第五章「古代遺跡と魔法少女」

【榊翠雨視点】異世界召喚は唐突に――迸る光と〝勇者召喚〟の魔法陣。

 DIVERGENCE:0.094358 西暦20xx年6月yz日 飛驒山脈某所


 鬱蒼と茂った木々がどこまでも続いている。

 木の間からの木洩れ日もごく僅か。まだ昼間の筈だが、辺りは薄暗い。


 まるで、この場所だけが現実世界から取り残されたようにも感じられる。

 そんな森を進むのは幼い少年――かつての僕だ。


 家族と共に旅行で飛驒山脈を訪れた当時の僕だが……多分、好奇心が疼いたからなのだろう。当時のことをそこまで鮮明に覚えている訳ではないが、恐らくそこまで深い思慮もなく一人森の中に入っていった。

 

 どれだけ森を歩いただろうか? 急に寂しくなった当時の僕は家族の元に帰ろうとしたけど、ここがどこで、どっちに行けばいいのか分からない。

 それどころか、同じところをぐるぐると回っている様子すらある。


 その感覚を抱くきっかけとなったのは事前に折ったりナイフで切ったりして、傷つけた木を見たとか、そういう話ではない。

 草叢の中に入って尾も首も見えない、胴中を乾かした大蛇の姿を五、六度目撃したのだ。

 見紛うことなどあり得ない。既にその模様を完全ではないにしても覚えている。


 後々に知ることになるが、この光景は『高野聖』という小説の一場面に酷似していた。

 異界と現世を隔てる結界。それこそが、尾も首も見えない大蛇――現世とは異なる回帰する時間軸を示すウロボロスのような存在だったのである。


 当然、当時の僕はそのことを知らなかった。後々、『高野聖』という作品に触れて、消え掛かっている記憶と照合し、そう結論づけたというだけだ。


「……怖いよ。どこにいるの、お父さん、お母さん」


 ただ、その時の僕の心を支配していたのは恐怖だった。

 このまま帰れなかったらどうなるのか。当時四歳の僕に具体的なビジョンを描くことはできなかったものの、それが恐ろしいことであることは理解していた。


 来た道も帰る道も分からない。絶望にくれた僕は、今まで避けてきた大蛇を跨ぐという選択肢を選ぶことにした。

 正直、僕は動物が……特に爬虫類が苦手だった。

 だけど、試していないのはもうこれしかない。ループを断ち、家族の元に帰れるのなら、蛇の上を跨ぐ怖さを我慢できる……僕は覚悟を決めて足を踏み出そうとして――。


 ≪――その先に行ってはなりませんよ≫


 どこからともなく声が聞こえた。優しい、包容力のある女性の声。


「……誰?」


 幼い僕が呟いた時、光の粒子のようなものが集まり、中から巫女服を纏った作り物のように美しい狐耳の少女が現れた。


 ≪――まさか、私の声が本当に届くとは思いませんでした≫


「……お姉さん、誰?」


 ≪――私は……そうですね。固有名すらないマイナーな神ですが、仮称として狐神とでも名乗っておきましょうか? しかし、少年。君は凄いですね。神を知覚できる人間は本当に稀にしか存在しません≫


「お姉さんは、神様なの?」


 ≪ええ……といってもそんなに高度な力は持ち合わせていませんよ。神とはそもそも不死であることと個体によって特殊な力――権能とでもいいましょうか。その力を持っている以外は、人間となんら変わりませんから。そして、力を持っていても、それを使わないようにしようと消極的な考えを持っている方がほとんどです。……本来、生物の世界は生物のもの。我々神々がそれに介入するのはおかしいことですから。まあ、たまに神託を下したりするくらいです≫


「……難しいことは、僕よく分からないよ」


 ≪分からなくても今はいいですよ。……さて、そろそろ親御さんが心配しているでしょうから、森を出ましょうか?≫


 空間が歪み、気づいた時には泊まっていたペンションの前にいた。

 飛び出してきたお父さんとお母さんが泣きながら僕を抱擁した。


 あの日以来、僕は神の姿を見たことがない。

 あれは本当に現実に起きたことかどうかすら定かではない。


 今も、僕は「あれは夢だった」と思っている。でも、本当はどうだったんだろう?

