149. 山口家の事情 5/5 ― 優しくていい子(小夜)


「もしもし、しげるくん」


「あ~?」


「今日は、一護いちごくんと何してたの?」


「はあっ!? なんもしてねーよっ!!」


 湖月こげつ邸からの帰り道、茂の隣を歩いていた。


 今日は、律穂りつほさんに馬車を出してもらい、お嬢様と一加いちかちゃんと、大型手芸店に買い物をしに行った。茂は、一護くんと留守番していた。


 普段『みんなと』と聞いているところを、『一護くんと』に変えただけだった。なぜか茂は過剰な反応を見せた。


「なんで怒ってるの?」


「はあ? 別に怒ってねーし。課題だよ、課題」


「課題は、お昼食べてから三十分くらいで終わったんでしょ? 一護くんが、頑張ったって褒めてくれてたじゃない。その後は?」


「なっ、べっ、別に、普通に遊んでただけだし」


「なんか悪いことしてた?」


「してねぇっ!」


「怪しいな~」腕で軽く体当たりをした。


「うぜぇ」


 茂は、歩幅を広げ、二三歩にさんぽ前に出た。前を歩く茂を眺めながら歩いた。


「もしもし、茂くん」


「んだよ」


「ごめんね」


「はあ?」


「茂のせいだって。だから、辞めるって。茂を悪者みたいに言っちゃって、ごめんね」


 茂は悪くなかった、とは思わない。でも、あのときの私は一方的だった。取り乱していた。


 お嬢様が旦那様の腕の中でグッタリしていた。お嬢様は氣力きりょくれて倒れることがある、と説明を受けていた。だがしかし、氣力のせいではない、氣力だけのせいではないことは明白だった。


 十数分前に、お嬢様と立ち話をしていた。

 廊下でお嬢様を見かけた。一人だった。時間的に、おやつ勝負に負けたのだろうと思った。「また負けたんですか?」と声をかけた。私と一緒にいた悠子ゆうこさんも「ハンデをもらうとか」と、負けたことを前提にしていた。私たちの言葉に、お嬢様は口をとがらせた。少しの間、三人で楽しくお喋りをした。


 その元気だったはずのお嬢様が、部屋でおやつを食べているはずのお嬢様が、腕を赤く染め、意識を失っていた。


 あの日の光景が目に浮かんだ。


 突然の別れ――が、脳裏をかすめた。


 横川よこかわさんが倒れたときもあわてたが、目の前でだった。胸を押さえながら、ひざをついた。意識はあった。


「……しつけぇな。女の髪のこともそうだし。何回、同じこと言うんだよ。もういいって言ったろ」


 旦那様と一緒に子どもたちから話を聞いた日の帰り道の途中、茂が坊主にしている間も、女の子の髪についての注意を繰り返した。子どもたちの言葉に救われ、緊張が解け、饒舌じょうぜつになっていた。

 家に着いてからは、茂に対してひどい態度だったことを何度も謝った。


「でも……」


「あれは、母ちゃんはああ言うしかねーだろ」


「でも! 茂の意見も聞かないで、母ちゃんの意見を押しつけた」


「押しつけられたなんて思ってねーよ。俺がわりぃって思った。あいつら、みんな自分がわりぃって言ってたけど、やっぱり俺だ。俺が一言、『切るぞ』って言えば、ああはならなかった。俺のせいで、一加は泣いた。一護は、はさみを持った。ショウは、怪我をした。俺のせいで、母ちゃんは……、辞めるって言わないといけなくなった」


