【榊翠雨視点】逃走と戦闘と蹂躙と襲来――黒装束と陰陽導師の夢幻結界

 異世界生活十日目 場所ウィランテ大山脈、常夜の大樹林


 マシュー達異端審問官達は突然放たれた光によって一時的に視力を奪われた。

 その隙をつき、僕は常夜の大樹林の入り口を目指してひた走る。

 体力の減りはそこまでじゃないが、このまま逃げられるとも思えない。……どこかで連中を撒いた方が良さそうだな。


 と、前方から新たに異端審問官の人影が現れた。幸いこっちに気づいてはいなさそうだが……これはマズイな。包囲網が築かれつつある。


 異端審問官どもを斬って逃げるか? だが、もし異端審問官が魔族と通じていなければ無実のものを殺したことになり……まあ、僕が悪者ってことになる。

 向こうに大義名分を与えてしまうのは愚策だ。あくまで僕は被害者だということを強調しなければならない。……殺した方が楽なんだけどな。

 異世界に来てから思考が物騒になっている気がする。人の命を損得勘定の天秤に乗せてしまう……きっとそうならなければこの世界では生きていけないんだと思う。魔族も人間も一つの命を持つものだ。敵だから命を奪っていいというのは、そもそも倫理的に考えれば間違っている。


 異端審問官の人影が通り過ぎるのを確認し、草叢を出て走る。

 ……ちっ、人数が多過ぎる。巡回の頻度も上がっている……このままではマズイな。


 草叢に篭り、神経を集中させる。感知スキルを全開にし、レーダーのような役割を果たさせると、波紋状のように包囲網が張り巡らされてしまっているのが分かった。

 ……ん? こっちに近づいてくる人影がある?


 鞘から聖濫煌剣アイリシュベルグを引き抜き、近づいてくる足音に集中する。

 そして、そのまま刃を半円を描くように動かそうとし――。


「あばばばば! す、翠雨様! ぼ、僕です、オーエンです!!」


 そこには、刃を首筋に突き立てられたオーエンの姿があった。


「……オーエン様、なんでここにいるんですか?」


「何故って、翠雨様を助けるためですよ。そのために、僕、命からがら脱出してきたんです」


「そ、それはありがとう。……す、凄いね」


 しかし、これはマズイ状況だ。そもそも異端審問官達から逃げ出すのは容易なことじゃないし、草叢に居た僕を的確に発見したのが偶然と言われても納得ができない。


「……ところで、どうして僕の居場所が分かったんだい?」


「えっ、そ、それは。か、勘ですよ」


 ……コイツ、言い訳を考えてなかったな。



【三人称視点】


「ほ、報告致します! 現在、勇者ブレイヴ翠雨は森の中を逃走中、未だ発見には至っておりません!!」


 震えの混ざった声で報告しているのは異端審問官のマシュー。

 その前には黒い装束を纏った男女合わせて二十人と、黒の巫女服風衣装の上から純白のローブを身に纏った少女の姿があった。


「取り逃がしきな。元よりそこより信用せばあらず。翠雨の位置は補足せり。我の手の功績なり」


 どうやら、少女の部下が翠雨の位置を捕捉しているようだ。

 それを聞いてマシューは安堵するとともに、自分達異端審問官が全くと言っていいほど信用されていなかったという事実に激しい絶望を抱く。


 マシューは二回りも年が離れている少女に頭が上がらないことに、特に羞恥心を覚えることはない。

 ミント正教会が年功序列ではなく実力主義であることは勿論だが、それ以上に彼女が雲の上の存在であることを嫌という程理解させられているのである。


 隠法騎士修道会騎士団長、ジューリア=コルゥシカ。

 この少女は陰陽術と巫術という奇怪にして稀有な力を持つ。隠密としての能力は部下に大きく劣るが、その戦闘力は他の騎士団長に比べて圧倒的に高く、ミント正教会の秘蔵っ子などと言われることもあるそうだ。

