第6話 ヒュルームの鬼

 ザムスヘムの夜。

 点在する街灯の明かりが淡く街を照らしている。

 酒場の喧騒から離れれば、静かな空気が漂い始める。

 街の賑わいも、夜の闇に霧散していく。

 

 遠くで聞こえる街の声を背に、ぶらりと夜道をゆく二人。

 ザムスヘムの街は高低差のある土地に造られた街だ。門から続く下町は行商人や、商品の輸出入がし易いため、店が軒を連ねる市場となっているが、上に行けば町に住む住人たちの住居や、街を統治する領主が住む館が存在する。

 そんな街の上層に登れば、街を一望できる高台が姿を見せる。

 高台からの景色は静かなものだ。

 街あかりが疎らに広がる一面と、塀を隔てた先の景色は闇夜を照らす月明かりによって仄かに姿を見せる街道と森の頭と、遠く、境界線付近にある淡い光の塊。


「あの森の向こう、淡く光るところがあると思います」


 コーネリアが静かにいう。


「私にはあまりその淡さがよくわかりませんが、確かに他と少し明るさが違うところがありますね」


 石目蛇の頭の目には暗闇も明かるく見えるため、コーネリアが見ている暗い世界は、彼女には存在しない。けれど、そんな彼女の視界にも明るいながらもその明るさの違いを認知することができる。


「そこが港町コルドになります。朝方の景色はまた違っていて、あのコルドの位置から微かに見える海の境界線が陽の光によてきらきらと輝いているのです」


「それは綺麗そうですね。でも、私にとってはどこを見ても心躍る景色ばかりです!」


 静かな風が走り抜け、オーリエの外套が優しく揺らぐ。

 彼女の瞳と同じ瞳を宿す小さな蛇たちも、彼女と同じ景色をじっと見つめている。


「コーネリアさん。あの遠くの山、かなりでかいですね。この大陸を分断するあの山脈と変わらないほどある気がするんですが、あれも何か名の知れた山なのですか?」


 暗闇の奥、空を覆う影が遠くに浮かぶそれは、オーリエが云った通り、確かに異質なまでに大きなものだった。ここへ来る道中にも視界の片隅に映り込んでいたかもしれないが、平地からの景色ではそれほど目立たなかった。しかし、この高台でその存在を認識できた。

 確かにそれはこの大陸を分断する天にも昇る大山脈、オーレリア山脈にも引けを取らないほどに大きな山だった。


「あれは、霊峰エンディエントと呼ばれる山で、オーレリア山脈を含め、この世界で3番目に高い山となります」


「あれよりも高い山が他にもあるのですか?」


 コーネリアは記憶を遡行するように、視界に映る暗い山の反対側を見つめて云う。


「はい。この大陸ではありませんが、大陸の南西に位置しているゴロルド大陸にそれはあります。もし、機会があれば一緒に見に行きますか?」


 世界に幾つかある大陸の内、二番目に大きい大陸が、ゴロルド大陸に当たる。

 オーレリア山脈がある世界最大の大陸、グラシリア大陸の南西に位置するその大陸では、中央に毅然と聳える大山が存在する。雲に頭を浸からせるその大山はグラシリア大陸の西側の端に行けばその姿を見ることができるほどに大きい。

 大陸間には様々な海域が存在しているが、そのどれも広く、別の大陸の姿など見えないほど。そんな中で姿が確認できるその山の大きさは計り知れない。


「うーん。興味はありますが、そこまで自由はできませんからね。でも、もしその機会があれば行ってみたいですね。その山以外にも沢山」


「この任務が終わったら、マリ様に少し話をしてみましょう」


「……」


 月光に照らされる少女は、視線をゆっくり遠くの山へと向ける。


「霊峰ということは、何か言い伝えがあるのですか?」


「まあ、少し変わった話がありまして。実際に私はあの山に行ったことがないので真実は知りませんが」


「どんな話なんですか?」


 過去に聞いた話を思い出しながらコーネリアは語る。


「死者が蘇るそうです」


 その突拍子もない言葉に、オーリエは間髪入れずに聞き返す。


「死者が? そんなことあるのですか? 蘇生魔法って確か無いって、メアリーが云っていたような気がしますが……」


「そうですね。蘇生魔法は私も聞いたことがありません。しかし、くだんの霊峰では死者が蘇るというのです。それが魔法によるものなのかどうかは定かではありませんが、実際に生き返った者がいるそうです。まあ、これも実際に確認したことがないので、眉唾の域は出ませんが……」


