第7話 翠巒の大穴

 嚇怒した鬼の面が二人を見下ろす。


「ヒュルーム?」


 異様なまでに大きいその者に一切気圧されることなく、オーリエは平静に返す。


「うむ。名を知らなくても当然だ。ヒュルームは世に隔離した里故、知っている者はこの世界でも数少ないだろう」


 コーネリアの顔を伺うオーリエに対して、彼女は首を横に振る。

 どうやら世界を旅していた腕利き冒険者でも知らない情報ということだ。


「そうですか。では、そのヒュルームの戦士さんがいったいどういう訳で私たちを覗き見ていたのですか?」


 首飾りに手を掛けながらオーリエは訊く。


「なに。単なる好奇心だ。君らから漂う強者のオーラに引き付けられたのだ。名の知れた者なのだろうが、生憎と我は世情に疎いので存じ上げない」


「それなら心配いりませんよ。知名度はありませんのでご安心ください。それで、目的は結局のところなんでしょうか?」


「おっと、すまないな。実はすこし我の話に耳を貸してはくれないだろうか?」


 威圧的な風采のヴィースという者は物腰を柔らかくして二人に云う。

 二人で顔を見合わせてから、コーネリアが答える。


「それは構わない。だが、話す前にその不気味なお面は外してくれないか?」


「すまないがそれはできない。我がこうしてこのような面を要しているのは、見せることができないほどに醜悪な顔をしているからだ。赦してくれ」


「まあ、それなら仕方がないですね」


 オーリエが優しく答えると、ヴィースは少し頭を下げた。


かたじけない」


「それで、いったいどのような話でしょうか?」


 むくりと顔をあげると、ヴィースは二人を見る。


「では、ひとつ長話に付き合ってくれ。だが、その前に――」


 ヴィースは片手を伸ばして言葉を零す。


隔離ソルディネス


 その瞬間、三人を囲うように半透明の膜が広がった。


「これから話す内容を他の者に聞かれては困るのでね」


 そういって、ヴィースはその場にどっしりと腰を下ろし胡坐をかいた。

 座っても彼女たちの視線の位置が通常の位置より少し下がる程度だった。


「では我の里、ヒュルームで起きた事件について語らせてもらおう――」


 そうしてヴィースは淡々と事の次第を語り始めた。


 このザムスヘムから三月みつきほど歩いた先にある、青々と木々が生い茂る翠巒すいらんの渓谷がある。そんな外界の喧騒とは隔離された場所に構える小さな里があった。隠れ里として、他との接触を避けるその里では、秘匿にしていることがある。それは、ダンジョンの独占だ。

 翠巒の渓谷。そこにあるヒュルームという里にはダンジョンへ繋がる横穴が存在していた。

 その秘匿にされたそのダンジョンは、勿論世間には未報告であり、未確認のダンジョンだ。

 そんな未確認なダンジョンは、Aランクダンジョンに推定され、その脅威は大きなものになる。しかし、そんなダンジョンと共存するように作られたヒュルームでは、生活に必要な資源はすべて森や山、そしてダンジョンから採取していた。その為、Aランクダンジョンによる資源調達が日課になっていた里の者は、次第にその実力をつけていくことになる。

 そして、ヒュルームに暮らすものは、皆等しく強靭な肉体を宿し、ダンジョンの資源調達が容易になっていった。

 だが、そんな生活が続いたある日、突如として、普段潜っていたダンジョンとは別に、ダンジョンへ繋がる穴が現れたのだ。

 奈落の底へと向かうように空いたその大穴は、里の物を誘う様に魔物の叫び声が底から響いていた。

 ダンジョンに巣くう魔物に対して、軽視していた里の者たちは、新たに出現したその大穴へと探索に向かうことになったが、事態は急変した。

 先陣をきってダンジョンへ潜った者たちが、数日たっても帰ってこなかったのだ。

 里でも腕利きと名の知れた者も探索に出かけたが同じように帰ることはない。

 前例のない事態で、事の真実を突き止めるべく、里で一番の実力者がダンジョンへ潜ることになった。

 ヒュルームでは里一番の実力者は代々、里長を務める習わしになっていた。その為、ダンジョンへ潜ることになったのは言わずもがな。ヒュルームの里長だ。

 側近の共を連れ、ダンジョンの真相を確かめるべく里長たちはその大穴へと潜ったが、結果は変わらなかった。唯一違ったのは、一緒に同行した側近の一人がダンジョンから帰ったということだけだ。

