◆212. 迷子 8/8 ― 初めての相手


 代替案も思いつかない。何より大事なのは一護いちごの気持ちだ。一護がデコぴんで気が済むというのであれば、デコぴんだ。


「……うん、わかった。デコぴんで」


「仕返しだから。うらみっこなしだよ」


「もちろん。……ごめんね、一護」


「もう、謝るのもなし」


「うん」


 一護は、椅子を横に退け、座面にクシを置き、私のそばに寄った。


「それじゃ、目を閉じて。いいのをお見舞いしたいから、動かないでよ」


「う、うん」


 目をつむる。


(こ、怖い……)


 それでいいの? とは言ったが、一護も言うように、一護のデコぴんは痛い。


「いくよ?」


「うんっ」


 閉じたまぶたにギュッと力を入れ、拳を握りしめた。


 ――ふにっ。


(………………え?)


 目を開けると、目の前に一護の顔があった。


「フ、フフフ。は、鳩が豆鉄砲食ったようって、こういうことなんだろうな。アハハ」


 一護は、笑いながら、私の両肩に手を置いた。


「い、今のって……」


「今のは、これだよ」


 顔がスッと近づいてきて、唇にふれた。


 まごうことなき『キス』だ。


「い、い、い〜ち〜ご〜〜!!」


 肩に置かれた手の外側から、頬をつまもうとした――が、できなかった。抱きしめられ、腕の自由が奪われた。


 一護は私の肩にあごを乗せた。


「キスされた仕返しなんだから、キスに決まってるでしょ」


「決まってない! こういうのは、好きな人と! 恋人とするの!」


 頬をつまもうと、体をよじるが、一護の腕はゆるまない。


「ショウ」


「もう! なに?」


「ショウは初めてだった?」


「はじ? へ?」


「キスしたの、初めて?」


「わ、私は……」


 すぐに答えられなかった。初めて、と嘘をつくのが躊躇ためらわれた。

 一護は、初めてのキスはつらい過去のなかにあると、本当のことを教えてくれた。なのに、私は嘘をつくのか――と。


「……そう。わかったよ。相手もだいたいわかる。二分にぶんの一かな?」


「に、二分のって?」


「候補は二人。ショウが正解を教えてくれるなら言うよ」


 二人。一護の予想は、黒羽くろはと、……慶次けいじだろうか。もしかしたら、しげるかもしれない。父が入っている可能性もある。四人のうちの二人。誰だろうか。

 気になるが、正解を言うのは――。


「……それは……」


「じゃあ、ナイショ。ちなみにボクは、男の人とも女の人ともしたことあるよ。最初は……誰だったか覚えてない」


「……覚えてなくていいよ」


 一護の声は震えていない。でも、動かせる範囲で背中に手をまわし、力を込めて抱きしめた。


「そうだね。ボクの初めては、この前のにするよ」


「この前って……」


「ボクの初めてのキスの相手は、ショウってこと」


「ええ、ええっと〜」


「じゃないと、ボクの初めては、小さいときの誰かわ――」

「わっ、私! い、一護の初めてのキスは私と! 一護の初めては、私がもらいました!」


 一護にひどいことをした人たちより、私のほうがマシだ。マシなはずだ。


「でも、いつでも返すからね。恋人ができて、恋人とキスしたら、それを初めてにするのも全然ありだよ」


「…………ショウ」


「なあに」


 続きを待つ――


 が、一護は黙ったままだ。


「一護?」


「…………恋人になった人は、こんなボクでもいいのかな?」


「こんなボクって。一護がいいから、一護と恋人になるんでしょ」


「ショウは……、恋人になった人と、キスしたり、えっちなことをするってなったときに、実はボクみたいなことされてましたって、その恋人に告白されたらどうする? やっぱりキスしたくない、恋人やめたいって、思わない?」


「一護……それって……」


「――うわっ! な、に、して……」


 ぐりぐりぐりぐり……ふんっ! と、強引に一護の腕の中に、自分の腕を通し、バンザイした。私の腕をよけるために肩から離れた一護の顔を、両手でガシッと掴む。驚きの表情で見開かれた目が落ち着くのを待った。


「このまま、目を見て、聞いて」


 顔から手を離し、両肩に置いた。


「一護のことを知った恋人が、一護を拒否するかどうかは、わからない」


「……わからない?」


 パチパチッと一護はまばたきを数回した。一護と目を合わせたままうなずく。


「何人か付き合ったら、一人か二人、拒否する人がいるかもしれない。でも、受け入れてくれる、ものともしない人だっている!」


「……いるかな?」


「いる! ……出会えるかは別として」


「そっちは、出会えないかもしれないんだ。拒否する人は何人か出会えるのに」


「えっ? ……ち、違う! かもしれないって言ったでしょ! 素敵な恋人に出会えるかどうかは、誰にとってもわからないことだから、そう言ったの。素敵な人とばっかり出会って、拒否する人には出会わないかもしれないし。……言いたいこと、なんとなくわかるでしょ?」


「……ショウは? ショウは、もし、ボクが相手だったらどう? 嫌じゃない? ……キス、気持ち悪かった?」


「も〜、そんなわけないでしょ! 汚くないよ!」


「でも……、体もだよ? そんな体のボクと……」


 一護が目を泳がせたので、顔を両手で挟む。


「……さわられたところが気になるの? 一加いちかと一護が、あの人たちと離れて、四年くらい経つよね? 五年くらい?」


 あの人たち――一加と一護が両親だと思っていた人たち。最低な人たち、と言いたいところだ。


「うん。……あと少しで……五年」


「もう、なっっっんかいもお風呂に入ったでしょ? 五年前の皮膚なんか、もうとっくにないよ。爪もそう。髪は……何年で生え変わるのかな? ちょっとわからないけど、一回坊主にしたし、さわられたところは残ってないよ」


「……でも……」


 一護がこんなに『でもでも』言うなんて珍しい。私とキスをしたことで、嫌なことを思いだしてしまったからだろうか。それとも、お茶会で――私の知らないところで、何かあったのだろうか。


(……あっ!)


