◆184. どうしたらよかったの? 04/10 ― タイミング


「ん~~~っ! はあ~~」


 テーブルの上でグーッと腕を伸ばし、突っ伏す。


「なんだ~? 猫かぶりはどうしたんだ~? しゃんとしてないと、見た目だけてもバレるぞ~」


 ぐでっとした態度をてつに突っ込まれた。


 徹はテーブルにマグカップを三つ置き、椅子に腰を下ろした。


「今はいないからいいんでーす」


 二日目の今日、黒羽くろはたちは円境湖えんきょうこに遊びに行っている。


 円境湖には遊泳できる場所がいくつかある。誰でも利用できる場所もあれば、限られた人のみが利用できる場所――プライベートビーチもある。

 そのプライベートビーチの中に『きれいな砂浜が広がる入り江』がある。なんと、利用できるのは湖月こげつ家の者とその関係者のみ。つまり、湖月家専用だ。そこに泳ぎに行った。


 入り江を湖月家専用にしているのには、理由がある。それほど広い場所ではないこと。近くに、湖と森の管理小屋しかないこと。氣力きりょくを電化製品に使うことで発生するガスの溜まりやすい場所が近くにあること、などだ。

 もしかしたら、身内でゆっくり遊べる場所が欲しかった、といった理由もあるのかもしれない。


 別邸に住んでいた頃は、大地だいち隼人はやと、黒羽と一緒によく行っていた。父が御者ぎょしゃとなり、送り迎えをしてくれた。

 父も一緒に遊ぶこともあった。そのときは、黒国丸くろくにまるも一緒だった。大地は黒国丸に、父は御者台ではなく中に乗った。御者は、御者の人がやってくれた。

 御者といえば、湖月家では律穂りつほのことだが、この頃は本邸の使用人のことをあまり知らなかった。律穂が休みで、外部の人のときもあった。そのため、御者の人、という認識だった。


 父は、まだ仕事から帰ってきていない。なので、今回、黒羽たちを円境湖まで送り迎えしてくれるのは、外部の人――ではなく律穂だ。

 外部に頼んだのは、父のほうだ。貸し馬車で仕事に行った。もしかしたら、予定通りに帰ってこれない、今のような状況を想定して、貸し馬車を利用したのかもしれない。

 黒羽たちが円境湖に行くことは、早い段階で決まっていた。律穂は、送り迎えだけでなく、休憩場所の設営撤収係りもすることになっていた。


 というわけで、律穂も一緒に行っている。黒羽たちが遊んでいる間は、馬たちも休める専用の場所で時間を潰すそうだ。安くておいしい定食屋がすぐ近くにあるらしい。何をしているのか想像がつく。

 律穂に連絡を取りたいときは、どちらかに電話をかけることになっている。管理小屋には電話があるので、黒羽たちはそこからかけることができる。


 体を起こし、マグカップに口をつけた。


「う~ん! 酸っぱ甘い」


「はああ? なんだそれ」


 しげるに吐き捨てるように言われた。茂はノートを広げ、鉛筆を手にしている。気分を変えるために、勉強部屋から食堂に移動してきたが、あまり効果はなかったようだ。まだたいして経っていないのに、すでに集中力が切れ、嫌気がさし、イライラしている。


(まあ、いつものことだけど)


「……じゃあ、お手本聞かせてよ。この冷たいレモネードの感想。よーい、はいっ!」


 右左の手首を合わせ、左手首を下にし、カスタネットのように打ち鳴らす。手をカチンコの拍子木ひょうしぎに見立てた。


「つ、冷たくて、うめぇ」


「ぐっくく」


 徹さんが吹き出した。


「茂は菖蒲あやめのこと言えないな~」


「ふふっ。本当、人のこと言えないよ、茂くん」


「っんだよ」


 徹と私が笑うと、茂は恥ずかしさを誤魔化すかのように、レモネードをごくごくと飲み、酸っぱさにむせた。それがまた可笑しくて、徹と二人で声を上げて笑った。



「は~、いいなあ、黒羽。ワタシも円境湖行きたい」


 一加いちかはそう言いながら、配られたトランプを手に取った。


 一加と一護いちごの仕事が終わったので、勉強部屋に戻ってきた。今からババ抜きをする。罰ゲームはなしだ。


「泳げねーくせに」


「関係ないもん。ワタシは水着が着たいの! それに、浮き輪があるから平気だし」


 茂の言葉に、一加は口をとがらせた。


「一護は泳げるようになったのにね~」


 去年、初めてこのメンバーで円境湖の入り江に遊びに行った。

 一昨年は、一回だけ、一加と一護と黒羽と行くには行ったが、一加たちとは別々に遊んで終わった。茂とは知り合う前の話だ。


 手札を確認する。ペアになっているカードをテーブル中央に置いた。


「ボクは練習したから。一加は練習しなかったんだから、しょうがない」


「む~。鼻に水が入るのがヤなの! ショウと一緒にかわいい水着で遊べたら楽しいから。それでいいの」


「つーか、どうせ来週行くだろ」


 茂は一加に手札を向けた。


「そうだけど~。だって、来週、天気悪そうなんだもん。新聞は傘マークだし、ラジオもそんな感じだし」


 一加は茂からカードを引き、ペアになったカードを捨て、私のほうを向いた。


「え? 雨なの?」


 カードを選びながらたずねた。


「降りそうだって。今週はこんなにお天気いいのに。タイミング悪い」


 窓の外に視線を向けた一加の手元から、カードを一枚引く。ペアはなしだ。一護に手札を向ける。


「茂、どうする? 雨だったら来る?」


 一護は質問しながらカードを引いた。


(うーん。さすが、一護。表情変わらないな)


 私の手元にあったジョーカーがなくなった。一護の表情、動作も自然だ。ジョーカーを引いたようには見えない。


「雨で、遊びに行くのもなしなら来ねぇ。だりぃ」


 茂は一護からカードを引き、自分のほうに向けた。その手がピクッと動く。次にカードを引いた一加は、一瞬だけ口を尖らせた。



(もお~、また負けた!)