 だが、それは大いなる結果だった。

 その者が持ち帰ったのは、ダンジョンの真相。

 帰還した者の話では、ダンジョン奥深くには埒外の存在がいて、ヒュルームの猛者たちでは到底太刀打ちできないということだった。

 ヒュルーム最強と名高い里長ですら叶わぬほどの存在だったと口にした。

 里長のお陰で地上へと帰還できたその者は、この件を治めるために、里の外へ力を借りることを提案した。

 しかし、長年貫いた掟を破ることになると古い者たちは異論を唱えた。

 わざわざ危険と分かっているところに、無為に挑む必要はない。これ以上潜れば、闇雲に数を減らすだけだと。掟までやぶって通すべきではないと、正論もある中で、帰還した者はその意見を跳ね除けた。

 ここでダンジョン調査を中断するのが火を見るよりも明らかなことなど百も承知のうえで、その者は潜ることを止めなかった。

 なぜならば、地上への帰還を手助けしてくれた里長が、まだダンジョンで生きているからだ。

 里の者の死体で山ができているほどに、恐怖の存在がいる中で、里長が生き残っていると零すその者の目は、嘘偽りのないものだと頑として佇んでいる。

 しかし、それはもはや狂人の域だと、里の者にはあしらわれてしまう。

 結局、最後までその者の意見は認めてもらえず、里はその新たなダンジョンの入り口を塞ぎ、出入りできないように、監視を置き、管理することとなった。

 そして、今まで通りの暮らしへと戻っていった。

 けれど、里長の側近だったその者は今でも里長の救出を考えていた。

 里全体がどう考えようと、その者の意見は依然として変わらない。

 里長はまだ生きている。あの闇深いダンジョンの深層で、今もあの埒外の存在によって捕らえられているのだ。

 鋭利な牙が唇を血に染める、そんな例え様のない感情を抱きながら、その者は里長を助けるべく、里を離れた。

 ヒュルームの起源からなるその掟を破り、半ば追放という形で、里長を救える存在を探して、旅に出た。


 ヴィースは滔々、時に声音を深くして、そう語った。


「つまり、その旅に出たというのが、貴方ということですか?」


「如何にも」


「そのダンジョンの主に捕まった里長の救出のために、実力者を探してここまで来たのですね。それで、それは見つかったのですか?」


「いや、生憎と該当するようなものは見当たらなかった。里しか知らない故に、どこへ行けばそういった実力者に合えるのかがわからなかったため、今のところ適当に人の多そうなところを点々としている。だが、その度もここで終いにできるかもしれない」


「だから私たちに声をかけたのですね」


「我は相手の力量がどれほどのものなのか見極めるだけの目を持っているつもりだ。その我の目に留まったお二人の力、是非貸していただけないだろうか? 報酬は約束する。どれほどの金銭が必要かは言っていただければ、我が用意しよう。だから、どうか里長を救うのに手を貸してくれ!」


 ヴィースは深々と頭を下げた。

 胡坐姿勢のまま、両膝に拳を突き立て頭を垂れる。


「話は分かりました。貴方の話ではじかんを掛けてはいられない状況だと分かります。しかし、私たちも任務でこの街に来ているのです。力を貸せてもこちらの任務が完了してからになります。それでもいいのであれば――」


「構わない! 救う目途が立つのであれば我はいくらでも待つ」


「そうは言うが、急がなくていいのか? 今もダンジョンの奥でその件の存在に嬲られているのだろ? なら急ぎ救出に出たほうがいいはずだが?」


「分かっている。だが欲を掛けばすべてを失う。それは世の理だ。この世に生きる物が獲得しうるものは等しく分散する。我が求めるは里長を救うこと。その可能性があるのであれば、君らの用事が済んだ後にともに里へ来ていただければ、それでいい」


