第15話、乙女のフィルターがかかってなくても、ちょっと言葉では言い表せないくらい
付属と本校を隔てる、境界の始まり。
ここから先は防護服なしではまずいだろう。
許可も取ってないし、違反ものだ。
とっさに連絡機に備え付けられた時計を見る。
寮の点呼の時間まで後十分。
付属の入学式が始まるまであと一時間程度。
登校の生徒たちもそろそろ増え始める頃だろう。
あんまり長居はできない。
一目だけでも吟也を見ることができれば。
なんて思っていると。
「何だよ、これっ……」
「……っ!」
その声が自分に触れた瞬間、心が震えた。
三年という月日が経って、その声色は格段に低くなっていたけど。
ずっと、ずっと待ち続けていた声だったからだ。
ただ、なんだか怒っているみたいで。
それが身に覚えのないことで。
同時に身体もすくみ上がる。
それでも、鉄のように固まってしまった首を、ぎりぎりと軋ませて声のほうへと視線を向ける。
吟也はそこにいた。
本校と付属の分岐のところで立ち止まり、なにやら難しい顔をしている。
「……うわぁ」
驚愕。
ぴしゃりと雷を打ち込まれたみたいに、私はそこに立ちつくすことしかできない。
泣き虫で身体も腕っ節も弱いくせに、生意気といっていいくらい気が強い。
私は、子供の頃のままに、変わらないんだろうなって思っていたけど。
そのまんま大きくなってるイメージしかなかったけど。
そんなイメージなんか一瞬で壊されてしまった。
その声と、僅かな幼少の面影がなかったら、きっと私は恥ずかしくて、一目散に逃げ出していたかもしれない。
それほどまでに、半端のない美人さんがそこにいた。
大抵の女の子が妄想する、同じ空気を吸っていいんだろうかって思えるほどの理想の具現。
たぶん、吟也が徒歩でなく白馬に乗っていたとしても、全く違和感はなかっただろう。
むしろ、御者をつけずに一人で歩いてくることのほうの違和感を覚えてしまうほどで。
アイドルとかなんとか言われて恥ずかしがっていた自分を埋めたくなるくらい、オーラが違う。
というより、凄すぎてうまく言葉に表せない。
あまりに小さい頃のイメージとかけ離れすぎていて、一瞬人違いなのかも、も思ったけれど。
それでも目の前の人物が吟也であると私に思わせたのにはもう一つの理由があった。
まるで女の子のように長い髪。後ろで一つにして細かに編みこんで、緑の制服に垂らしている。
昔、なんでそんな女の子みたいな髪型してるの、なんて訊いたことがあった。
そうしたら、三つ編みは男が最初にやったんだって、とんちんかんな怒り方をしてきたから良く憶えている。
そして何よりも、彼が私の幼馴染みの吟也であると印象付けたのは。
その髪の色だった。
白……ううん、桜の花びらみたいな薄いピンクの混じる、不思議な色合いの髪。
本人は、おじいさんみたいだっていっつも気にしてたけど。
私はそのやさしい色が大好きだった。
ちょっかいをかけてたたくふりをして、しょっちゅう触っていた記憶がある。
相変わらず手触りがよさそうだよ……なんてよこしまなことを夢想していたからいけなかったのか。
小さく息を吐いた吟也は、誰かと話してるみたいに俯いたままで、私の前を素通りしようとしているではないか。
私が足を踏み入れてはならない、付属の敷地へと。
「……吟也っ」
だから私は、気付いたら駆け足になっていて。
気付いたら彼の名前を呼んでいた。
はっとなって吟也が顔を上げる。
赤みがかった、大きな瞳が私を射抜く。
その、どこまでも澄んだ光が、私を照射する。私を認識する。
しまった! そう思ったのはその瞬間だ。
恐怖。それは今までで一番の恐怖だった。
後悔。今更ながらキクちゃんの言うことをきいておけばよかったと。
拒絶。吟也に拒絶されてしまう。そんなのはいやだった。
さっきまでの根拠のない自信が、それこそ嘘みたいで。