 もし、あのお姉さんに再会できたら、あの時のお礼を言いたいな。



 窓から茜色の陽光が差し込んでいる。

 耳を澄ます必要すらなく、聞こえてくるのは陸上部やアップを行う運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏の音。


 そんな青春の音をBGMにひたすらパソコンを打ち続ける僕は、一見すると人生の中で三年間しかない高校生活という青春を棒に振っているように見えるかもしれない。


 でも、僕は彼らと同じように青春を謳歌していると自信を持って言うことができる。

 僕も形は違えど、一つのことに真剣に取り組んでいるからだ。


 ここは、旧書道室、現多目的教室。普段は一部の授業でしか使われていないが、放課後には僕達文芸同好会の活動場所になる。

 文芸同好会は、僕と幼馴染二人によって今年設立された。なんとか顧問を見つけることはできたが、部員が三人しかいないので部活に昇格させるためには、来年新入生を入部させなければならない。


 人数が少ない文芸同好会だけど、その活動は他校の文芸部とほとんど遜色がないものだ。

 小説を書いて新人賞に応募したり、小説サイトに同好会のアカウントを作成して小説を載せたり、俳句会を開いてみたり、リレー小説をしてみたり、TRPGのシナリオを一から作って遊んでみたり、部誌を作成したり……まあ、とにかく色々な活動を手探り状態で試している。

 将来的には活動の方向性を決めていきたいけど、まずは色々なことにチャレンジしてみないとね。


「よっ。相変わらず速筆だな、翠雨すいう


 僕に声を掛けながら多目的教室部室に入ってきたのは狩野かのう照次郎しょうじろう

 身長192センチにもなる長身で大柄という恵まれた身体を持ちながらも、多くの運動部の勧誘を断って文芸同好会に所属している。

 短髪のスポーツマンという見た目で、実際に見た目通り運動神経抜群にも拘わらず、文芸同好会を選んだ理由はよく分からないままだ。


 声を掛けずに入室したのは藍川あいかわ孝徳たかのり

 157センチと小顔で童顔の彼は、女装させれば少女と見紛うほど可愛らしい。……まあ、本人は否定するだろうが。

 コスプレ研究会、舞踊部、果てはチアリーディング部に至るまで様々な部活動から声が掛かっている、マネージャーとして様々な運動部が勧誘している、ととにかく男女問わず大人気で、とにかく選び放題にも拘わらず、何故か文芸同好会に所属している。


 多分、幼馴染だから見捨てられないとか、そういう理由なのだろう。……まあ、学校の顔と言える二人を束縛している人間として僕は随分学校内で恨まれているみたいだから、ありがた迷惑ということもあるのだけど、こんな僕でも見捨てず、一緒に居てくれることは本当に嬉しく思っている。


 そういえば、自己紹介がまだだった。僕はさかき翠雨すいう、一応小説家を目指しているただの高校生だ。

 身長も平均、容姿は中の中、成績も学年の真ん中と、とにかく平均的だけが取り柄だ。


「……ところで、翠雨君。今は何を書いているんだ?」


「今は新人賞に向けた作品を執筆しているよ。部誌用の小説は昨日書き終わったからね」


「相変わらず凄えな。新人賞用、部誌用の作品に加え、ネット連載が三本と時たま短編……しかも世界観に矛盾が生じないって、本当に凄いことだぜ」


「……まあ、それだけが取り柄だからね」


 構想を固め、それを小説という一つの形にするのが楽しいから書き続ける。

 そして、気づいたらいくつかの作品を同時に連載するようになっていたというだけだ。


 照次郎のようにスポーツ万能という訳でも、孝徳のように勉強ができる訳でもない(ちなみに孝徳は学年で三本の指に入る秀才)。

 僕には小説しかない。だから、書き続けているってこともあると思う。……もし、僕に小説が無かったら、多分、ごく平均の見本市という何の面白みもない人間になってしまうから。


