第3話 商人パウマー
商人は驚きのあまり椅子ごと後ろへと転がってしまった。
「大丈夫ですか?」
「いててて……」
背中をさすりながら、商人はゆっくりと立ち上がると、少し視線を下げたまま、少女に向く。
「いやー、気遣いありがとねー。それにしても、驚いた。まさか、石目蛇の頭が訪ねてくるとは……」
向かい合った商人の姿を、少女はまじまじと見つめる。
黒のキャスケットを被り、ふさふさの白銀の耳を生やす商人の恰好は、一式を黒に染め上げる服装で仕上がっており、膝下まで伸びるロングスカートは重みを感じる生地となっていた。所々、金色の刺繡が施され、その豪華そうな見た目と合わせて、腰のあたりに携える立派な剣が、ただの商人ではない様子を如実に表していた。
スカート奥から覗くひゅるりとのびる縞模様の尻尾。
恰好からして少女というべきだろうか。
「あなた、商人?」
キャスケットを目深に被り、目線を合わせないようにして、商人は云う。
「見ての通り。僕は正真正銘、しがない商人だよ。街道ゆく疲れた者に癒しの薬を提供する。そんな些細な商売さ」
コーネリアは商人の姿をみて尋ねる。
「その姿、
「ん? そうですが……?」
「向こう側の種族である白虎人がわざわざこちら側に来てまで商売をするなんてことがあるのか?」
「あー、そういうことか。別におかしなことじゃないよ? 今時、勢力だなんだに縛られて商売をする者なんてほとんどいない。とはいえ、危険な場所が多いとされる大陸の東側に行こうとする商人もやっぱり多くはないけどね。でも、下級商人の内はがむしゃらに働かないと名声はあがらないからね。場所なんて選んでらんないよ。かくいう僕もこうしていろんなところで商売をしているわけだ!」
少女は両手を広げて荷台の商品を見せる。
「さ、旅疲れに幾つかどうだい?」
少女の語気は跳ねる。
「ありがとう。けど、回復薬は生憎足りているのでね」
「そうか……それは残念」
首をがくりと下げる少女。
「ところで、お二人はこの後どこへ向う予定なんだい?」
「ザムスヘムです」
石眼蛇の頭の少女が答える。
「街道先の街か。しかし、ザムスヘムなんかに何の御用で? いっちゃ悪いけど、あそこは特に目が止まるほどのモノは何もない街だよ?」
「私たちは別にザムスヘムが目的ではない。あくまで途中に立ち寄る街というだけだ」
「なるほどね。なら、目的地は?」
「幻惑の森です」
そう石目蛇の頭の少女が云うと、商人の少女は眉根を寄せて言葉を詰まらせた。
「っ! なんでまたそんなところに?」
「まあ、いろいろと事情があってな」
「うー。すごく気になるけど、これ以上は無粋にあたるね。引き際は商人の命だ。では陰ながら、旅の無事を陰ながら祈るとするよ」
「ありがとうございます。あ、そういえば、名前を聞いていませんでした。伺ってもいいですか?」
「おっと、これは失礼したね」
少女はキャスケットを目深に被ったまま、軽く頭を下げて挨拶をした。
「僕は、流浪の商人。名をパウマーという。しがない商人だけど、どうぞ、お見知り置きいただけると嬉しい限りだよ」
「私はオーリエ・ベレーナ。見ての通り石目蛇の頭ですけど、主様より頂いた首飾りのお陰で、私の目を見ても石化することはありません。もしよかったら、顔を見せてもらえませんか?」
その少女の言葉に、ふとパウマーは思い出す。
確かに、石眼蛇の頭の深紅の眼を一瞬でも見てしまえば体が徐々に石になっていくというのに、パウマー自身は未だ健全だ。少女の声に起こされ、一瞬だけだが、確かに少女の目を見てしまっている。それなのにパウマーの体には異変は起きていない。それに、隣に立つ
おそるおそる目深に被ったキャスケットから視線をあげると、そこに映しだされた綺麗な顔立ちの少女と頭から生える無数の蛇。その美しい艶肌は別の意味で見た者を動かなくさせてしまう。
「これは……驚いた……」
感嘆を零すパウマー。
「こんなに綺麗な人は見たことがない。もしかして、どこかのお嬢様かい?」
パウマーは世辞で言っているわけではない。
心の底からそう思ったのだ。
世界を旅する商人であるパウマーが、今まで出会ってきた、見てきた人たちの中で一番綺麗だと思える存在だった。
