曲法の中。


そう、これは異世だ。

個々人の殻の中の世界。

その人の心象風景。



「そっか。キクちゃんのあの力って、ほんの一部だったんだ……」


キクちゃんの苦しみを伝えるサインはいくらでもあったのに。

気付かなかった自分にかなりへこむ。

特に最近になってからは、キクちゃんと会話していてもキクちゃんのことに話題が及ぶことが少なくなってきていた。

私の心はカチュを、そして吟也ばかりを向いていたからだ。



「だから拗ねちゃったんだ。嫉妬してたんでしょう?」


キクちゃんが聞いていたら、そんなわけないでしょうって怒られそうな台詞。

だからあえて私は口にする。

ここがキクちゃんの世界ならば、きっと聞こえているはずだから。



……と。


その言葉に応えてくれたのかそうでないのか。

闇色様々な世界の中、向かい風が吹き付けてきた。

その一部はつむじ風の刃となって私の頬を打つ。

乾いた音がして、血の吹き出る感覚。



「キクちゃん? そっちにいるのね」


それは直感。私は痛みの感じない頬を拭いもせず、向かい風に突っ込んでゆく。



「……やっぱり」


案の定、それは正しかったらしい。

闇色一つとっても、こんなにも色が違うものかと感心するほどに、今までいた場所よりも濃い闇色が目前に蟠っていた。

私は意を決し、闇の深いほうへと足を踏み入れる。



「……くっ」


その瞬間だった。幾重もの刃になます切りにされるような感覚。

こっちへ来るなと、キクちゃんの拒絶の意思。

私は踏みしめるべき足場でなく、足そのものを失い前のめりに倒れる。



オォォォォォッ……。



闇の地に伏した私に、降りかかるは怨嗟の木霊。

それはキクちゃんの意志か、あるいは【デリシアス・ウェイ】の意思か。



……ううん、そうじゃない。

たぶんそれは、どっちもキクちゃんなんだ。

そう思ったら、寝てる場合じゃなかった。

私は吟也の宝物を右足代わりにして無理やり立ち上がり、勢いつけて更に前進する。



近づけば近づくほど、広がる濃密な闇。

それはやがて、人の形を作り出す。

髪をサイドアップにした、小柄な少女の影を。

キクちゃんであり、【デリシアス・ウェイ】でもある、そんな存在。


私はこんな状況にも関わらず笑みをこぼし、更に近づく。

そこに襲い掛かるは、大気のハンマー。

両脇から叩かれ、何度も飛ぶ意識。

それには、鋭利な刃も仕込まれていて。


ここがキクちゃんの世界じゃなかったならば。

私はきっとミンチの細切れになっていたに違いない。


でもここは意思の世界。

キクちゃんの思い通りの世界。


故に私は死なない。

どんなに傷ついても、その歩みを止めなかった。

それは、拒絶しているように見えて、その実求めているその証。


だからうれしい。

痛みよりも笑みが出ようというもので。



そして私は面と向かって対話できる、すぐ側まで近づくことができた。

そんな私を非難するように、一層強くなる闇の色。


相対しての、一瞬とも永遠ともつかぬ間。

予想に反して……あるいは期待通りだったのかもしれないけれど。

それを破ったのはキクちゃんのほうだった。




「こんなところまで来るなんて。あなたはよっぽどあの偽善者が好きだったのね」


意識しての、別人みたいな低い低い言葉。


「偽善者?」


私はその単語に理解が及ばず、そう聞き返す。


「そうよ。この私を救うなどとのたまい、無抵抗のままあっけなく死んでいった男のことさ」

「だから偽善者? 甘いわ。甘すぎるのよキクちゃん。きっとその人はもう一度あなたの前に立ってこう言うわ。また会えたのは運命だろうか、美しいお嬢さん、って」「……世迷言を」


くくくと、以外に似合わないでもない忍び笑い。

私が首を傾げてみせると、いよいよ輪郭がはっきりとしてきたキクちゃんが言葉を続けた。


「まさかまだキクとやらの心が残っているとでも? そんなもの、とうに食らい尽くしたわ」


今、そこにいるのはキクちゃんではない別人なのだと、言い張っている。

私はそれに、静かに首を振った。

そこに二つの意味を潜ませて。



「勘違いしているのはあなたよ。私は目の前のあなたに話しているの」

「……」


【デリシアス・ウェイ】から、キクちゃんを取り戻しにきた。

きっと彼女は、そう思っていたはずだ。


そこで初めて見せる、闇色の戸惑い。

私は畳み掛けるように言葉をつなぐ。


「私はね。あなたに取引を……いえ、お願いをしに来たの。あなた、私のところに来ない? 棗ちゃんにしたみたいに、ほんの一部とか生ぬるい感じじゃなくてさ」「……っ」


更に深くなる動揺。

私はそれでいよいよ確信した。

今そこにいるのは、やっぱりキクちゃんなんだ。


もし、今言ったように別人格の【デリシアス・ウェイ】がキクちゃんの意識を乗っ取っているのならば。

それは動揺する必要のない、この状況を切り抜けるおいしい話だからだ。



「自分が何を言っているのか、分かっているのか?」

「もちろん。疑うなら武器も捨てるよ。抵抗はしない」


私は二本の戟を足元に置くと、更に一歩近づく。

さあ、いらっしゃいと。

両手を広げ迎えるポーズ。

気がつけば触れよとばかりに近くにいるのに、暴力的な圧力も刃も消え去っていて。



「…………この期に及んでそんな事が言えるなんて。潤は馬鹿です。大馬鹿ものです」



ポロリと落ちるは、自分を守る……あるいは悪者にするための虚勢の仮面。

それは、涙となって闇の世界に浸透していく。

気付けばそこにいるのは、いつものキクちゃんで。


「何よ。そんな今更なこと、ようやく気付いたの?」


私は殆んど無意識のままに、キクちゃんを抱きしめていた。

闇の衣をはぎとって、すっかり元に戻ったキクちゃんを……。



             (第77話につづく)







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