「もしそれが本当なら、その蘇生に関しての情報はきっとマリ様の求める情報に必要なものだと思います! 是非、その真実を見つけておきたいですね!」


 嬉々として髪の蛇が蠢き、目をきらきらさせるオーリエに、かわいいなと笑みを零すコーネリア。


「そうは言いましても、見ての通り、霊峰エンディエントまではかなりの距離があります。徒歩で行くにしても、2,3ヶ月は優に掛かるでしょう。長旅になることは必至。もし行かれるのであれば、一度マリ様に伺いを立ててからにしましょう」


「それは勿論です!」


 霊峰エンディエントまでの道は決して楽なものではない。

 その麓までは行ったことのあるコーネリアは、道中にある険しい道を記憶している。大陸の東は気候が大きく変わり、悪路と化しているところが多い。

 気軽に行けるような所ではないことを知っているからこそ、彼女はあまりあそこへ行きたがらない。

 コーネリアの旅は長く、冒険者となってから多くの土地を見てきた彼女だったが、そんな彼女の旅でも、足を踏み入れていないところがいくつかある。その一つに霊峰エンディエントがある。

 彼女にとっても未知の場所であり、興味を惹かれるものだったが、過去の苦い記憶を思うとその足取りは重くなる。


「マリ様の許可が出れば長い旅も大歓迎です! けど、少しでも早く情報を仕入れたいという気持ちもあります。悩むところです」


 眉根を寄せ困り顔をするオーリエだったが、ふと思い出したように声を漏らすと、言葉をつづけた。


「でも、ここまで来たようなペースで2、3ヶ月なら、私が走ったら、3日くらいで着くのではないでしょうか?」


「ま、まあ、確かに。オーリエ様ならそれは可能でしょうね。ですが、流石に連れ立つ者が着いていけません……」


 魔王マリを支える階層守護者であるオーリエや、他の階層守護者は、常軌を逸した身体能力と体力を持ち合わせている。それは同じ魔王マリの配下であるものでも、守護者とそうでないもので段違いの差が生まれている。

 それを知っているコーネリアだからこそ、そんな突拍子もない言葉に納得を返すことができる。


「確かにそうですね」


 月光の下、笑顔を魅せられながら静寂が流れる。


「なら、ゆっくとした長旅になりますね」


「はい」


 無垢な笑顔を見せた後、コーネリアの後方へと視線を伸ばし、優しい口調で問いかける。


「ところで、先ほどからそちらに隠れているのはどなたですか?」


 その言葉に、コーネリアが瞬時に帯剣に手を伸ばし振り返る。

 オーリエの視線の先を見据えるも、そこには何もいない。

 只、建物の壁だけが見えるだけ。暗い影の部分と月光によって照らされる部分。その明暗が分かれる壁に、彼女は視線を送り続ける。


「私は石目蛇の頭メデューサですので、隠蔽の魔法を使っていても、あなたの存在がはっきりと認知できていますから、素直に姿を現してもらえませんか?」


 そんな彼女の言葉に応えるように、影の奥からゆらりと不気味にその姿を現した。


「……っ!」


 コーネリアの声が漏れる。


「我の存在に気付くとは。やはり石目蛇の頭というのは変わっている」


 渋く籠った声。

 嚇怒する鬼の面が影の中に現れ、濡羽色に浮かぶ紅く小さな花弁が刺繍された外套をたなびかせ、静かに月光の下にその身を晒した。

 濡羽色の外套が、月光によってちらちらと桔梗色を反射させ、その異様さを際立たせる。

 胡乱な雰囲気を魅せるその者は、二人の視線を上へと持ち上げる。

 

「気づかれているなら隠れる必要もない」


 そう言葉を零す。


「何者だ!」


 抜剣したコーネリアは、その剣先を眼前の者に向ける。

 面妖な鬼の面が、いったいどこを見ているのかはわからないが、その者は動じることなく彼女の言葉に静かに返す。


「我はヒュルームの戦士。名をヴィースという」


 鬼の面は闇夜の空から不気味に見下ろした。






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