 その性質上、ほとんど外に出ることはなく、マシュー自身会ったのはこれが初めてだ。

 だが、一目見た時に感じられる圧倒的風格は彼女が強者であることを嫌というほど思い知らせる。


「しかし……本当にあの少年は魔族と通じているのでしょうか?」


 ミント正教会そのものを疑うようなマシューの言葉にジューリアの背後に控えていた隠法騎士修道会……通称暗部に所属するCode name No.05とCode name No.09が不可視の速度でマシューの首に刃をつけるが、ジューリアが合図したことで刃が鞘に戻され、緊張状態が解除される。


「……分からぬ。さればミント正教会に降りし神託には魔族などという単語なければ」


 つまり、マシューは内容を拡大解釈し、魔族と繋がっているという結論に達してしまったということなのだろう。


「神託には翠雨が世界を滅ぼす可能性を秘めし存在なりといふのみありき。そこからの解釈は我らに委ねらる。汝はそれを人間の世界を滅ぼす魔族と繋がりを持つ存在なりと捉えけむ?」


 世界を滅ぼす存在は、世界を生み出した神にとって敵対する存在――つまり神敵。

 マシューはそれを人間や世界の創造主たる世界神ミントに敵対する存在である魔族と繋がりを持つ存在と捉えた。その方法論は筋が通っているように見えるが、実際に翠雨が魔族と関係を持っている可能性が低いことが明らかになっている。


 まあ、魔族と関係を持っているか持っていないかは関係ない。翠雨がいずれ世界を滅ぼす存在なら、それを止めるのは神託を受けたミント正教会の者達だ。

 今まで通り任務を遂行する。そこに、変化はない。


「異端審問官はいま帰りたまへ。ここよりは我ら隠法騎士修道会が担当す」


 きっぱりと帰還命令を下したジューリアに、マシューは口惜しそうな表情を浮かべながら仲間達と共に常夜の大樹林を去った。



 探知スキルを発動し続けていた僕は、人間の反応が大きく減ったことに気づいた。

 包囲網もほとんど消滅している。……異端審問官達がなんらかの理由で撤退したのだろうか?

 しかし、まだ人間の気配が消えた訳ではない。


 僕は周囲の気配とオーエンの一挙手一投足に気を配りながら、草叢から草叢へと移動……ではなく、全速力で走っている。

 もう、敵に位置がバレているのは明らかだ。その敵が何者か、今のところ情報が少な過ぎて分からないが、やり方が今までと違うことから考えて異端審問会とは別のグループだと考えた方がいいだろう。……そして、恐らく相手は異端審問会以上の敵だ。


「ちょ、ちょっと待ってください! なんでそんなに走るんですか! もう隠れなくてもいいんですか!!」


 息を切らせたオーエンがゼエゼエ言いながら僕の後を追ってくる。


「人数が減って包囲網が崩れたみたいだ。今なら逃げられるかもしれない」


 と、オーエンが敵と通じている可能性を考えていることを微塵も感じさせず、そう返しながら森の入り口を目指す。

 ……そろそろの筈だが。あっ、見えた!!


 ……しかし、入り口を塞ぐように複数の敵影あり。

 黒装束に身を包んだ男女……忍者とかくノ一とかそんなところか? ここって異世界だよね! なんで和風な奴らがいるんだ!?

 暗殺に長けた始末屋といったところか。闇から闇に葬る連中だから、当然戦い慣れている。しかも魔法や剣といった一つの技術のみに頼らず、多種多様な技で変幻自在の攻撃を仕掛ける――面倒くさいことこの上ない!!


 小細工なしに突撃しながら鞘から聖濫煌剣アイリシュベルグを抜き払う。


「〝真紅の炎よ、槍となって貫け〟――〝火炎槍フレイムランス〟」


「〝風よ、刃となれ〟――〝風刃エアブレイド〟」


「〝土よ、突き刺せ〟――〝土針山アース・ランスフィクス〟」


「〝雷よ、球となって襲い掛かれ〟――〝雷球サンダーボール〟」


 炎槍が、風の刃が、雷球が次々と僕に襲いかかる。そして、地面からは岩の針が生まれて僕の体を貫こうとする。


(〝風よ、吹け〟――〝風生成ウィンドブレス〟)


