〈作者の意図〉という考え方に対する反論を語ったら三人くらい生き残ったが文学を愛する者は基本的に皆同志でさっきの話を理解できた人が同志なら“天使様”も同志なのだろうか。……なんと畏れ多い。

 異世界生活十一日目 場所エルフの里 深緑図書館


「フランスの哲学者ロラン・バルトは1967年に発表した文芸評論の論文『作者の死(La mort de l’auteur)』において、『ある物語の作者はその物語の解釈を決める最高権威ではない』とする考え方を提唱した。彼はテクストは現在・過去の文化からの引用からなる多元的な織物であると表現し、作者の意図を重視する従来の作品論から読者・読書行為へと焦点を移した。以後、『作者とは何か?』で作者批判を行ったミシェル・フーコー、『行為としての読書』などで読者論を広めたヴォルフガング・イーザー、他にも構造主義の先駆者である『一般言語学講義』のフェルディナン・ド・ソシュール、『民話の形態学』のウラジーミル・プロップなどの様々な者達によって作者中心の作品論から作者の存在を徹底的に排除したテクスト論、読者の存在を重要視する読者論が発達していく。……と、これはかつて俺が暮らし、そして必ず帰還する世界での文学研究の歴史の一端だ。……だからこの世界の文学研究には全く関係ないとそうお思いだろうが、実際は違う。文学という形態を使っている限り、例え世界が変わってもその構造はほとんど同じだ。俺達の世界での近代文学の登場人物たる作者は、この世界の文学では登場の仕方が異なるものの同じ性質を有しながら存在している。即ち、作者という存在について俺の世界で用いられた方法をトレースすることで物語研究に掛けられた〈作者の意図・・・・・〉の呪縛を解くことができると思うが、どうだろうか?」


「誰だ、お前は! 部外者は引っ込んでろ!!」


 見るからに偉そうなエルフが叫んだ。だが、俺は偉そうなエルフを無視してダークエルフの女性に手を差し伸べた。


「はじめまして、凝り固まった作品論を越え、新たなる解釈を模索しようとする勇気ある研究者様。俺は能因草子、文学研究の道を志すただの青二才です」


 ダークエルフの女性を起こした俺は、偉そうなエルフに向けて【威圧】を発動しながら正対した。


「一応名乗らせて頂きましたが、もう一度必要でしょうか?」


「二度もいらんわい。ただの若造が偉そうに、一体何を知って、何ができるというのだ?」


「貴方がどれほど権威ある学者なのかは分かりませんが、一つだけ断言できることがあります。――貴方の考え方は間違っている。本来、文学研究とはその文学を根拠をもって多角的な視点から捉え、考察するものです。この女性はその第一歩を踏み出そうとした。……この先彼女が行き着くであろう研究方法も完璧ではないでしょう。常に新たなものが生み出され流動する研究という分野においては新たな論を頭ごなしに否定するのではなく、その長所と短所を捉え、得るべきものは吸収し、問題点があるのならばそれを根拠をもって伝えるべきだと思います。……違いますか?」


「ふん、お前もそこのイミリアーナと同じだということか。……文学研究とは〈作者の意図・・・・・〉を追うことに他ならない。それは絶対だ!」


「でしたら、その考え方が間違っている根拠を、僭越ながら俺が示しましょう!」


「面白いッ! そこまで言うのならば証明してみせろ!! 今から五日後、再びこの場所で題材は今回と同じ『デルフィア英雄譚』。当日はどちらの息もかかっていない審査員を五人立て、その判定で決定する。もし、彼らを納得させることができなかったら、イミリアーナ、草子、お前らは二度と文学研究の敷居を跨がぬことを誓え!!」


 偉そうなエルフの学者はそう言い残すと、スタスタと小ホールから出て行ってしまった……マジで。えっ、納得させられなかったら俺二度と文学研究できないの!? いや、あの老害には負けたくないけど、リスク高過ぎない!! ……あっ、もしかして加勢に入らなかった方が良かったの、これ?