今すぐここから逃げ出したい、そう思ったけれど。
「……潤ちゃん?」
奇跡が起きたと、私はそう思った。
吟也は私を覚えていてくれた。
それだけじゃない。
まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、まっすぐ私を見つめてくれたんだ。
それこそ、一ミリも逸らすことはなく。
真剣な瞳。
自然と吸い込まれて、そこにあるものを少し悟る。
吟也はどこか緊張していた。何かを恐れていた。
それが何を意味するのか、私の導き出した答えはひとつ。
きっと吟也の、人としての防衛本能が働いたんだろう。
私が、普通の人が近づいてはいけないものに変わってしまったことに、気付いたんだ。
だからこそ、嬉しくて申し訳なかった。
吟也はおそらく、やせ我慢をしている。
そこにいるのもつらいはずなのに。
お得意の強がりをしているのだ。お父さんの二の舞。
それは、涙が出るほどの優しさだ。
異世は極力、今までで一番、振り絞るように抑えていたけど。
ずっとそうしてはいられないだろう。
それは悲しいことだったけど。
私の心を満たすのは悲しみではなく充足感だった。
吟也は私を拒絶しなかった。
もう、それだけで十分だから。
故に私は、踵を返して立ち去って、吟也を辛さから開放させてあげるべきだったんだけど。
声をかけたのは私のほうが先だったから。
声をかけたからには当然何か用があるはずで。
このまま立ち去るのはもったいない……じゃなく、悪い印象を与えかねなかったから。
何かを言わなきゃって、私はわがまま甚だしい自己完結をしたわけなんだけど。
「……っ」
肝心な時になっても、私の口は気の利いた言葉一つも紡いではくれなかった。
よって焦る。話したいことなんていくらでもあるはずなのにって、慌てふためく。
「……えっ?」
「ど、どうしたの、私、何かへんかな?」
と。突然、何かに驚いたような、気付いたような吟也の態度。
もしかして、私が人を害するものであることに今更になって気付いたのかな? なんて思ったけど。
「い、いや。ははは、ごめん。何か緊張してるのかも、僕」
返ってきたのは、それを誤魔化すような吟也の言葉だった。
その、嘘をつきたくてもつけない感じに、凄く申し訳ない気持ちになって。
とにかくもっとましな言葉を口にしなきゃって思って。
ふと目に入ったのは、吟也のその髪に映えるサングラスだった。
しかも、フレームのところからアンテナやらイヤホンやらが伸びている。
プロアスリートとかが持っている音楽視聴機能つきのものなんだろう。
あまり詳しくはないけど、安くはないことは間違いないはずで。
私は吟也と見つめ合いながらもそんな事を考えるに至り、はっとなる。
『曲法』という人外の力を持ち、魔物と戦うために集められた本校と違って、付属は規則やら校則やらがとても厳しいらしい、というのを思い出したのだ。
直接体験してるわけじゃなくて、人づてに聞いたものだけど。
それは、基本自由にさせてもらってる私たちに対しての反動らしい、とも。
まぁ、そう言う機械めいたものが好きな吟也には必需品なのだろうし、よく似合ってるけど。
私がよくても、本校がよくても、付属では駄目かもしれない。
その瞬間、私の頭に浮かんだのは。
仕置き棒を持った古きよき時代の鬼教官に、吟也が罰を受ける……そんな光景で。少なくとも没収される可能性は高いだろうって、そう思っていて。
それ以前に吟也の髪型にすらいちゃもんつけられるんじゃないかなって気さえして。
髪の色は地毛だから仕方ないとしたって、あんまり目立つことはしない方がいいよって。
せめてサングラスは鞄かなにかにしまったほうがいいよって。
私は先輩ぶって忠告するつもりだったのに……。
(第16話につづく)
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