149. 山口家の事情 5/5 ― 優しくていい子(小夜)
「もしもし、
「あ~?」
「今日は、
「はあっ!? なんもしてねーよっ!!」
今日は、
普段『みんなと』と聞いているところを、『一護くんと』に変えただけだった。なぜか茂は過剰な反応を見せた。
「なんで怒ってるの?」
「はあ? 別に怒ってねーし。課題だよ、課題」
「課題は、お昼食べてから三十分くらいで終わったんでしょ? 一護くんが、頑張ったって褒めてくれてたじゃない。その後は?」
「なっ、べっ、別に、普通に遊んでただけだし」
「なんか悪いことしてた?」
「してねぇっ!」
「怪しいな~」腕で軽く体当たりをした。
「うぜぇ」
茂は、歩幅を広げ、
「もしもし、茂くん」
「んだよ」
「ごめんね」
「はあ?」
「茂のせいだって。だから、辞めるって。茂を悪者みたいに言っちゃって、ごめんね」
茂は悪くなかった、とは思わない。でも、あのときの私は一方的だった。取り乱していた。
お嬢様が旦那様の腕の中でグッタリしていた。お嬢様は
十数分前に、お嬢様と立ち話をしていた。
廊下でお嬢様を見かけた。一人だった。時間的に、おやつ勝負に負けたのだろうと思った。「また負けたんですか?」と声をかけた。私と一緒にいた
その元気だったはずのお嬢様が、部屋でおやつを食べているはずのお嬢様が、腕を赤く染め、意識を失っていた。
あの日の光景が目に浮かんだ。
突然の別れ――が、脳裏を
「……しつけぇな。女の髪のこともそうだし。何回、同じこと言うんだよ。もういいって言ったろ」
旦那様と一緒に子どもたちから話を聞いた日の帰り道の途中、茂が坊主にしている間も、女の子の髪についての注意を繰り返した。子どもたちの言葉に救われ、緊張が解け、
家に着いてからは、茂に対してひどい態度だったことを何度も謝った。
「でも……」
「あれは、母ちゃんはああ言うしかねーだろ」
「でも! 茂の意見も聞かないで、母ちゃんの意見を押しつけた」
「押しつけられたなんて思ってねーよ。俺がわりぃって思った。あいつら、みんな自分がわりぃって言ってたけど、やっぱり俺だ。俺が一言、『切るぞ』って言えば、ああはならなかった。俺のせいで、一加は泣いた。一護は、はさみを持った。ショウは、怪我をした。俺のせいで、母ちゃんは……、辞めるって言わないといけなくなった」
「……一加ちゃん、茂が髪を切ってくれたから、前に進めたって言ってたよ」
「一護にも似たようなこと言われた。礼まで言われた。ホント、わけわかんねぇ」
「そう。一護くんにも。……お嬢様も、一加ちゃんも、一護くんも、優しくていい子ね」
「優しくはねーだろ。ショウも、一加も、一護も、うるせぇし、うぜぇ」
「こら! そんなこと言わない」
「いてっ」
後ろから茂の頭を小突き、隣に並んだ。
「まぁ、優しくはねーけど、いいやつらだとは思う……」
茂の横顔が赤く見えたのは、夕日のせいだけではないだろうなと、頬が
「やっぱり、運じゃない」
「ウン?」
「運よ、運。運がいいとか悪いとかの。運といえば、運なのかもだけど……。母ちゃんは、周りの人に恵まれてるんだなって。旦那様、
「ふーん」
「父ちゃんのおかげね。父ちゃんがいい人だったから!」
「ちげぇだろ」
「なんでよ」
「じいちゃん先生の学校に入れたのは、父ちゃんのおかげかもしれねーけど。今の仕事を見つけたのは、母ちゃんだろ。父ちゃんじゃねーだろ」
「でも、見つけられたのは、茂を預かってもらえたからなんだから。横川さんのおかげ。横川さんといい関係を築いてた、父ちゃんのおかげでしょ」
「だったら、そうなったのは、母ちゃんがいたからかもしれねーだろ。父ちゃんがいいやつだったのは、一緒にいた母ちゃんがいいやつだったからなんじゃねーの」
「茂……」
「母ちゃんがわりぃやつだったら、父ちゃんのいいやつ度が下がって、きっと今みたいになってねーよ」
「茂っ!!」抱きついた。
「うわっ! やめろっ!」
「一番優しくて、一番いい子が、ここにいる~」
腕にギューッと力を込め、頬ずりした。
「離れろ! うぜぇ」
「は~~。茂の悪いところは口だけ! ごめん、あと頭も!」
茂の頬をツンツンとつつき、頭をヨシヨシとなでた。
「うるせぇ、うぜぇ」
「母ちゃんがいい人でいられたのは、茂がいてくれたから。ありがとう、茂」
「……んだよ。意味わかんねぇんだよ。は~な~せ~よ~~」
茂は腕の中でジタバタしている。
「あははっ。本当にいい子」
もう一度、頭をヨシヨシとなでてから、離れてあげた。茂は、「は~」とため息を
「もしもし、茂くん」
「んだよ!」
「好きな子いる?」
「はああ!?」
私が茂くらいの頃には、
「学習学校の子だったら、申し訳ないな~。同じとこ、入れてあげられなかったから」
「ねーよ。みんな年上だろ」
「年上は、ないの?」
「当たり前だろ」
(茂の趣味? 年上の魅力に気づくのは、これから? それとも、同じとこに入れてあげられなかったって言ったから、気を使ったのかな?)
「じゃあ、同い年のお嬢様は?」
「ねーよ」
「なんで?」
「ショウは、なんか、ふにゃふにゃ? してて」
(ふにゃふにゃ?)
「じゃ~、一加ちゃん?」
「ねっ、ねえよっ!」
(おやおや?)
「一加ちゃん、かわいいよね。元からだけど、髪を切ったら、すっごくかわいくなったよね?」
「ふ、普通なんじゃねーのっ!! 前も今も、別に変わんねーだろっ!!」
茂は大きい声で答えた。
(なるほど、一加ちゃんか……)
少し、ホッとした。お嬢様だったら大変だな、と思った。
(茂を応援したいけど、応援するけど……。やめときなさい、とは言わないけど。好きになっちゃったら、止められないし。でも、なんというか、複雑な気持ちになりそう……。いや、なる)
お嬢様に問題があるわけではない。
一護くんもいる。一加ちゃんと同じ、姉として大事、と前から公言しているが、本当にそれだけなのだろうか。
前に遊びに来た
(茂の好きな子か……。果ては……)
「茂に恋人を紹介してもらえるのはいつかな~?」
「ぜってぇ、しねぇ」
「なんでよ?」
「うぜぇから!」
「母ちゃんにだって、心の準備ってものがあるんだけど。『結婚します』の前に、『恋人です』にしてよ!」
「は~。まあ、考えといてやるよ」
茂は、嫌そうな顔で私をチラリと見てから、視線を前に戻した。
「よし! 今日は、どこかで食べて帰ろうか? 明日は休みだし。気分もいいし」
茂は、バッとこちらを向いた。嬉しそうな顔をしている。
「だったら、
「いいね! いっぱい食べよう」
グイッと茂の腕を取った。茂は少しだけ嫌がったが、振りほどかなかった。
茂と腕を組み、餃子の美味しい料理屋に向かった。
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