第8話 白百合の抱擁
話し合いを終えた私は、誰も連れずに城内を歩いていた。
以前よりも城内に割く人員も増えたことで、すれ違う者も多くなった。
とはいっても、一律に皆メイドの様相をしているけれど。
そんなおり、ふと城内にある中庭が目に入った。
あまり足を踏み入れたことのないそこに、なぜか不思議と引き寄せられる。
中庭を囲うように渡される大開口な廊下を歩き、私は中庭の様子を伺う。
静寂が包むその空間に私はそっと足を踏み入れた。
多種多様な草花が咲き誇り、庭園を彩っている。
花の香りがそよぐ風に乗り私へ届く。
――いい香り。
庭園には似つかわしくない
自分のことはあまり客観視できないから何とも言えないけれど、ここに誰かいたらきっとそう感じるだろう。
私は特段こうして花をめでるということは今までの人生で一度としてしたことがなかった。
そんな私が似合わない真似をするようになったのは、この世界にきたからのこと。
この世界では今までの生活では考えられないような体験を幾度もしてきた。
仕事とは少し違った感覚ではあるけれど、何かの使命に準じて行動するということは、一種の労働を行っているに違いない。でも、以前みたいに嫌な疲労感を覚えることは、この世界に来てからは一度もなかった。
あることは存外たくさんあるけれど、なぜだか気分のいいものだった。
今思えば、こういった開放的な気持ちになれるのは、私が一番上に立っているというのも影響しているのだろう。
私にガミガミ命令するような人はここにはいない。
私の気の向くままに事をするだけ。
だからこそ、いくら忙しくてもこんなにも気持ちがいいのだろう。
私は庭園をぐるっと見て回る。
そうしていると、人影が目に映る。
――あれは……。
メイドの一人が花に水やりをしていた。
少し長めの茶髪の女性。名前は確か、バーバラ。
ポーレンドの娼館で働いてた娼婦の一人。
前職が娼婦なだけあって、その顔立ちは非常に整っている。
そんな華人が花に水やりなんて、すごく絵になる。
私の足音に気が付き、静かに視線を向けてくると、直ぐに姿勢を正して深々と頭を下げた。
「構わないで。そのまま続けててちょうだい」
「かしこまりました」
バーバラは手にもつ金属製の水差しを傾けて再び花壇に水をやり始めた。
この城内の庭園は結構広い。
そんな広い所の管理を今は彼女が担当しているのだろうか?
なかなかに大変そうだ。
私は少しの間、彼女の仕事ぶりを観察することにした。
彼女たちがここへきてからそれほど時間が経ったとは言えないけれど、大分慣れているようだった。辺境の、見知らぬ土地の見知らぬ主に仕えることに、木と何かしらの不安はあったに違いない。でも、今はそういった表情はほとんど見ない。
きっとそれは、彼女たちにとってもここでの生活が住みやすいものになってきた証拠だろう。
「マリ様」
「なにかしら?」
不意にバーバラが口を開く。
「そんなにじっと見られてしまいますと、緊張してしまいます……」
少し耳を赤く染める彼女の言葉で、私ははたと気づく。
――そりゃーそうだよね。私も嫌だわ。
「そうよね。気が散ってしまうわ。ごめんなさい。なら私は別のところに行くとするわ。既に作業を終えたところはあるかしら?」
既に作業を終えたところなら彼女と再び鉢合わせることもない。
「それでしたら、西側のエリアは作業を終えていますので問題ないかと思います」
「分かったわ。邪魔したわ」
私は少しだけ足早にその場を離れた。
彼女の云った西側に向かうと、そこには白一色の景色が広がっていた。
――これは、百合の花?
――こんなにも沢山咲いているなんて。
花を満遍なく咲かせる百合の花壇が広がり、一面を染め上げていた。
そんな百合の花に囲まれた場所に白く彩られたパーゴラが佇んでいて、私の足はそこへ向かっていく。
パーゴラの中には円形テーブルと椅子が二席置かれていた。
何も考えずに私はその置かれた椅子に座り、パーゴラの中から庭園を覗く。
ここからではバーバラの姿は見えない。
静寂と花の香りに包まれる中、私はそっと目を閉じる。
ゆっくりと水に溶けるように心が落ち着いていく。
そうして私はしばらくの間そのままでいることにした。
ただ眼を閉じているだけなはずなのに、こんなにも寛げる者なのだろうかと疑問に思ってしまうも、そんなことなどどうでもいいやと思ってしまうほどに、深く、深く私の意識は沈んでいく。
いったいどれくらい目を閉じていたのだろう。
少しの間意識が完全になくなったときがあった気がするけれど。
もしかしたら寝てしまっていたかもしれない。
それほどまでにここの癒し力はすごい。
――いけない。このままこうしているわけにはいかないわ。
――休憩は終わりにして、さっき話し合った件を整理しなくちゃ。
たった数分間の休息でも、思いのほか十二分に休まった気がする。
いつまでもこうしていたいという欲は非常にあるけれど、そうはしていられない。
こんなところでのんびりと寛いでいるのを配下たちに見られれば示しがつかないわ。
少しくらいなら彼女たちも赦してくれるだろうけれど、それに甘えてしまってはいけない。
私は自分自身に鞭をうち、静かに重い瞼をもちあげる。
そこには吸い込まれそうなほどまっすぐにこちらを見つめる二つのアメジストの瞳が映る。
――ちかっ!
椅子に座った状態の私はそれよりも後ろに交代することができないので、その場で現状把握に努めなければいけなかったけれど、それは向こうが身を引いてくれたおかげでしなずに済んだ。
「ハルメナ!?」
そこにいたのは漆黒の羽を腰から生やしたサキュバスのハルメナだった。
「お目覚めですか?」
「いつからそこに?」
「いつからといわれると正確な時間まではわかりかねますが、十分ほどでしょうか? マリ様と少しお話をと思い探していたところ、中庭で休息をとっているマリ様を発見したもので、すぐに来たのですが気持ちよさそうに目を閉じていらしたので、少しばかり私にできる助力をしていました」
「助力?」
「私は
やけに心地いいと思ったら彼女の力だったのか。
「驚くほどスッキリしたわ。ありがとう」
「それはよかったです」
「ところで、その夢の干渉ってどうやっておこなうの?」
単純な疑問だった。
こう、額を合わせて行うようなものなのだろうか?
それとも距離をおいても、相手の夢に干渉できるものなのか。
疑問と興味の元、私は彼女に訊いた。
すると、彼女は少し口角を吊り上げて妖艶に笑う。
「私は淫魔ですよ?」
百合の花を背に笑う彼女は、何とも筆舌に尽くし難いものだった。
そんなハルメナだったが、表情を一転させて真剣な面持ちで話し始める。
「マリ様にお伝えしたいことがございます」
彼女のその真剣なまなざしに私はドキリとした。
ただならぬ事態がこのダンジョンに訪れたのか?
そう悟らざるを得ないものだった。
その鬼気迫る彼女の強い視線。
私は生唾を飲み彼女に訊く。
「いったい何があったの?」
間髪を入れて、ハルメナは答える。
「愛を、頂きたいのです!」
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