【三人称視点】天啓の救済の大聖女と正教会⑥

 ミンティス歴2030年 8月22日 場所ミンティス教国、スギュヌの町、教会(教派:ミント正教会、宗派:セペァジャ派)


 ユーゼフが姿を消してから二日が経過した。

 流石のカタリナ達も不審に思い、ユーゼフの捜索を開始した。


「……ユーゼフがいつも法術の鍛錬をしている近辺で聞き込みを行ってきたが、特に大きな情報は見つからなかった。……ただ、二日前も法術の練習をしていたらしい。しかし、昨日はユーゼフの姿を見ていないようだ」


 ユリシーナの方には特にこれといった情報は無かった。

 ただ、昨日はその姿を見ていないということは、何かあったとすれば二日前の練習後ということになる。


「俺はスギュヌの町の情報屋に依頼して調べてもらったが、あんまりいい情報は得られなかったな。……分かったのは冒険者ギルドに立ち寄ったってことだが、長時間滞在せずにすぐに出て行ったらしいから、あんまり事件には関係なさそうだな。そっからの足取りは不明だ」


 ゼルガドは、スギュヌの町の情報屋に依頼するという一番確実な方法を選んだ。

 だが、掴めたのは冒険者ギルドまでの足取り……その先の情報を得ることはできなかった。


「ゼルガド様は冒険者ギルドにも足を運んでいたのですね? 実は私も真っ先にそこを疑い、応対した受付嬢に話を聞いたのですが……」


「……マジか。じゃあ、俺が払った依頼料は無駄だったってことかよ」


 ゼルガドが情報屋に依頼して到達した冒険者ギルドをカタリナは最初から標的に選んでいたという事実を知り、ゼルガドは衝撃を受けた。

 自分が行っていた捜査が全て無駄だったと言外に言われたようなものである。


「その結果、興味深い話が聞けました。『手っ取り早く強くなりたいんです。何か方法はありませんか?』……切迫していたようです」


「……何となく気持ちは分かるぜ、ユーゼフ。まあ、今回の件には俺らにも責任があるけどよ」


 ユーゼフは、あの旅で自らの弱さを実感したのだろう。


 ユーゼフは間違いなくカタリナに想いを寄せている。そして、好きな女の子の前で格好をつけたくなるのが男というものだ。

 そのために力を求めた。しかし、研鑽という過程を経ずに強くなれるような虫のいい話など存在しない。


「……でも、そんな都合のいい話が無いってことをユーゼフは実感したんじゃないのか? なら、何で戻って来ていないんだ?」


 そんな都合のいい話はないことを、聡明なユーゼフが理解しない筈がない。理解したくないと思っていても心の奥では理解している筈だ。

 それならば、何故帰ってこないのか。大好きなカタリナを置き去りにしてまでユーゼフは何をしているのか。


(……お前の大好きな人カタリナに心配を掛けてまで、お前は一体何をしたいんだ! ユーゼフ!!)


 ゼルガドは心の中で、生真面目な聖職者の少年に激しい憤懣をぶつけた。



 ミンティス歴2030年 8月25日 場所ミンティス教国、スギュヌの町、教会(教派:ミント正教会、宗派:セペァジャ派)