「お嬢様だなんてそんな大層なものではございませんよ。私は主様に仕える従者の一人に過ぎません」
そんな少女の言葉に吃驚に声を吐くパウマー。
「貴女が従者? でも、その恰好はどうにも従者のそれではない気がするけど……」
上に羽織る外套すら、誰が見ても上等なものだと分かるほどに立派で、その下に着る服もまた瀟洒で上等そのもの。
「これは主様に頂いた大切な衣装です。私自身の所有物ではありません」
「そうなんだ……」
従者ということは十二分に理解したパウマー。
彼女の口ぶりと表情から、心の底からでる忠誠心が伝わってくる。
「てか、石眼蛇の頭の石化能力を抑えるその首飾り、魔法具なのは間違いないけど、そんな効果がある魔法具の話なんて聞いたことがないな」
「珍しいものなのですか?」
「そもそも石化能力なんてものは貴女のような
世界に一つだけの超希少なアクセサリー。
そうはいったものの、パウマーはそのものに一切の欲は湧かなかった。
希少とは云ったが、それが価値あるかはまた別の話。
需要する者がこの世界にいったいどれほどいるのか。
売れる相手が極めて限られる商品に商売は預けられない。
コレクター相手なら、高額取引ができるかもしれないが、彼女の食指は動かなかった。
「大切にしたほうがいいね」
「はい」
パウマーは闇妖精の方をじっとみる。
「君は……どこかで見たことがあるような気がするけど……」
「そうか? 私は覚えがないが。失礼、まだ名乗っていないので一応名乗らせてもらう。私はコーネリア・ヴィレンツェ。一介の冒険しゃ――」
「っ! コーネリアっ!!? あのSランク冒険者の!?」
「なるほど、そういうことか冒険者の私を知っていたと」
「最近噂を耳にしなかったけど……」
Sランク冒険者の功績や噂なんかは世界のどこにいてもいち早く流布される情報だ。
そんな冒険者の一人であるコーネリアの話が最近では一切耳にしなくなって大分経っていた。
「冒険者としての仕事は今はもうやっていないからな。噂を聞かないのも当たり前だ」
「なら、今は何をやっているんだい? 凄腕冒険者のコーネリアさんが冒険を捨ててまでやることっていったい……」
「仕える主を見つけたからだ。冒険者稼業は……正直十分になした気がする。Sランクとなり長年冒険をつづけてきたからな。資金は腐るほどにある。今さら冒険者として働く必要もないだろう。だからこそ、仕える者をみつけ傍で支えることにしたのだ。まあ、私なんかの力程度では支えにもならないがな」
「Sランク冒険者で力不足なんて、いったいどんな人に仕えたらそんな言葉がでるんだい」
コーネリアはパウマーをじっと見る。
「随分と情報を探ろうとするんだな」
「これは、失礼。僕も一応商人なんでね。情報は多いに越したことはない。どんな情報が次の商売に繋がるかわからないからね。気に障ってしまったら本当にすまない。話はここら辺にしておくよ。僕もSランク冒険者相手に下手は打てない。ま、こうしてSランク冒険者のコーネリアさんに直接会えただけで十分の収穫だ。ありがとう!」
「いや、すまない。そういうつもりで行ったわけではないが、まあ、話せる話もここまでなのは確かだ。こちらこそ、商売の邪魔をしてすまなかった。では行きましょうかオーリエ様?」
「はい」
パウマーの元を離れて街道を行く二人の旅人を眺めながら、パウマーは思う。
あのSランク冒険者であるコーネリアが従える主という存在。そして、ともに居た石目蛇の頭の少女もまた従える者がいるという。そんな従者に対して尊称をつけるということは同じ主の元にいるということと共に、あの少女とコーネリアとでもまた上下関係がされているということになる。だとすれば、あの少女はいったい何者なのだろう。
二人の姿が視界の景色に埋もれ始めた頃。
パウマーは荷馬車の荷物をしまい始め、御者台に上り手綱を握る。
「これはなかなかいい情報が入ったぞ! 早速補足情報の収集だ!」
そして、パウマーはウィルティナ方面へ荷馬車を走らせた。
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