「おっ、忘れてた。ほい、購買部で買ってきたアンパンだ」


「ありがとう。わざわざごめんね」


「いいってことよ。たまたま用事があったってだけだしな。それで、今日はどんな活動をするんだ?」


「丁度書き終わったTRPGのシナリオがあるからテストプレイしてみるか?」


「……翠雨君のシナリオってとにかく凝りに凝っているから楽しみだな」


「よし、ちょっと待っててくれ。今、シナリオを出す――」


 僕は最後まで言うことができなかった。


 突如、赤い光が迸ったかと思うと、一つの生き物のように動きながら床に線を描き始める。

 そして、五芒星を中心に据えた魔法陣のような模様を描いた。


『〝――時空の隔たりの果てにいる勇者を、今こそ我らが元に召喚し、世界を救い給え〟――〝勇者召喚ブレイヴ・サモン〟』


 空耳かと疑うほど小さな声で呪文が聞こえた瞬間、魔法陣が眩い輝きを放った。

 足を動かそうとするも動けない。頭の中でこの現象がどういったものか分かっても、僕に何かをしてこの現状を打破することはできなかった。


 教室の風景が歪む。音が遠ざかる。少しずつ意識が遠ざかっていくのを実感しながら、僕の意思は深淵の奥深くへと落ちていった。



 目を開けると、真っ白な部屋にいた。

 ……ここは神殿か? ギリシア建築を彷彿とさせる柱が何本か立っている。


 僕達の足元には気を失う前に現れた魔法陣と同じ模様が描かれている。周囲には白を基調としたローブを纏った人達が今なお祈りを捧げている……これって勇者召喚だよね。


「……おい、翠雨。これは、どうなっているんだ?」


 目を覚ましたらしい照次郎が尋ねてくる……まあ、疑問に思うのも当然だし、寧ろ納得しちゃったらそれはそれでおかしいと思う。

 ちなみに、孝徳はまだ夢の中のようだ……起こすのは後でもいいかな?


 ≪……助けて…………誰か、助けて――≫


 なんか聞こえなかったか? 助けを呼ぶような声が。


「おい、翠雨。どうしたんだよ、ボーっとして」


「……ごめん。えっと、現状のことだよな? ……残念だけど僕にもよく分からない。だけど、今までの情報を総合すれば、予測を立てることはできる」


「……もしかして、異世界召喚か?」


 まあ、信じたくないけど、多分そういうことなんだろう。

 〝勇者召喚ブレイヴ・サモン〟って聞こえたような気もするし。


「宗教と異世界召喚って嫌な予感しかしねえな。大体、この手の宗教って黒幕だったりするんだろ? もしくは、神様が裏で糸を引いているとかな」


 異世界モノの作品の中で宗教が敵になるものは多い。その中には、神様自体が敵だという作品もあったっけ……確か錬成師が主人公の奴。

 ちなみに、僕達は小声で話している。言語がどうなっているか分からないけど、話を聞かれたら召喚した教会? と敵対する可能性が出てくるからね。

 いずれ敵対するにしても今敵対するのは得策じゃない。今の僕らには何一つ情報がないんだから。


「……ふぁぁ。おはよう、翠雨君、照次郎君……ってどうなってるの!?」


 孝徳が起きたので、改めて情報を共有し終えた頃を見計らったように、一人のローブを纏った老人がやってきた。


「遥か遠方からようこそいらっしゃいました。勇者の皆様。私はマジェルダ=ホーリー、ミント正教会で枢機卿カーディナルを務めさせております。この国の王である教皇様はまだ幼いので、国の代表代理も務めております」


 ……やっぱり、異世界召喚だった。


「……説明をいただけませんか?」


「おや。意外と落ち着かれておりますね。そちらのお二方はかなり動揺しておられるようですが」


「いっそ、泣き喚いた方がいいでしょうか? 現状を把握しないままただ理不尽に対して文句を言っても何も進展しません。現状を確認し、その上でどうするかを決めるべきだと思います」


