◆188. どうしたらよかったの? 08/10 ― 庭のベンチで


「あ~あ。なんで告白されるなんて思っちゃったんだろうな~。されるわけないのにね~」


 右手に持っていたティッシュの箱を太ももの間にさはみ、左手に持っていたレジャーシートを両手で持つ。


「やっぱり、あれかな? かわいいかわいいって、試着でいっぱい褒めてもらっちゃったから。勘違いしやすくなってたのかな?」


 バサッとレジャーシートをベンチに被せた。背もたれ、座面と、なでて整える。


「それとも、あれかな? 恋愛小説の話をしてたから。ついそっちに結びつけちゃった、って感じ?」


 腕時計で時間を確認する。ベンチに腰を下ろし、ティッシュの箱を右側に置いた。


「……落ち着いて現実見ないとね。あ~、恥ずかし~……」


 背もたれに寄りかかり、空を見上げる。明るい夜、きれいな星空だ。さらに上を向き、目をつむる。さわさわと木の葉のすれる音がする。


 みなと瑛太えいたが勉強部屋を出ていってから数分後、自室に戻った。

 部屋では、一加いちかがソファーに座り、刺繍をしていた。一護いちごはお風呂に行っていていなかった。一加と私もお風呂に向かい――本邸のお風呂は男女別――、戻ってくると一護が待っていた。三人でいつもの時間を過ごした。


 一加と一護とおやすみのキスをしたあと、二人がそれぞれの部屋に着いたであろう時間を見計らい、パジャマを脱いだ。虫よけスプレーを全身にかけ、半袖のパーカーとハーフパンツ、腕時計を身につけ、レジャーシートとティッシュの箱を持って、こっそりと庭に出た。


 もしかしたら、用事または私に気を使い、今夜も黒羽くろはが部屋に来るかもしれない。今は会いたくなかった。黒羽の顔をまともに見られるかどうかわからない。


 父や一加の部屋に逃げ込むこともできたが、一人になりたかった。

 この時間には絶対に誰もいない、誰も通りかからない場所、と考えて浮かんだのが、庭のベンチだった。


 黒羽が眠ったと思える時間になるまで、ここで時間を潰す。もし黒羽が私を訪ねてきても、この時間帯に部屋にいなければ、父のところで眠っていると思うはずだ。


 ゆっくりと目を開け、正面を向く。


「私って、厄介な人……だったんだなあ……」


 途中まで、湊と瑛太は間違っている、絶対に勘違いしている、と思っていた。

 でも「今の黒羽のことは、俺たちのほうがわかります」という湊の言葉に妙に納得し、反論する気が失せた。


 黒羽と湊と瑛太は、学園で苦楽を共にしている。授業や休み時間、放課後だけではない。厳しい剣術の稽古も一緒に頑張っている。休日に遊んだりもしている。

 それに、言うだけのことはあった。二人は私が知らない黒羽のことをいっぱい知っていた。今の黒羽をよりわかっているのは、黒羽とより親しいのは、確かに二人のほうだと思った。


「……知らなかった黒羽のこと……いっぱい知れてよかった~……」


 黒羽が髪を伸ばした理由を知らなかった。伸ばしたいから伸ばしている、好みだと思っていた。

 黒羽が女の子を遠ざけていたことを知らなかった。お茶会の時のように、にこにこと女の子の相手をしているのだろうと思っていた。


大地だいちが飲んでるお酒もらって、うえっ、て舌出してたのに。酔っぱらうほど飲むようになってたとか知らなかったし……」


 黒羽の好きな人が学園にいることを知らなかった。相手は女子学生だと決めつけていたので、学園にいる人だとは思っていたが、それは結果的に当たっていただけだ。


「学生とは限らない……むしろ学生じゃないっぽいよね。学園にいるって言い方だと。……学生だけど、そういう言い方したってだけかな?」


 自分ルール――黒羽が卒業するまでは恋愛に関する質問はしない――を取り払って黒羽にたずねていたら、私だって知ることができた、と思わなくもなかった。でも、もし私が尋ねていたとしても、答えてもらえたかどうかはわからない。


「まだ恋人になってなかったんだ……。ラブレターで気持ちを伝え合ってたくらいだったのかな?」


 私にラブレターが見つかった時の黒羽の顔を思いだす。しまった、という表情に、厄介者に見られた、邪魔される、という思いがあったのかと思うと胸が痛む。


「……というか、あれはもう恋人なんじゃないかな? ただオープンにしてないだけで。……あ~、もしかして私のせいでオープンにできない?」


 ティッシュを一枚取り、目頭を押さえる。


「……私のことは気にしないでいいって言ったのに。わかったって言ったのに。……なんで?」


 涙があふれてくる。ティッシュを箱から数枚抜き取り、追加する。


 考え出したら、こうなると思った。


 だからといって、考えずにはいられない。

 だから、泣かずにはいられない。


 一人になりたかった、一人でいたかった理由だ。


華族かぞくと平民って……、華族としたきって……。ほどほどって言っても、ダメって言っても、全然言うこと聞いてくれなかったくせに。いっぱいくっついてきて、全然関係なかったくせに……」


