◆210. 迷子 6/8 ― 一護、私、一加


(……せっかく自由に遊びに行けるようになったのに。半年も経たないうちに、外出禁止かあ。……これだけみんなに心配と迷惑かけたんだから、当然だよね。……お父様がいいって言うまでって、いつまでだろ? 今年いっぱい? 一ヶ月じゃ短いかな?)


 ソファーからベッドまでは、父がお姫様抱っこで運んでくれた。私を降ろすと、父は端に座り、「気をつけなさい」と抱き寄せ、頭にキスを落とした。

 私が無事だったことを、ここにいることを、確認しているかのような抱擁ほうようとキスだった。


 ふっと力が抜けた。父にしがみつき、「足、痛くて、歩けなくて、なかなか進まないし。電話も、しょも見つからないし。あっても、使えないし、いないし。どうしようかと思った」と、涙と一緒にこぼした。

 父は、「そうか」とだけ言って、しばらくそのまま抱きしめてくれていた。


(……お父様……終わった話として聞いても、心中穏やかじゃなかったよね……)


「ほんと、もう……何やってんだろ……」


 ゴロン、と寝返りをうつ。


「っい、たい」


(足首が〜、ひざが〜。手はヒリヒリするけど、足に比べたら……。でも〜、痛い、痛い、痛い)


 右足首は、父の見立ても、律穂りつほの見立ても、捻挫だった。湿布で十分、と私は思っていたが、無理をして歩いたので、明日医者に診てもらうことになった。


(まあ、確かに。最初は痛くてもなんとか歩けたけど、最後のほうは足つくだけで大変だったし。転んだだけより、歩いた分、確実に悪くなってそう……。はあ〜、寝よ……)


 ギュッと目をつむる。


(……………………)


(…………)


(……も〜、眠れない。でも、病院行くから眠らないと。歩いたから疲れてるはずなのに。今日のことが〜、みんなの顔が〜、走馬灯のように〜……。今日の……、みんなの顔……みんな――)


 コンコン。


「――ん?」


 体を起こし、ドアを見つめていると、カチャ、と音を立て、静かにそーっと開いた。枕と毛布を抱えた一加いちかが、忍び足で入ってきた。


 一加、と声をかけようとしたが、驚いてのみ込んだ。


 続いて、一護いちごも入ってきたから。すごく久しぶりだ。ここ一年くらいは、一加だけが泊まりに来ていた。


「え? うわ! いる! 起きてる! ショウ〜」


 ノックに返事をしなかった。一加は、私が眠っていると思っていたようで、私を見てビクッとしてから、駆け寄ってきた。


(……でも、『いる』って?)


「いたんだ。旦那様の部屋に行ったかと思ってた。一加が一人じゃ眠れないって」


(あ〜、そういうこと)


「行こうと思ったんだけど、やめたの」


 父は今日、往復六、七時間、馬車に揺られていた。朝も早かった。明日も仕事だ。ゆっくり眠ってほしかった。


「……今日は、一護も?」


 一護も、枕と毛布を抱えている。それが答えだとは思ったが、なんとなくたずねてしまった。


「ダメ?」


「ううん。いいよ」


 私の左側に一加が、右側に一護が枕を置く。ベッドに上がり、バサッと毛布を広げた。二人が横になったのを見届け、私も横になる。一加と二人で眠るときは、だいたい向き合って眠っている。その癖が出たが、一護に腕を引っ張られ、あお向けになった。


 一加は、私の左腕に抱きつき、肩のあたりにひたいを寄せた。一護は、私の右手を握り、毛布から出して、頬を寄せた。

 寝返りが打てない。本当に久しぶりだ。


「なんで起きてたの? 疲れてるでしょ?」

「今、引っ張っちゃったけど、大丈夫だった?」


「疲れてはいるんだけど、なんか……申し訳なさで眠れないというか〜。手と足が痛いっていうのもあるんだけど。あ、今のは大丈夫。痛くなかったよ」


「ワタシのこと置いてっちゃうからだよ。でも、痛いのは可哀相。一護に飛んでけばいいのに」


 一加は、ふんっ、と鼻を鳴らした。


「なんで、ボク……」


「ショウを行かせちゃったから! 行かせちゃったから、転んじゃったんでしょ」


「なるほど。……痛いのは嫌だけど、ショウのならいいよ」


 一護は、私の腕の傷痕のあるあたりを手のひらでなでた。


「ほんとーのほんとーに、ごめんね。ちゃんと言ったとおりに帰ってこれなくて。……痛いの代わってほしいけど、どうせなら、派手に転んで恥ずかしかったのを代わってほしいな」