(〝煮え滾る溶岩マグマよ。壁となって我に迫る脅威を砕け〟――〝溶岩壁ラヴァウォール〟)


 風を生成すると同時に爆発され、瞬時に後方に飛びながら、瞬時に溶岩の防壁を展開し、魔法を防ぐ。


「No.04、No.07は法術で攻めろ。No.02、No.06、No.15は俺と一緒に来い!」


 どうやら敵はコードネームで互いを呼び合うらしい。

 敵の情報を特定するのは難しそうだ……まあ、特定したところでそれがなんだっていうことなんだけど。


 No.02、No.06、No.15と呼ばれた者達は司令塔の男と共に一気に加速――そのまま僕に大きく接近する。

 黒塗りの双剣を持つ女を薙ぎ払いで吹き飛ばし、近距離から黒塗りの短刀を投擲した男を〝風大砲エアカノン〟で短刀諸共吹き飛ばし、錘のついた鉄鎖チェインを振り回す大男の足元に〝蔓蔦操作アイビーコントロール〟で草結びの罠を作成し、転ばせると共に蔓で拘束する。


(〝雷よ、球となって襲い掛かれ〟――〝雷球サンダーボール〟)


 【無詠唱魔法】を発動し生成した二つの雷球をNo.04とNo.07と呼ばれた男女に向けて放つ。

 威力を弱めて放ったおかげか、二人の命を奪うには至らなかった。


「……どうした? 何故手加減する? もしや、殺せぬという訳ではなかろう?」


 殺さなければ死ぬ……そんなことは分かっている。

 だけど頭で分かっていても人を殺そうとすれば途端に全身が震え、呼吸が早まり、動けなくなる。


 魔獣は数多く殺した。それができたのは相手が異形の存在――人間と掛け離れた存在だったからだ。

 だが、人に近い姿をしていれば、途端に命を奪うことが恐ろしくなる。


 魔族も人間と似た姿なら、きっといずれ同じ発作に襲われていただろう。

 魔族も人間も姿は違えど同じ命――その当たり前の事実を見て見ぬ振りしていたことに気づかされ、僕は自分の感覚が麻痺していたことに戦慄を覚えた。


「……綺麗ごとだけでは生きていけない世界か。そうだよな。……一度経験すれば、もう戻れない。この世界から元の世界に――地球に帰っても命を奪ったことは、その手が血塗れになったという事実は決して消えない。それでも、僕は元の世界に帰るために戦わないといけないんだ。死にたくなければ血塗れになれ……僕はその言葉を受け取りながら、そのための覚悟を決められていなかった。――だけど、それももう終わりだ。僕はお前らの死体を越えていく」


 聖濫煌剣アイリシュベルグを正眼で構える。

 司令塔――No.01達はそれが勇者ブレイヴのみに与えられた必殺技の準備であることに気づき、咄嗟に退避しようとする。


「全天で最も輝く星の輝きよ、我が正義の心に宿りて、悪に堕ちたる愚鈍を断罪せよ――《全天焼き焦がす煌明セイリオス》」


 だが、時既に遅し――収束することなく放たれた青い奔流が森の木々や草花諸共黒装束の者達を吹き飛ばした。



「だ、大丈夫ですか! 翠雨様!!」


 聖濫煌剣アイリシュベルグを鞘に納め、駆け寄ってくるオーエンに正対する。


「…………オーエン様。君は一体何者なんだい?」


 いつでも【無詠唱魔法】を発動できるように態勢を整え、僕はそう切り出した。


「翠雨様、何を言っているんですか? 僕はオーエン=ユリックノーマン、ミント正教会聖法騎士修道会所属の法術師です。そのことは翠雨様もよくご存知ですよね?」


 困惑した表情を浮かべるオーエンの額からは汗が噴き出している。


「オーエン=ユリックノーマン……使い古された名前だな。Ulick Norman Owen……これは、アガサ・クリスティーの長編推理小説『そして誰もいなくなった』の犯人が用いた偽名で、UNKNOWN――何者とも判らぬ者を表す。……まあ、異世界だから元ネタは通用しないだろうけど。偽名だろ? それ?」