「なるほど。流石は勇者様、頭脳明晰なのですね」


 言葉の中に賞賛の気持ちが全く感じられない。

 「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」とでも言いたいような雰囲気が感じられた。


「まずは、勇者の皆様に細やかな歓迎の席を用意させていただいております。そちらでこの世界についてと召喚の目的をご説明させていただきたく思います」


 歓迎の席……洗脳薬とか盛ってないといいけど。

 というか、ライトノベルを読んでて思うけど、よくどこかも分からない世界に召喚されて、敵かも分からない相手が出す食事を食べられるよな。

 ……まあ、ここで断るのも変だし、しばらくは向こうのペースに乗ったほうが良さそうだな。



 僕達三人は十メートルを優に超えるテーブルがいくつも設置された大広間に通された。

 どこか神秘的な雰囲気を感じさせる神殿とは異なり、この部屋は贅を尽くした絢爛豪華といった感じだった。


 部屋には誰もいなかった。これだけ大人数が座れる作りをしているにも拘わらず、使用するのは四人……なんだか勿体ない気もする。


 全員到着するとメイド達が入ってきた。洗練された所作を見るとほう、と思わず溜息が出てくる。

 平常心なら見惚れていたと思うし、実際に照次郎と孝徳も見惚れていた。


 だけど、今の僕はメイドに見惚れるほど心に余裕はない。

 いや、照次郎と孝徳がこの状況に不安を感じていないと言いたい訳じゃない。ただ、余計なことを知っているせいで、どうしても嫌な予感を感じてしまうというだけだ。


 照次郎も孝徳も、どちらかと言えばあまり小説を読まないし、アニメも見ない。

 幼馴染の僕に合わせるために見ているという感じなんだと思う。

 僕のことを気にして合わせようとするなんて明らかに悪手なのは目に見えているけど、何故か二人はずっと僕のことを見捨てずにいてくれた。


「……あの、そこのお方。もし、よろしければ私達と一緒に来てくださいませんか?」


 意識を戻すと孝徳がメイドに声を掛けられていた……なんとなく、その目が孝徳を部活に勧誘しようとする女子生徒達と重なって見えたんだが、多分気のせいだと思う……気のせいだと思いたい。


 数十分後、メイド服を着た美少女・・・がメイド達に連れられて大広間に戻ってきた。

 美少女――否、孝徳が顔を羞恥の色で染めながら席に座る。

 男なのは分かっているんだけど、不思議な色気を感じさせるんだよね。男を惑わすような……男なんだけど。


 しかし、メイドの悪ふざけか。男の娘が魔法少女に変身するネット小説にも似たような展開があったな。まあ、あっちはやられてばっかりだと癪に触ると悪ノリでで美貌を見せつけるような仕草で誘惑していたけど。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか」


 食事をしながらマジェルダの話を聞く。

 やはり、ファンタジーのテンプレのような内容だった。……ただ、普通のファンタジーよりも複雑なようだけど。


 まずは、この世界にはアルドヴァンデ共和国、自由諸侯同盟ヴルヴォタット、ミンティス教国、超帝国マハーシュバラ、ジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国の五か国が存在している。

 この中に存在する人間の国でミント正教会を信仰しないのはアルドヴァンデ共和国、自由諸侯同盟ヴルヴォタット、超帝国マハーシュバラの三国らしい。

 ちなみに、この三国にもいずれミント正教会を広めるつもりでいるようだが、今はそれどころではないため後回しになっているらしい。


 この世界には大きく分けると人間と亜人種、魔族の三つの種族が存在する。

 ミント正教会は、魔族を神の使徒である人間にまつろわぬ存在として神敵と認定している。また、亜人種は魔族の血を引く存在として迫害の対象にしているようだ。……もうこの時点でどっちが悪いかは一目瞭然だな。

 ちなみに、ミンティス教国以外もジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国と敵対しているが、ジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国もミンティス教国ほど目の敵にしている訳ではないようだ。……要するに、ミンティス教国とジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国は長い間敵対し続けているってことだろう。


 ミント正教会は、神的である魔王討伐と魔族殲滅のために異世界から勇者候補・・・・を召喚する〝勇者召喚ブレイヴ・サモン〟の儀式を行った。


 以前は、この国の者に〝勇者ノ儀〟を行い、勇者ブレイヴにしていたようだが、彼らが目立った成果をあげられなかったので、最終手段として〝勇者召喚ブレイヴ・サモン〟を行ったらしい。……全く傍迷惑もいいところだよ。


「皆様には勇者ブレイヴとなり、魔王軍と戦っていただきたいと思っております」


「なるほど、話はよく分かりました。……ところで、僕達は元の世界に戻れるのでしょうか?」


「勿論。見事魔王を打倒した暁には元の世界に帰還できるよう、手配致しましょう」


 ……異世界召喚ものの場合、ほとんど行ったっきりだ。

 元の世界――ほとんどが日本――に帰れる作品はごく少数に限られる。


 魔王を討伐したとして、この世界から――カオスから帰れる保証はないということになる。……正直、僕はこのマジェルダという男をあまり信用できてないんだよね。

 まあ、僕が本を読みすぎて疑り深くなっているって説もあるのだけど。


「私が話せるのはここまでです。転移という慣れない経験と見知らぬ土地……お疲れだと思いますので、本日はお休みください。明日からの予定はメイド達に伝えさせます」


 ……やっぱり拒否権なしか。


 完全に向こうに生殺与奪を握られている以上、下手な行動は取れないな。


 ≪……助けて…………助けて――≫


 そして、助けを求める女性の声……やっぱり気のせいじゃなかった。

 この国には何かある気がする。この国の人間は誰も信用できない……信用できるのは照次郎と孝徳――同郷の幼馴染だけだ。


 ……ああ、これからのことを考えるだけで憂鬱になる。

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