 ババ抜きは勝った。九戦して、一度もビリにはならなかった。十戦目におやつ勝負のジャンケンをして負けた。


(なんで? もうジャンケンにこだわるのやめようかな……。ババ抜きでおやつ勝負すればよかった。調子良かったし)


 食堂に着いた。台所をのぞく。


(いない……)


 徹も理恵りえもいないときのために、おやつ置き場は決められている。

 お盆を用意し、それぞれのマグカップを乗せた。常温のおやつ置き場を見る。何もない。冷蔵庫を開ける。


(あったあった。やった。今日はみかんゼリーだ。しかも、みかんいっぱいのやつ)


 ゼリーは、何も入っていないものより、果実がごろごろ入っているもののほうが好きだ。


 冷蔵庫から、まずは麦茶の入ったピッチャーを取り出した。次に、ゼリーを――と手を伸ばしたところで、声が聞こえてきた。


(え? やだ。まさか……)


 そうっと廊下を覗き込む。


(やっぱり!)


 黒羽たちが帰ってきた。みんなでこちらに向かってきている。クーラーボックスなどを徹に返却して、ついでにお茶をするつもりなのかもしれない。


(来ても徹さんはいませんよ~。先にシャワーがいいんじゃないですか~? ……どうしよ。……道は一つしかないか)


 食堂と台所はつながっている。いつも食堂を経由して、台所に入っているが、台所にも出入り口はある。二箇所あり、廊下と外に出られるようになっている。

 黒羽たちは食堂側から歩いてきている。食堂の出入り口から入ってくるとみて間違いない。たとえ逆から来たとしても、よその家の台所には入らないと思うので、どちらにしても食堂の出入り口だ。

 黒羽たちが食堂に入ったら、台所の出入り口から廊下に出る。そうすれば顔を合わせずに済む。


(……もう少し。お盆持って――あっ!)


 まだお盆にゼリーを乗せていなかった。あわてて冷蔵庫からゼリーを取り出す。


「ただいま帰りました。……徹さん?」


 黒羽たちが食堂に入ってきてしまった。姿を見られてしまうかもしれない所ができた。食堂とつながっているドアの所だ。扉はついているが、だいたい開けっぱなしになっている。今もそうだ。


(も~、失敗しちゃった)


 足音が近づいてくる。おとなしくその場で待つ。台所に顔を覗かせた黒羽と目が合った。


「あや――」


 黒羽は私の顔からお盆に視線を移した。中に入ってきて、小さな声で言った。


「タイミング、悪かったですね」


 私の状況を察してくれたようだ。


「おかえり。楽しかった?」


「ええ」


「そう。良かったね。……徹さん、今いないの。出かけるとは聞いてないから、家のどこかにはいると思うんだけど。お茶するの? おやつ、これしか見当たらなかったんだけど」


「大丈夫ですよ。私たちの分はありますから」


 黒羽は冷凍庫を開け、青い袋を取り出した。円筒形えんとうけいのアイスキャンディーだ。


「アイスか~。そっか、それがあったね」


「一口食べますか?」


 黒羽は止める間もなく袋を開けた。


「あ、あ~。いいよ、いらない。午前中に食べたから。アイスだけでいいの? 麦茶も飲む? 麦茶のピッチャー、あと二つあるよ。コップ出そうか?」


 袋とアイスがすれ合う音がする。黒羽はアイスを袋から取り出し、一口かじった。


「冷たくておいしいですよ」


 私の口の前にアイスを差し出してきた。


「……いいよ」


「遠慮せずに、どうぞ」


「……ありがとう」


 シャクッ――と、かじりついた瞬間だった。


「黒羽、手伝うよ」


 背後からの声に小さく肩が跳ねた。ソーダ味の冷たいカケラが口の中でとける。ためらいながら、振り向いた。


 目を丸くした瑛太えいたが、台所と食堂の間のドアからこちらを見ていた。


 あわてて笑顔を作り、少々取り乱しながら、麦茶とコップを用意した。平静を装って食堂に顔を出し、できる限り愛想よく、コップに麦茶をついだ。



 なんとか無事に勉強部屋に戻ると、遅い! と責められた。


「大変だったんだよ!」


 黒羽たちに遭遇したことを話すと、そんな気はしていた、と予想外の反応が返ってきた。馬車の音がしたので、もしかしたら、と話していたそうだ。


「だったら、助けに来てよ!」


「徹さんがいんだから、別にいーだろ」


「そうそう、ワタシたちより徹さんだよ」

「ボクたちが行っても遅いかな? って」


「いなかったの! いないこと、たまにあるでしょ!」


 三人の顔を見回す。三人とも私から視線をそらし、「あ~……」「だって……」「いろいろと……」と、ごにょごにょ言っている。


 要するに、徹がいようがいまいが関係なく、ただ面倒くさかったらしい。一加と一護は、仕事モードではなくなっていた。茂は言うまでもなくだ。


 ひどいと怒ると、お詫びにゼリーに入っているみかんを一つずつくれた。ありがたくいただき、『もし次があったときは必ず助ける』と約束もしてもらった。

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