 オーエン(仮)は何も答えない。……黙秘か。

 まあ、推理はまだ終わっていないんだけど。


「僕が草叢に隠れていた時、君は瞬時に僕の場所を探し当てた。……でも、それはおかしくないか? 僕の居場所を連れて行かれた君が知る筈がない。少しは探す素振りを見せてもいい筈だ」


「……いつから気づいていたんですか?」


 ポンコツの気配を完全に消し去り、氷のように冷たい視線を向けるオーエン(仮)は僕にそう尋ねた。


「えっと、最初から? 名前ネタは最初から分かっていたから、なんとなく怪しいなって思っていたし。それに、メンバーを三派に分ける時点でもう誰かを暗殺する気満々って感じだし。……そりゃ、警戒するよね?」


「ははは……つまり僕は最初から翠雨サマに目をつけられていたということですか。そりゃ、無理だ。無理ゲーだ。あ〜あ、ヌルゲーだと思ったんだけどな、今回の任務」


 オーエン(仮)はガックリと肩を落としたが、まだその眼には刃のように鋭い殺意が込められている。


「というか、オーエン(仮)。君は自分で自分の立場を明かしていたじゃないか?」


「……オーエン(仮)はやめて下さい。僕はアンリ=ボゲ……面倒ならNo.13とでも呼んでください。…………それで、僕はいつ自分がスパイだって明かしましたか?」


「『例え、どんな手を使っても・・・・・・・・・家族を守る』……あれって、つまり家族を守るためならどんなことでもするって、言葉通りの意味なんだろ? もし、その天秤に僕の命が乗ったらアンリ様は僕を殺す――そういう意味だと解釈できるよね?」


「……あはは、翠雨サマは色眼鏡を掛けて僕のことを見ていたんですね。だからこそ、あの言葉をそう解釈した。……先入観をもってものを見ることは普通ならば悪い結果しか生みませんが、こういう例外もあるのですね?」


 アンリは杖の真ん中から開け、中から漆黒の刃を取り出した。

 上半分の鞘部分を捨て、忍刀のように構える。


「……戦うのか? 既に決着はついているように思えるが」


「そうですね。確かにさっき吹き飛ばされたSingle Numberに比べたら僕はまだまだひよっこです。そんなSingle Numberを軒並み吹き飛ばすことができる翠雨サマと戦えば勝ち目なんてゼロです。……でも、見逃してくれないんでしょ?」


「……怖くないのか?」


「そりゃ怖いですよ。翠雨サマの強さは英雄級なのですから。……でも、逃げる訳にはいきません。ここで逃げたら家族を養えませんから。…………翠雨サマ。大切な者を守ろうとする人は強いんですよ。自分の命を護ろうとはしませんから。僕の命の炎で、翠雨サマに一矢報いてみせます!!」


 アンリの姿が二重にブレる。そして、次の瞬間には目の前にアンリの姿があった。……【縮地】か。


(〝真紅の炎よ、槍となって貫け〟――〝火炎槍フレイムランス〟)


 手加減する気は更々ない。一切の加減なく致死レベルの炎槍をアンリの背後に出現させる。

 と、同時に聖濫煌剣アイリシュベルグを鞘から引き抜き、斬撃を繰り出した際に筋肉の収縮を連続で行うことで発生する衝撃波を武器を通して相手に叩きこむ〈剣技シュウェルテクニック衝毒ノ浸透アイネン・ショック・ギーブン〉を使用――アンリの漆黒の刃を通して衝撃を仕込み剣を持つ右手に流した。