 ユーゼフ失踪事件に進展があったのは、それから三日後の話だった。

 教会に一通の手紙が届いたのだ。


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カタリナへ


 ご心配をおかけしてすみません。今、町外れの屋敷にいます。


                ユーゼフ

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「……ユーゼフから手紙が届いたってのは本当か?」


「はい、さっきポストを調べたら入っていました」


「……なるほど。しかし、これは」


「かなり怪しいですね」


 カタリナ達の見解は一致していた。


 屋敷にいるという状況は書いてあるが、その上で何かをして欲しいとは一言も書いていない。これでは、助けて欲しいのか、放っておいて欲しいのか分からない。


 そもそも、これが果たしてユーゼフが書いたものなのか? 簡素なこの手紙は誘拐犯が書いたものかもしれない。

 目的は、カタリナ達を誘い込むことか? もし、犯人がユーゼフを餌にカタリナ達を誘い込もうとしているのであれば、何か罠が仕掛けられている可能性もある。


「ですが、例え罠だとしても助けに行かない訳にはいきません。ユーゼフ様は大切な仲間ですから」


 カタリナは聖女ラ・ピュセルの人物像に相応しい、仲間を第一に考える意思の篭った言葉を口にした。

 ……しかし。


 ゼルガドはその言葉に違和感を感じた。

 カタリナの表情や言葉があまりにも計算し尽くされているもののように思えたのだ。まるで、誰からも慕われる聖女ラ・ピュセルを演じているかのように。


(……まあ、人間ってのはみんな自分の役を演じているところがある。聖女ラ・ピュセルだから、このような人格でなければならない――そういう固定観念が存在している。ミント教徒が求める聖女ラ・ピュセルの姿に少しでも近づこうと頑張っているのかもしれないな)


 このカタリナという人物について、ゼルガドが知っていることは少ない。

 女神ミントに聖女ラ・ピュセルとして世界を救うことを求められたこの少女が、本当はどんな人物なのか分からない。


 聖女ラ・ピュセルの仮面を取り払った彼女は、普通の女の子となんら変わらないのかもしれない。そんな彼女に聖女ラ・ピュセルであることを、理想を押し付けたのは他ならぬミント教徒達だ。


(……彼女は被害者なのかもしれないな)


 天真爛漫で居られた少女時代を捨て、皆が求める偶像アイドルであることを強要される――そんな彼女がどれほどの重責を背負いながら、笑みを湛えているのか、ゼルガドには想像がつかない。


 一番精神的に大人なのは目の前の少女なのかもしれないと感じるのと同時に、誰よりも早く大人にならなければならなかった少女に、ゼルガドは哀れみを感じた。



 カタリナ達は装備を整え、手紙に記されていたボロボロの屋敷に向かった。


「うふふ、よく来たわね。さあ、上がって」


 そこで応対したのは予想外の人物だった。ユリシーナとゼルガドは、その人物が何者かを知っている。


 かつての同志――リコリス教の枢機卿ペトロニーラ。


「何故、貴女が!」


「そういえば、ユリシーナはミント教に改宗したのよね? 悲しかったわ。アタシ、アナタのこと好きだったのよ。その辺りのことも後でお話しを聞かせてくれないかしら? それよりも、アナタ達の用事は仲間のことでしょう? 中で待っているわ」


 ユリシーナが苦手意識を感じていた同性愛者のペトロニーラ。

 その彼女が何故、ユーゼフのことを知っているのか。そして、目的は一体何なのか? ユリシーナは嫌な予感を感じていた。


 ユーゼフは、案内された部屋の椅子に座っていた。

 一見するといつもと変わらないユーゼフのようだが、ただ一箇所――その目から光が消え失せている。


「――ユーゼフ!!」


「……待ってください。これは、罠です」


 真っ先にユーゼフに駆け寄ろうとしたゼルガドをカタリナが止めた。


「酷いなぁ、カタリナさん。僕は強くなったのに。カタリナさんの力になれるように強くなったのに。そんな目を向けるなんて」


 明らかに言葉が通じる状況ではない。まるで、洗脳でもされているようだ。

 譫言のように呟くその姿は、まるで幽鬼。


 これが、女の子一人を守るために力を求めた男の末路かと思うと、ゼルガドは遣る瀬無い気持ちになる。


「僕の力、見せてあげるよ。くす、やっと、やっとだよ。ようやく、見せてあげられる」


 ユーゼフは、艶っぽい動きでペンダントを撫でた。瞬間、ユーゼフを黒い闇が呑み込み、その姿を変質させる。


 その背に漆黒の翼を持つ堕ちた天使。ゴシックロリータを身に纏った、ピスクドールのような黒髪美少女が、微笑を浮かべた。


「……ちっ、どうなっていやがる! あれは、本当にユーゼフなのか?」


「そうよ? 可愛い可愛い女の子になっているけど、間違いなくユーゼフよ。彼、いえ、彼女は生まれ変わったの。大切な人を守れる存在に。……まあ、その大切な人が誰なのか分からなくなっているみたいだけど。……そうそう、言い忘れていたけど、あのペンダントは壊さない方がいいわよ」


「ソウ●ジェム……みたいなものですね。魂を抜き取ることで、脆弱な肉体よりも強力な魔法少女へと変化させる。それまでの肉体は外付けハードディスクのようになり、本体であるペンダントが壊されない限り死なないゾンビのような存在へと変化する……そんなところでしょうか?」