「……一加ちゃん、茂が髪を切ってくれたから、前に進めたって言ってたよ」


「一護にも似たようなこと言われた。礼まで言われた。ホント、わけわかんねぇ」


「そう。一護くんにも。……お嬢様も、一加ちゃんも、一護くんも、優しくていい子ね」


「優しくはねーだろ。ショウも、一加も、一護も、うるせぇし、うぜぇ」


「こら! そんなこと言わない」


「いてっ」


 後ろから茂の頭を小突き、隣に並んだ。


「まぁ、優しくはねーけど、いいやつらだとは思う……」


 茂の横顔が赤く見えたのは、夕日のせいだけではないだろうなと、頬がゆるんだ。


「やっぱり、運じゃない」


「ウン?」


「運よ、運。運がいいとか悪いとかの。運といえば、運なのかもだけど……。母ちゃんは、周りの人に恵まれてるんだなって。旦那様、理恵りえさんたち、み~んないい人」


「ふーん」


「父ちゃんのおかげね。父ちゃんがいい人だったから!」


「ちげぇだろ」


「なんでよ」


「じいちゃん先生の学校に入れたのは、父ちゃんのおかげかもしれねーけど。今の仕事を見つけたのは、母ちゃんだろ。父ちゃんじゃねーだろ」


「でも、見つけられたのは、茂を預かってもらえたからなんだから。横川さんのおかげ。横川さんといい関係を築いてた、父ちゃんのおかげでしょ」


「だったら、そうなったのは、母ちゃんがいたからかもしれねーだろ。父ちゃんがいいやつだったのは、一緒にいた母ちゃんがいいやつだったからなんじゃねーの」


「茂……」


「母ちゃんがわりぃやつだったら、父ちゃんのいいやつ度が下がって、きっと今みたいになってねーよ」


「茂っ!!」抱きついた。


「うわっ! やめろっ!」


「一番優しくて、一番いい子が、ここにいる~」


 腕にギューッと力を込め、頬ずりした。


「離れろ! うぜぇ」


「は~~。茂の悪いところは口だけ! ごめん、あと頭も!」


 茂の頬をツンツンとつつき、頭をヨシヨシとなでた。


「うるせぇ、うぜぇ」


「母ちゃんがいい人でいられたのは、茂がいてくれたから。ありがとう、茂」


「……んだよ。意味わかんねぇんだよ。は~な~せ~よ~~」


 茂は腕の中でジタバタしている。


「あははっ。本当にいい子」


 もう一度、頭をヨシヨシとなでてから、離れてあげた。茂は、「は~」とため息をきながら、服を整えている。


「もしもし、茂くん」


「んだよ!」


「好きな子いる?」


「はああ!?」


 私が茂くらいの頃には、秀樹ひできと恋人になり、キスまで済ませていた。


「学習学校の子だったら、申し訳ないな~。同じとこ、入れてあげられなかったから」


「ねーよ。みんな年上だろ」


「年上は、ないの?」


「当たり前だろ」


(茂の趣味? 年上の魅力に気づくのは、これから? それとも、同じとこに入れてあげられなかったって言ったから、気を使ったのかな?)


「じゃあ、同い年のお嬢様は?」


「ねーよ」


「なんで?」


「ショウは、なんか、ふにゃふにゃ? してて」


(ふにゃふにゃ?)


「じゃ~、一加ちゃん?」


「ねっ、ねえよっ!」


(おやおや?)


「一加ちゃん、かわいいよね。元からだけど、髪を切ったら、すっごくかわいくなったよね?」


「ふ、普通なんじゃねーのっ!! 前も今も、別に変わんねーだろっ!!」


 茂は大きい声で答えた。


(なるほど、一加ちゃんか……)


 少し、ホッとした。お嬢様だったら大変だな、と思った。


(茂を応援したいけど、応援するけど……。やめときなさい、とは言わないけど。好きになっちゃったら、止められないし。でも、なんというか、複雑な気持ちになりそう……。いや、なる)


 お嬢様に問題があるわけではない。


 黒羽くろはくんがいる。これまでこっそり黒羽くんを応援してきた。

 一護くんもいる。一加ちゃんと同じ、姉として大事、と前から公言しているが、本当にそれだけなのだろうか。

 前に遊びに来た華族かぞくの男の子も、仲が良かった。


(茂の好きな子か……。果ては……)


「茂に恋人を紹介してもらえるのはいつかな~?」


「ぜってぇ、しねぇ」


「なんでよ?」


「うぜぇから!」


「母ちゃんにだって、心の準備ってものがあるんだけど。『結婚します』の前に、『恋人です』にしてよ!」


「は~。まあ、考えといてやるよ」


 茂は、嫌そうな顔で私をチラリと見てから、視線を前に戻した。


「よし! 今日は、どこかで食べて帰ろうか? 明日は休みだし。気分もいいし」


 茂は、バッとこちらを向いた。嬉しそうな顔をしている。


「だったら、餃子ぎょうざ! にんにく! にんにく、食いに行こうぜ!」


「いいね! いっぱい食べよう」


 グイッと茂の腕を取った。茂は少しだけ嫌がったが、振りほどかなかった。


 茂と腕を組み、餃子の美味しい料理屋に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る