 学園に入学して二年以上経つ。たくさんの人と交流していくうちに、感覚が変わったのかもしれない。


「う……ううっ……」


 去年の夏、もう手紙のやり取りはできないと言われた時のこと。その次の日、目を合わせてもらえなかったこと。冬に会った時、黒羽の笑顔が作り笑顔になっていたこと。私の腕の傷痕を見たあと、たくさんため息をついていたことが、次々と頭に浮かぶ。


(恋人……好きな人に会えなくて寂しいじゃなくて……。私の腕が可哀想で、幸せになるのが申し訳ないとか、そういうふうに思って……ため息ついてたの?)


「……違うよね? それは違うよね? ううっ」


 さらにティッシュを追加する。


 三年前、庭で私の鼻先が黒羽の顔をかすめた時、黒羽はもう少しでキスになったのにと悔しがった。二日前、同じようにかすめた時、黒羽は飛び退き、困ったような顔をした。

 黒羽の汗を拭いてあげるのは、いつものことだ。だから、今日もそうした。内緒話と言われたが、黒羽を困らせるような内容ではなかった。苦笑いをしたのであれば、それは汗を拭いたことに対してとしか思えない。


「だって、黒羽が……、タオル取りやすいようにしてくれたから……」


 以前は一つのアイスを二人で食べたりしていた。黒羽のアイスを食べたいと、一口もらったりもしていた。昨日は食べたいとは言っていない。いらないと断った。

 夜、黒羽が部屋に来るのは前からだ。私が呼び出しているわけではない。

 でも、黒羽は悪くない。これらは黒羽の厚意だ。


(そうさせてるのが、束縛してるってことなの? いろいろなことがあっての、今なんだよ。これまでが間違ってたっていうの? だったら、私は――)


「――どうしたらよかったの?」


 湊と瑛太に言い返すのをやめたのは、反論する気が失せただけではない。どこか後ろめたい気持ちもあった。


 お茶会に出るようになれば、学園に入学すれば、自然と私ではない誰かに恋をし、離れていくだろうと楽観視していた。黒羽の悲しい顔を見たくない、無理に冷たい態度を取りたくないと先延ばしにしてきた。

 私がちゃんと黒羽に厳しい態度を取れていたら、今、黒羽が『好きな人と自由にできない』と泣くことはなかったのではないだろうか。ただ『フラレた』と、小さな頃に泣いておいたほうが、黒羽にとって良かったのではないだろうか。


「……ううっ。私、間違ってた? 私が……私が黒羽の泣くところ見たくなかったから。……でも、結局泣かせちゃった……」


 ひとしきり泣いたあと、涙を拭いていたティッシュで鼻をかみ、はあ、と息をついた。


 腕時計に視線を落とす。四十分ほど経っていた。


(まだここにいたほうがいいかな? 稽古したし、もう眠ったかな? この前、今夜だけって言ってたし、来ないとは思うけど……)


「……もしかして、第三弾なのかな?」


 第三弾――『過去好きだった人と、険悪にならない程度に距離を置こう作戦』の第三弾だ。


(今回って、充電時間やめるのにいい機会だよね?)


 今回の帰省は三泊四日と短く、友だちもいる。夜に時間がとれなくても、一緒に過ごさなくても不自然ではない。


「ってことは、あれって……」


 一日目の夜に「こうして話せるのは今夜だけかもしれない」と言っていたのは、充電時間を廃止するための前振りだったのかもしれない。


(でも、ゆうべも来たし……。なんか今夜も……)


 ブンブンッと顔を横に振る。


「きのうは理由があったでしょ。お父様の話がなかったら来なかったよ……。束縛してることだけじゃなくて、どう思われてるかも自覚しないと。私は厄介で、邪魔……ううっ……」


 知らず知らずのうちに嫌われていた。厄介な人だと思われていた。黒羽の恋路を邪魔していた。

 突きつけられた事実に、涙腺と胸が刺激される。


「……はあ。これから、どうしよっかな……」


 黒羽にこれ以上嫌われたくない。好きな人と自由に思う存分、ラブラブ、イチャイチャしてほしい。


 作戦を立てることにした。

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