「なるほど」


「なら決まりですね。私たちが貴方の助けとなります。ですが、その前にマリ様に連絡をしなければいけません。私の独断で勝手なことはできませんので」


「君らの主か?」


「そうです。勝手な判断で、マリ様に迷惑をかけることはできません。そんなことをしてしまえば、私は自らこの命を捧げます」


 オーリエの言葉にヴィースは感嘆に言葉を零す。


「それほどまでの忠誠とは。よほどの方なのだろう」


「はい」


 しかし、ヴィースは声音を変えた。


「だが、断られるという可能性はないのか? 得体のしれない存在に、自身の従者を送るなど」


 ヴィースの懸念に対して、二人は笑顔を返す。


「それは絶対にないと思います。マリ様はとてもやさしいお方です。困っている者がいれば手を差し伸べる。それがたとえ誰であろうと変わりません」


「まるで神様ではないか……」


「はい。マリ様は私たちを創造してくださった神様に他なりません。そして、そんなマリ様は私たち配下のことを何よりも信じてくださいます」


 もはや声すら出なくなっていた。


「だから安心してください」


「ああ。よろしく頼む」


「けれど、報告はまた明日にしましょう。もう夜も遅いですし、今連絡してはマリ様の迷惑になってしまいますので」


「了解した。では、また明日お願いしよう」


 そう云ってからひと呼吸置き、ヴィースは訊く。


「して、君らの任務とはいったいどういったものなのだろう? 力を貸してもらう身。我もその任務の手助けができればと思っている」


「別に手を貸していただくようなことはないですよ。ただ、魔王テステニア様の元へ赴き、マリ様との会談を持ち掛けるだけのことです」


「世情に疎いのでよくわからないが、魔王とは確かそうとうに実力のある存在だと記憶している。そんな者と君らの主は会談するとは、そちらも相当の実力者ということか?」


 里で育ち里以外を知らない者には外の常識など皆無だった。

 それゆえに、ヴィースは魔王という存在すらあやふやなもので、世界の勢力構図もままならない。


「マリ様は世界最強ですので当然です」


「ほう、世界最強……」


 仮面越しに、ヴィースの口元が吊り上がる。


「もし、君らの任務に就いていけば、我もその世界最強のマリ様に会うことができるのか?」


「そうですね。魔王テステニア様をマリ様の元にお連れする際に一緒に来るのであれば、会えると思います」


「なら、是非に同行させてくれ! 足手まといにはならないはずだ」


「別に構いませんよ。まあ、それも明日の朝、マリ様に確認しますのでその時に」


「了解した」


 話がひと段落つき、ヴィースは魔法を解除した。


「では、また明日落合うとしよう。場所を決めても?」


 そうして、二人は借りている宿を伝え、そこで待ち合わせるようにした。


「宿だな。了解した。ではまた明日。よろしく頼む」


 ヴィースはそういうと、ふらりと巨体を揺らしながら、闇夜にその姿を消していった。


 ヴィースの去った後。コーネリアが口を開く。


「先ほどの、ダンジョンの話。少し気がかりですね」


「何かあるんですか?」


「ダンジョンというよりは、そこにいた埒外の強さを持つ存在なんですが、ここ最近でそういった存在というと、例の蜘蛛人アラクネの村を襲ったという謎の存在がちらつきます。関係ない可能性の方が高いですが、もし仮にああいった存在が他にも存在したとしたら、マリ様の脅威になりうるかもしれません」


「確かにそうですね。そういった懸念も明日伝えなくてはいけませんね」


「はい」


「さ、私たちもそろそろ宿に戻りますか」


 夜景を横目に、二人は来た道を戻っていく。

 静寂の街。街の喧騒も今では静けさを漂わしている。

 民家の窓に灯る明かりも少なく、街が眠りに入っていく。

 そんな世界と相反して、一人の心は酷くけたたましく太鼓を鳴らしていた。

 迎える未来を考えて、夜に消えていく。








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