「……さあ、そこまでは。よく知っているわね」


「この程度、一般教養ですよ?」


 どこの一般教養だ! と突っ込みたくなる三人。


「……まさか、カタリナ様は日本とかいう国からの転生者リンカーネーターなのか!?」


「ゼルガド様、それは秘密です。女は秘密を着飾って美しくなるものなのですよ」


 唇に指を当てながら軽くウィンクするカタリナは妖艶で、ゼルガドは思わず見惚れてしまった。


「……うふふ、つくづくムカつく女ね。ユリシーナも、あの女に絆されちゃったのかしら?」


「私にレズっ気はない!! ……た、確かにカタリナ様は同性から見ても魅力的だが」


「ムカつくわ!! アタシのユリシーナを奪った女狐! すぐに本性を暴いてあげるわ!! ……ついでに、ゼルガド。アンタも殺してあげる。アナタ、ユリシーナと仲がいいものね」


「な、なんで俺まで巻き添え!?」


 ここまで暴走してしまった以上、最早ペトロニーラを止める手立ては存在しない。


「ユリシーナ様、ゼルガド様。その人のことはよろしくお願い致します。……私は、ユーゼフ様の目を覚ましてきます」


「アハハ、そんなこと無理よ! 無理だわ!! 愛の力? そんな御伽噺の魔法ではもうユーゼフを止められないのよ。ああ、素晴らしいヤンデレ属性。ゾクゾクするわ」


 快感に身悶えするペトロニーラをゼルガドとユリシーナに任せ、カタリナは単身でユーゼフと対峙した。


「――見てよ。もっと見てよ。強くなったんだよ、カタリナさん!!」


 手に現れた二本の黒剣を翼のように広げ、堕天して黒く染まった翼をはためかせてカタリナに迫るユーゼフ。


「〝光の剣よ〟――〝光剣ライトオブセイバー〟」


 カタリナは素早く呪文を詠唱し、二本の剣を生み出すと、ゼルガドの剣をはじき返した。

 大切な仲間を殺す訳にはいかない。カタリナは圧倒的な戦闘力を持つ神器ではなく、自前の魔法だけで戦うつもりだった。


「――堕天比翼・六連剣」


 ユーゼフの漆黒の剣が斬線を描く。その動きは戦闘経験がない聖職者のものとは思えない、歴戦の戦士のそれだった。


 カタリナの光の剣が砕かれる。これは、腕の問題ではなく、剣自体の強度によるものだ。


 カタリナの剣技はミンティス教国のどの勇者にも引けを取らないものだ。実際、折れた剣を捨て、新たな光の剣を生み出してユーゼフの一刀一刀を防ぐその一連の動きは、一切の無駄が削り取られており、神技という以外に形容できないほど洗練されており、彼女が聖女ラ・ピュセルであることを忘れてしまう。


 ユーゼフは確かに強くなった。しかし、その力は尚もカタリナに大きく劣っている。

 そんな実力差でも今なおユーゼフが優勢の状態を維持しているのは、カタリナがユーゼフを殺さないように手心を加えているからである。


 ユーゼフはその事実に気づかない。自分がカタリナに優っていることを知り、「自分以外にカタリナを守れる者はいない」と自信を強めていく。


 生殺与奪をあえて放棄したのがカタリナの慈悲だということに気づかず、優越感に浸るユーゼフを、彼が本当は純粋ピュアな心を持つ少年であることを知るゼルガドは遣る瀬無い気持ちで見ていた。


「余所見している時間はないわよ! ――出でよ、魔精霊シャドウ・ドラクル!!」


 ペトロニーラの足元の影が蠢き、中から黒い精霊騎士が現れる。


 精霊と偏にいっても様々な種類がある。


 一つは火、水、風、土、光の五属性を持つ“精霊王”を頂点とする精霊の体系。


 一つは、邪精霊と呼ばれる精霊との親和性が高い者に憑依することで力を得るタイプの精霊の体系。彼らは宿主がいなければ顕現できず消滅してしまうという致命的な弱点を抱えている。


 一つは、魔精霊。他の精霊とは隔絶した強さを持つ代わりに、一切の制御が効かない存在である。呼び出すことはできるが制御が効かないため、最悪の場合は術者を攻撃することもある。