 アンリは刃を落とし掛けるが、左手でキャッチし、そのまま下から上に斬り上げる【逆風】を放ってくる。

 その攻撃を僕は到底避けられそうになかった――だから。


 ――パキッ。


 音を立ててアンリの持つ刃が砕け散る。刃は僕の鎧に傷一つつけることさえ敵わず、その武器としての価値を完全に失った。


「【魔力纏】で鎧の外側を守っていたんですね」


 アンリの刃は僕の鎧を貫通し得た。にも拘わらず刃が僕の鎧を通せなかったのは、偏に発動しておいた【魔力纏】のおかげである。

 全身に纏わせておいた魔力の鎧が、風の鎧のように不可視の防御となったのだ……【魔力纏】、持ってて良かったな。


 そして、炎槍がアンリの背後から襲い掛かる。

 完全に僕だけに集中していたアンリはその攻撃に気づく間も無く全身を焼き尽くされ、無惨な焼死体へと姿を変えた。



【三人称視点】


「No.13もロストせめり」


 感情の伴わない声音でジューリアは、呟くように言った。

 その言葉にNo.05とNo.09も動揺の表情を見せない……見せないが、内心では激しく困惑していた。


 勇者ブレイヴとして強大な力を与えられた翠雨――その力を決して侮っていた訳ではない。

 ミント正教会枢機卿カーディナルのマジェルダからも「最大級の警戒をすべし」との忠告を受けている。


 慢心していた訳ではない。最善を尽くした筈だ。

 にも関わらず、緻密に練られた作戦が次々と看破されていく。


 まず、クエレブレによって直接翠雨を殺す作戦――これならば本当に事故として片づけられる故に最も臨んでいたものだった。しかし、翠雨はこれを難なく殺してしまい、作戦ば第二段階――異端審問官による異端勧告という手段に移った。

 ここで終われば良かったが、こちらも翠雨の逃走という形で失敗してしまった。しかも、ただ逃げたという訳ではなくクエレブレにミント正教会が絡んでいることを見抜いた上で逆に糾弾するというおまけ付きで。


 正直ここまで相手が賢いとは思わなかった。

 確かに「翠雨は他の二人の勇者ブレイヴよりも発想豊か且つ、先を見据えた行動ができるタイプだ」とハインリヒは賞賛交じりに語っていたが、それでも所詮は転移者トラベラーであり、勝手知らないこの世界においては元来有しているその知能も十全に発揮されないであろうと考えていた暗部の者達は自らの考えの甘さを嫌というほど実感させられた。


 作戦は第三段階――隠法騎士修道会による直接暗殺に移った。これはあくまで最終手段でこの場にいる誰一人として実際には取りたくない手だった。

 この作戦には二段階あった。一つは暗部の者達による直接的な暗殺。それが叶わなければ、翠雨の同行者という肩書きを与えて紛れ込ませているNo.13による暗殺。

 特にNo.13の暗殺は、敵を倒し油断する翠雨の隙を突くという意味でかなり成功確率が高いものだった筈だ……にも拘わらず、それすらも失敗した。


 確実に翠雨を追い詰めているのはこちらだと思っていた。しかし、まるでこれでは翠雨の手の中で踊らされているようではないか。

 翠雨は神託通り世界を滅ぼし得る存在――世界神ミントに対抗し得る力を持つその存在すら未だに語られることのない破壊神の眷属なのではないかとすら、思っている者もいたという。


 まあ、実際は翠雨は神の眷属などではなく、神からの啓示を受けてそれに従っている訳でもなく、読み込んだ無数の先行テクスト判例によってもたらされたテンプレを念頭に置きながら動いているだけなのだが……。


「このまま逃がしはせぬ。我、今こそ出陣す。女神ミントの啓示に従ひ実行するが神の使徒たる我らの役目なり」


 ジューリアは本陣の椅子から立ち上がった。その瞬間、猛烈な殺気が吹き荒れたのを部下たる暗部の者達は見逃さなかった。


「隠法騎士修道会、出陣す!」


 ジューリアは、まるで叫ぶような声量で最終作戦の実行を告げた。



 激戦の痕が残るかつての戦場を後にし、僕は森を抜けるべく走った。

 出口はすぐ近くにある筈だ。……にも拘わらず、一向にその場所に辿り着かない。


 ……この感覚、確か昔にも感じたことがあったな。

 確か、初めて神様を認識した時だった筈だ。その時もこうして何度も同じようなところをぐるぐる回った。


 遭難という二文字が脳裏をよぎり、僕は瞬時にかぶりを振った。

 そんな訳ないじゃないか。常夜の大樹林は基本的に一本道――脇道に逸れてしまえば一気に迷ってしまうが、一本道を進んでいれば迷う筈がない。……実際に昨日はそうだった上に、さっきまで出口が見えていたんだから、これは明らかにおかしいことなんだ。