「フフッ」

「それは代わりたくないな」


「二人とも気をつけてね。お金はしまってから歩いたほうがいいよ。危ないから」


「やらなーい」

「やっても転ばないよ」


「そんなのわからないでしょ。急いでたらやっちゃうかもしれないよ? 足をどこかに引っかけるかもしれないよ?」


「やらないもん」

「大丈夫」


「もー。……あ、そうだ。あした、念のため病院だって。お父様と律穂さんは仕事だから、理恵りえさんと馬車呼んで行くの」


「えー? 家庭教師は?」

「休みでしょ? 病院だし、しょーがないよ。課題いっぱい出してもらえるように言っといてあげる」


「ちょっと、一護やめてよ。……あしたといえば、おやつ……」


 抜き、と言われてしまった。


「なしだね。でも、てつさんだしなあ」

「どうだろうね」


「私のおやつ〜。もし、本当にケーキだったら――」

「あっ! そうだ!」


 一加は、頭だけ起こし、私の顔をのぞき込んできた。


「旦那様にはなんて怒られたの?」

「それ、ボクも聞こうと思ってた」


「怒られてはないよ。……ただ……外出禁止だって」


「賛成!」


 一加は、ボスッと頭を枕に下ろした。


「迷子になるから家から出ちゃダメ!」

「ボクも賛成。やっぱり手はつないでないとダメだね。勝手に行っちゃわないように。迷子にならないように」


 一加は私の肩に額をグリグリとすりつけ、一護は握る手に力を込めた。


「みんな迷子って言うけど、迷子じゃないよ。道に迷ってないし。足が痛くなければ、さくっと帰ってこれたよ」


「迷子だよ」

「そうそう。迷子」


「え〜、違う……ふあ〜あ……よ……」


 アクビが出た。すると、一加と一護も、大きく口を開けた。


「おやすみのキスしてない!」

「そうだった」


 二人はそう言うと、同時に私の頬にキスをし、腕と手を離した。


 一加のほうを向き一加に、一護のほうを向き一護に、二人とも私よりも少し下側に寝ていたので、頬というよりも目尻のあたりにキスする。


 あお向けになると、またピッタリとくっついてきた。


(……そうだよ、キスだよ。一護にキスしちゃった。どーしよ……。別にいいって言われたけど、もう一回ちゃんと謝ったほうが……。う〜ん、でも、蒸し返さないほうがいいのかな? でも、でも、初めてのキスがあれって。……初めて……)


「……そういえば……」


 悠子ゆうこと手をつないだことはあるが、抱きしめられたのは初めてだった。律穂におんぶしてもらったのも、抱きついたのも。理恵にあんなふうに怒られたのも。小夜さよにツンと頭を小突かれたのも。徹におやつ抜きと言われたのも。今日は初めてのことがいっぱいあった。


「どうしたの?」

「そういえばって?」


「……えっ、と。そういえば、三人で眠るの久しぶりだなって」


『初めて』の話は、キスに繋がりそうな感じがして、思わず避けた。


「ホントにね。どういうかぜの吹きまわし?」

「一加が泣きそうだったから」


「えー! ウソ!」

「泣きそうだっただろ」


「そこじゃない!」

「そこじゃないって、意味わかんないんだけど。ウソじゃないんだけどな。…………気分だよ。来るのも来ないのも、気分」


「気分かあ〜」


「ふーん」

「そ、気分」


「……ふ……ふあ〜〜あ」


 私のこのアクビで、みんな無言になった。一加の寝息が聞こえてきたな、と思ったのを最後に、私も眠りに落ちた。


 明け方に目が覚めた。一護のほうを向いて、一護の体に左足をまるっと乗せて寝ていた。気づかれないよう、そっと下ろし、一加のほうを向いて寝直した。

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