 魔精霊を呼び出し使役する精霊使いはほとんどいない。だが、ペトロニーラだけは別だ。


「暴走せよ! 【精潰愚力】」


 ペトロニーラは端から魔精霊を制御しようとは考えていなかった。寧ろその逆――全力で暴走させに掛かったのである。

 【精潰愚力】と呼ばれる精霊の力を限界まで絞りつくし、触れた精霊を狂乱、暴走させる天罰のようなスキルによって。


 ペトロニーラは【精霊に嫌われた精霊使い】と呼ばれていた。

 普通の精霊は彼女に触れられるだけで……酷い場合は近くにいるだけで狂乱してしまう。

 そんな彼女は、最初から制御の効かない精霊を扱うようになる。それが、今のペトロニーラの戦術――【精潰愚力】と魔精霊のコンビネーションだ。


 その力は凄まじいの一言に尽きた。ペトロニーラがリコリス教の枢機卿に至れたのは、偏にこのコンボがあったからだと本人も自覚している。


 幼少期――精霊を見ることができながら、決して触れられないことを嘆いていた少女の悲しき力が結果的に彼女の出世を助けたというのは皮肉な話だ。


 ――万天分かつ陰陽 天より降りし雨は地に落ち 地より昇りし蒸気は天へと還る


 ――即ち陰陽とは對を成し 循環する森羅万象 世界の条理


 ――生々流転 陰の気と交わりて生まれ落ちた命 陽の気のみとなりて天に昇る


 ――輪廻転生 陽のみとなりし魂 陰なる魄のみとなりて生まれ出づる


 ――神産みの最期に生まれし炎の神 其は母殺しの神にして 多くの恵み齎せし者


 ――今こそ我が呼び掛けに応じ 条理崩れし世界を救え 焱神の宿し爀焔の刀剣ヒノカグツチ!!


 その魔精霊シャドウ・ドラクルが焼き払われるまで、実に十秒足らず。

 一瞬にして切り札を失ったペトロニーラは、そのまま焱神の宿し爀焔の刀剣ヒノカグツチを仕舞い、ユーゼフとの戦いに戻るカタリナに戦慄を覚えた。


(――まさか、戦いながら仲間の援護までするなんて! それに、【精潰愚力】を使って強化した魔精霊シャドウ・ドラクルを一瞬で!!)


 カタリナはそれ以上の追撃を加えて来なかった。しかし、もし仮に追撃を受けていればペトロニーラは殺されていただろう。


 ペトロニーラは大切なユリシーナを取り返したかっただけだ。

 そして、そのための力を貰い受けた筈だった。

 しかし、実際は聖女ラ・ピュセルに舐めプとすら思える戦い方をされ、その状況下であっても全く勝ちが見えずにいる。


「アタシは、ただユリシーナを取り戻したかっただけなのに! どうしてこんなことをするのよ!!」


 ペトロニーラは、その怒りをカタリナに向けるが、カタリナはそれを柳のように往なし、確実にユーゼフの打てる手を減らしていく。


「――堕天比翼・暗黒士無双」


 ユーゼフの剣に闇が宿る。瞬間、黒い嵐の如き斬撃がカタリナを襲った。


「――《流星之煌嵐スターライトストーム》」


 カタリナも対抗するように二十八連攻撃を放つ。

 白と黒の斬線がコントラストを作り出し、荘厳な光景を生み出した。


「ぅぅ……」


 その美しき戦いにも終わりがある。


 ――ピキ、ピキ、ピキ………………カギリーン。


 ユーゼフの剣が遂に攻撃に耐えられず、ヒビが入り自壊する。

 それまでにカタリナの光剣は二十本折れているが、ユーゼフの剣が崩壊したのはこれが初だった。


「――ユーゼフ君、目を覚ましてください!!」


 必死の呼び掛けが通じたのか遂にユーゼフに届いたのか、その目に光が僅かに戻った。


「……かた、りな、さま……いったい、なにが……」


 ユーゼフは現状を理解できず、目の前の武器を構えるカタリナの姿を、次に自分の姿を確認し――。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜―ッ!!」


 蘇ってくるカタリナとの戦いの記憶。大切な人に剣を向けてしまったことを理解したユーゼフは、激しく慟哭した。

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