「裸になる?」


「え?? ええっ!?」


 一護は後ろにのけぞって驚いた。


「さわってあげる。全身、私がさわってあげるよ。キスと一緒。一護の体にさわったのは、私ってことにする?」


 顔から手を離し、肩をさする。


「あ、あ〜、なんだ。裸になるのはボクね」


「当たり前でしょ。なんで私が脱ぐの。……こうして抱きついたり、顔にさわったり、手をつないだりするのは、気にならないけど、えっちなことになると気になるってことだよね? 要するに、裸になったとき。なら、裸をさわれば、気にならなくなるかもしれないよ! 円境湖えんきょうこで遊んだときに、背中とかはさわったけど、さわってないところもあるしね」


 一護は眉間にシワを寄せている。


(何か言いたげ……あっ!)


「もしかして事実の問題? そういう過去があるってことが、ってこと? 私、またズレたこと言ってた? あれ? でも、体って言ったよね? 言ってない?」


「……フッ、フフッ」


 ズレていたらしい。一護は、笑いながら私の肩にひたいをあてるようにして乗せた。


「も〜、ちょっと間違っちゃっただけでしょ」


「そうだね」


「……もしも、大好きになった人に、一護の小さいときの話をして、受け入れてもらえなくて、話し合っても、時間をかけてもダメだったら……。いっぱいお酒買って、飲み明かそう」


「そんなことしたら、てつさ……理恵りえさんかな? 怒られるよ」


「そのころには、成人してるから大丈夫だよ」


「……フッ、アハハハハ」


 楽しそうな笑い声だ。


「……元気出た?」


「うん。ありがとう」


 私を抱きしめている腕にギュッと力が入る。


「ほんとに? 無理してない?」


「してない。なんかさ……」


「うん?」


「クセになるね」


「クセ?」


「されて気持ち悪かったのは覚えてるけど。感触を覚えてたわけじゃないからさ。こんなに――」


 一護は肩から顔を上げ、私の頬に触れると、ふにっ、と親指で唇を押した。


「――柔らかいんだね」


 顔を近づけ、唇をふにふにと押しながら、観察するかのように見ている。


「……おでこや、ほっぺにするのとは違うね……」


 そう言うと、チュッ、チュッ、とやわらかいもので唇にふれた。


 私の両手は今、一護の肩に置いてある。

 手と頬をはばむものは何もない。


「い〜ち〜ご〜〜!!」


 両頬をギュッとつまむ。


「いふぁい」


「初めてはもらったけど。あれは事故! しかも一回! 何回もしてないでしょ!」


「ふらみっこにゃひっへひっはへほ……」


「何言ってるかわかんない!」


 強めにつまんでいるからだが、弱めない。


「い、いふぁ――痛いっ!」


 手首を掴まれ、外されてしまった。


「っつ〜、いったあ〜。……強すぎ」


「一護が悪い」


「はあ〜、も〜」


「ため息つきたいの、こっちだから!」


「フッ、フフ、そう。『うらみっこなしって言ったでしょ』って言ったの」


「そ、それは……、い、一回! 一回までの話でしょ!」


「ショウと一回キスすると、昔の嫌なキスが一回消えるような気がする」


 それなら、と一瞬思ってしまった。


「……ダメ。これ以上は、恋人と。恋人とキスすれば、一回で全部消えちゃうよ」


「……そうかな?」


「そうだよ。一緒に頑張ろう! お茶会で、いい人探して、恋人作ろう!」


「ショウが作るのは、友だちでしょ?」


「……そうだけど。私も一護と一緒に、恋人も作ちゃおっかなあ、なんて」


「恋人作るの?」


「うん」


「お茶会で?」


「そう」


「……やめときなよ」


「なんで?」


「ボクは、探して作るのやめる――」

「えっ!? やめちゃうの?」


「うん。ショウの言うとおり、やっぱり無欲だよ。探そうとすると見つからない。公衆電話もそうだったんでしょ?」


「そう……だけど。……そう……なんだ」


 私の恋人作りは、黒羽と私の問題で、一護には関係がない。でも、一護が頑張っているから私も、という気持ちがあった。勝手にだが、一緒に頑張っていた、仲間にしていた一護の、やめる、という言葉に、たちまちやる気がしぼむ。


「ボクは自然にまかせる。ショウも自然にまかせたら? お茶会は、お茶とお菓子を楽しもうよ」


「う、うーん……、でも……」


 そうしたいのは山々だが、黒羽との円満解決には恋人が不可欠だ。……不可欠は言い過ぎかもしれないが。

 でも、それも、冬の帰省次第では必要なくなる可能性もある。黒羽のほうに変化があれば、解決したと思えるような、私に気を使うのをやめたと思えるような何かがあれば。


(……甘い考え……かな?)


「……とりあえず、保留にしとく! 春のお茶会が始まる前、二月くらいにまた考える!」


「ふーん。そう。まあ、いいや」


 一護は私の手を離し、避けておいた椅子を、こちらに向けて置いた。


「座って」


「うん」


 背もたれと背中の間に挟まないように、髪を両手で胸のほうに垂らし、腰を下ろした。


 一護は、いつもよりちょっとだけ楽しそうに、髪をとかしては顔をうずめるを何回か繰り返したあと、鼻歌まじりで低めのお団子ヘアに結ってくれた。

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