「助けて頂き、ありがとうございます。私はイミリアーナ=ノー・マル・シア、駆け出しの文学研究者です」


 騒つく小ホールを出て、セルジアが機転を利かせて用意してくれた部屋に移動。そこで簡単な自己紹介と状況確認が行われた。

 ダークエルフの女性は、イミリアーナ。駆け出しの文学研究者でテクスト論的な考えを掲げ、若い研究者からは人気を集めている期待の新星らしい。その容姿の美しさも相まってファンも多いそうだ。


 あの偉そうな研究者は、ジェレミド=ジン・ラルク・ズード。エルフの文学研究における重鎮にして、話を聞く限りは作品論信奉者。

 彼一人が頭が硬いという訳ではなく、エルフの文学研究界で権力を握る重鎮達が揃って作品論信奉者ということらしい……構造的にも『こゝろ』論争と同じだし、エルフは人間に比べて遥かに寿命が長いから、これ『こゝろ』論争以上に長期間するんじゃねえ?


「……しかしぃ、まさか草子君が助けに入るとは思わなかったなぁ。やっぱり胸の大きな美人さんだから助けたのかな?」


 おい、北岡。男は単純な生き物だとでも思っているのか? あるいは、自分の方が胸が大きいから余裕風を吹かせているのか? ……後ろのぺったんな朝倉がものすごい剣幕で睨んでいるぞ。いつか後ろから刺されるんじゃないか? ついでにイミリアーナさんが胸を庇いながら頬を染めているからやめてあげて下さい!!


「……何を言っているんだ? 俺はあのジェレミドとかいう老害に腹が立ったからイミリアーナさんに加勢しただけだ。――さて、ここで問題です! 俺がジェレミドに腹が立った理由はなんでしょう」


『はいは〜い! やっぱりイミリアーナさんが美しかったから手助けに入ったんじゃないの? 照れ隠しだね、このこの』


「聖さん不正解。……ちゃんと問題文を聞いてから答えようぜ」


「分かりました。ジェレミドさんの態度が許せなかったからだ」


「……まあ、確かにそれもありますけど、違います。……というか、セルジアさんって結構辛辣なんですね」


 ここまで二人不正解。聖は論外だな。……というか、なんでクイズ形式になっているだろうか? まあ、百パーセント悪いのは俺なんだけど。


「……もしかして、ジェレミドさんの言葉の中に何か草子さんを怒りに火をつけてしまうような単語があったとか?」


「流石はイミリアーナさんです」


「……草子さんって文学とか文学研究者に甘過ぎじゃないですか?」


 ……いや、違うぞリーファ。もし、俺が文学研究者に甘いんだったら老害ジェレミドに喧嘩を売ってない。


「あぁぁぁぁぁぁぁ!」


「どうしたのよ、華代。突然大声なんか出して」


「思い出したわ! “能因草子、職員室突撃事件”よ!!」


「「あぁぁぁぁぁぁぁ!」」


 白崎に続いて朝倉と北岡が大声を上げた。……ここ図書館だぞ。全くマナーがなっていないんだから。

 しかし、随分懐かしい事件を出してきたな。


「確か一学期期末テストだった筈だわ。現代文のテストで満点を取ったにも拘らず草子君は職員室に突撃し、騒ぎが大きくなりそうだということでそのテストの担当だった花奏かなで先生と一緒に別室に移動。……それから一時間くらい経った後で空き教室から出てきた花奏先生は草子君に謝り続けていたって……直接見た訳じゃないけど」


『草子君、先生相手にそんなことをしてたの!? 先生泣かせちゃダメだよ!!』


 いや、泣かせてないから。木下女史とはその後に意気投合して一緒に「『源氏物語』〜青表紙本を巡る旅〜」に行こうって約束するほどの仲になっているから!! ……木下女史、元気にしてるかな?