 何かしらの敵の術に掛かったのかもしれない。だとすれば、術者を倒す以外にここから脱出する方法はないのだろう。


「とにかく、敵はここから僕を逃がしたくないらしい。何度も方法を変えて僕を殺そうとしてきたが、次で終わらせるつもりのようだ」


 敵は恐らくミント正教会の異端審問会などのような一部門のごく小規模なものではない。

 ほぼ間違いなく、ミント正教会そのものが僕を暗殺しようとしている。


 何故、照次郎や孝徳ではなく僕なのか……その理由は何と無く分かる。

 神を認識することができる僕の力――もしかしたら、それをミント正教会が恐れているのかもしれない。

 では、何故そうなのか? ……もしかして女神ミントの言葉を聞かれるのがマズイから?


 もし、そうだとしたら僕はとんだ勘違いをしていたんじゃないか?

 ミント正教会が神の啓示に従い僕を殺しに来たんじゃない……いや、今回の実行犯は本当にそうだと思っているのかもしれないが。

 仮に神の啓示を捏造することができれば、それを利用して邪魔な僕を消し去ることができる。


 それは、つまり神の名を借りた自分だけのための王国――その破壊者になり得る存在の排除。

 僕は格別何かを信仰している訳ではないが、その実行者には底知れぬ怒りを覚える。純真無垢な信仰を利用することに罪悪感を抱くことなく、純粋な信徒として振る舞う存在――それは、人々をゲームの駒としか見ていない神とそれほど大差ないのではないだろうか?


 ――どちらも人の感情を踏み躙る、吐き気を催す邪悪だ!!


「……その啓示を受け取った人物が何者かを調べ上げなければならないな」


 その存在が異世界から召喚した照次郎や孝徳に手を出さないとは思えない。

 自分の王国の剣にあれほど有用な者もいないだろう。


「まあ、その前にここを脱出しないといけないんだけれど」


 魔獣の気配が完全になくなったら世界で、こちらに近づく大きな気配がある。

 その周囲には微弱な人間の気配……恐らくさっきの黒装束の仲間なのだろう。


 気配が近づくと共に、その正体が明らかになってくる。

 大きな気配は黒の巫女服風衣装の上から純白のローブを身に纏った少女……明らかに隠す気がないダダ漏れの殺気は、勇ましさが売りの勇者ブレイヴである筈の僕が恐れを抱くほど。

 ――明らかに只者ではない。


「我は隠法騎士修道会騎士団長ジューリア=コルゥシカ。神敵翠雨……汝を断罪するために来たり」


 隠法騎士修道会騎士団長……僕が顔を合わせたことが無かった最後の騎士団長だ。

 まさか、こんなところで出会うことになるとは。


 その殺気に不覚にも気圧され、僕は僅かに後退りをしてしまう。


「逃がしはせぬ。この〝符式・夢幻結界〟を破るに我を倒す以外に道はなし。……大人しく降伏するならば苦痛なき死を与ふ。いで戦ふか降伏するか選べ。それ以外に選択肢はなし」


 ……この摩訶不思議な結界はジューリアが作り出したもので間違いないだろう。

 そして、それを解く僕に残された唯一の方法はジューリアを殺すこと。術者を殺すことで解かれる結界か……僕自身、騙されているだけであろうジューリアに恨みはないが、ここで僕が死ねば照次郎と孝徳に最悪の未来が訪れることは間違いない……二人を助けるためにも僕はここで死ぬ訳にはいかないんだ。


「ここで君を倒し、僕は生きる。生きて、照次郎と孝徳を助ける。――そのためにそこを通してもらうぞ!!」


「行かせはせぬ。我が陰陽術の前に死ぞ、翠雨!!」

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