「……確かその時の原因、〈作者の意図〉を答えなさいって問題じゃなかったか」


「そこまでは覚えていないけど、朝倉さんよく覚えているね」


 ……よく覚えているな。全く頭の片隅にすら留められていないぼっちだと思ってたけど、案外覚えられているもんだな。まあ、印象的な事件ではあったけど。


「正解だ。俺は〈作者の意図〉という考え方が嫌いでね。〈作者の意図〉という考え方は作品論を代表する考え方だ。白崎さん達も何度か現代文のテストで見たことがあると思うし、聖さんも一度くらいはあるんじゃないか? この〈作者の意図〉という考え方は現代の国語教育にも根強く残っているんだけど、これが果たして本当に〈作者の意図〉なのか? と思ったことは無いか?」


「……確かに、そう思うこともあるわね」


「白崎さんの疑問は正しい。そもそも、〈作者の意図〉だけが正解なのか? そもそも作者は全てを意図して小説を書いているのかという問いが生まれるだろう。例えば松本清張の『点と線』という長編推理小説のトリックを思いついたエピソードについて、毎回齟齬が生じている、宮本輝が自分の書いた小説の〈作者の意図〉を答えよという問題に挑戦し、あっさり否定されたという事例も存在している。そもそも、〈作者の意図〉を〇〇字以内で表せる筈がないし、作者自身が無意識のうちに書いてしまっていることが解釈される場合もある。〈作者の意図〉とは正解主義によって生み出されたものと考えることができる。今の時代には、まず正解を求めようとする風潮がある。その対象はその作品を生み出した神的存在である作者だ。その作者が言っているのなら真実だということになる。だが、既に語った通り〈作者の意図〉とは作者の意図ではない。俺は木下女史に対し、『正解主義的な出題方法を変えて下さい、無理ならせめて〈作者の意図〉ではなく、〈出題者の意図〉と表記して下さい』と伝えたのがあの事件だが、謝られてしまってね。一職員では正解主義をどうにかすることはできないし、テクスト論的な方法では教員一人一人の技量に左右されてしまうから現実的ではない。……まあ、俺も無理を承知の上でだったし、木下女史も理解ある方だったから良かったよ……って感じだけど、分かった?」


 聖は途中から寝落ちし、リーファ、朝倉、北岡の三人はダウン。真面目に最後まで聞いてたのは白崎、イミリアーナ、セルジアの三人か。……イミリアーナとセルジアは分かるけど、まさか白崎まで生き残っているとは。流石、クラス委員長! 文武両道の高嶺の花!! よっ“天使様”……って流石にやり過ぎたか。


「ところどころ分からないところはありましたが、伝えたいことは分かりました。文学の造詣の深さに驚かされました。こんなにお若いのに凄いですね」


 ……イミリアーナさんから比べたらそりゃ若いよ(120歳だし)、寧ろ俺の世界の学者全員がイミリアーナさんより若いよ!

 まあ、女性に年齢のことをとやかく言える訳もなく。


「……分からないところは例として出したものですよね。後で写本を作ったらお二人にお渡しします」


「「ありがとうございます!」」


 文学を愛する者は基本的に皆同志だ。……あれ、でもそれだとそこでダウンしているBL好きリーファも同志になるのか……さっきの話を理解できた人が同志ということで……でも、あれ、それだと“天使様”も同志!? なんと畏れ多い。


「……さて、そろそろ研究に動き出さないといけないな。五日後に発表しないといけない訳だし」


「すみません、私のせいでこんなことになってしまって」


「イミリアーナさんのせいではありませんよ。俺が決めたことですから。……ということで、関係ないお前らにまで迷惑をかける訳にはいかないから、とっととティル・ナ・ノーグ邸へお帰り」


「なんで森にお帰りみたいな感じに言っているですか! 私達だって残りますよ! 手伝えることがあったら手伝いますよ!!」


 ……いや、手伝ってもらわなくていいよ。だって今からやるのって本を写しては食べの作業だよ。本好きを拗らせた変態の真骨頂だよ。……そんなの見て何が嬉しいの? 「うわっ、キッモ」って視線を向けたり陰口を叩くくらいならとっととお帰り下さい。

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